浮谷東次郎著作目録

はじめに

 1960年代に活躍したレーシングドライバー・浮谷東次郎(1942-65)は筆まめな人物としても知られており、23年間の生涯に膨大な量の日記や手紙を書き残している。それらの文章は没後に相次いで出版され、モータースポーツ界のみならず読書界からも注目を集めた。他にも、自動車雑誌やオートバイ雑誌に発表した記事も多数存在する。

 そんな浮谷東次郎だが、雑誌記事を含めた本格的な著作目録は、筆者の知る限りでは存在しない。もっとも、著名な文学者や著述家でもない限り、著作目録を作成されること自体が珍しいのかもしれない。

 そこで今回、浮谷東次郎の著作目録を作成・公開することにした。以下に掲げるのは、東次郎の著書および雑誌記事の一覧である。各タイトルの配列は発表順とし、雑誌記事については媒体ごとに分けて掲載した。

 本目録を作成するにあたり、筆者は国立国会図書館を含む複数の図書館・博物館にて調査を行ったが、一部雑誌のバックナンバーのなかには、どこにも蔵書が存在しないものもあった。したがって、一部の記事についてはタイトルが判明していないため、その旨を別途記載するにとどめた。これらの記事については、今後確認が取れ次第更新する予定である。

【著書】

『がむしゃら1500キロ』(1958年)

 浮谷東次郎の最初の著作にして、生前に刊行された唯一の著書である。私家版として少部数発行され、知人・友人らに配られたという。内容は、中学3年生であった前年(1957年)の夏に千葉・市川―大阪間をクライドラーで走破した体験を綴ったもので、のちに日本初のツーリング旅行記とも評された。1972年に筑摩書房より同名の著書が刊行されたが、後述するように私家版との間にはいくつかの異同が存在する。なお、本書は私家版のためか校正が甘いようで、数多くの誤字・脱字が見受けられる。本書はのちに、『わっぱ』1971年4月号(出発まで~第五日)、同5・6月合併号(第六日〜あとがき)、『バイカー春秋』2022年夏号(第一日〜第二日、第五日〜あとがき)に再掲された。

『俺様の宝石さ』(浮谷かずえ編、1969年)

 東次郎没後の1969年に、私家版として刊行された一冊。東次郎は1960年からの約3年間をアメリカで過ごしており、その期間に書き溜めた日記や手紙を、母・和栄がまとめたものである。序文を父・垙次郎が、装丁を姉・朝江が手がけている。1972年に筑摩書房より刊行された同名の書籍の基となったものである。本書はのちに、『わっぱ』1969年12月号、『私のアンソロジー 2 青春』(松田道雄編・解説、筑摩書房、1971年)にいずれも一部が再掲・再録された。なお、本書の後半は知人・友人らによる追悼文集となっており、これらはのちに『東次郎へ』(浮谷和栄編、三樹書房、1993年)として単独で刊行されている。

『俺様の宝石さ』(松田道雄編、筑摩書房、1972年)

(→『俺様の宝石さ』ちくま文庫、1985年)
 東次郎の著書として初めて公刊されたものである。編者は医師で評論家の松田道雄氏。先述の私家版『俺様の宝石さ』のうち、後半の追悼文集を除く本文を出版したものだが、編者による「あとがき」によれば、造本の都合で原稿用紙160枚分を削ったとのことである。また、私家版にはない小見出しが追加されているほか、本文中の一部の英字がカタカナに直されるなど、主に表記上の異同が多数見受けられる。なお、私家版の本文は横組みだったが、本書では縦組みに変更されている。また、単行本版には「編集・松田道雄」というクレジットがあったが、後年文庫化された際に外され、東次郎の単独名義となっている。本書はのちに、『日本の名随筆 5 旅』(阿川弘之編、作品社、1983年)に一部が再録された。

『がむしゃら1500キロ』(筑摩書房、1972年)

(→『がむしゃら1500キロ』ちくま少年文庫、1977年)
(→『がむしゃら1500キロ わが青春の門出』ちくま文庫、1990年)

 東次郎の著書として2番目に公刊されたものである。先述の私家版『がむしゃら1500キロ』全編、および中学時代の日記や手紙を併せて収録している。なお、『がむしゃら1500キロ』の部分に関して、私家版にはないサブタイトルが各章に追加されているほか、語り手の人称が「僕」→「ぼく」となっていたり、一部の漢字がひらがなに改められるなど、こちらも私家版との間に表記上の異同が多数見受けられる。本書はのちにちくま少年文庫、ちくま文庫として刊行された。このうち、ちくま少年文庫版では本文の一部が割愛されている。

『わが青春の遺産』(筑摩書房、1974年)

(→『オートバイと初恋と わが青春の遺産』ちくま文庫、1986年)
 東次郎の著書として3番目に公刊されたものである。高校時代の日記や手紙を収めているほか、雑誌『モーターサイクリスト』に寄稿した「はままつ行」、没後に雑誌『わっぱ』に掲載された小説「若者」の一部抜粋を本文に組み込む形で収録している。のちに文庫化された際、『オートバイと初恋と』に改題された。
 なお、筑摩書房より刊行された上記3タイトルのうち、単行本版『俺様の宝石さ』を除くすべての著書が東次郎の単独名義となっているが、岩崎呉夫著『浮谷東次郎 速すぎた男のドキュメント』の「あとがき」によれば、いずれも松田道雄が編集したものであるという。

『がむしゃら1500キロ』(新潮文庫、1981年)

 先述の『がむしゃら1500キロ』のうち、旅行記の部分のみを文庫化したものである。したがって、私家版『がむしゃら1500キロ』と内容的には同じものだが、章題や語り手の人称が筑摩書房版と共通していることから、本書は私家版ではなく筑摩書房版を底本としたものと思われる。巻末には、岩崎呉夫による評伝「浮谷東次郎の二十三年間」が収録されている。

【雑誌記事】

『モーターサイクリスト』

「はままつ行」(1959年7月号)
 1959年、当時高校生だった東次郎が、雑誌『モーターサイクリスト』に寄稿した記事。友人の本田博俊(ホンダ創業者・本田宗一郎の息子)とともに、浜松にあるヤマハの工場を見学した際の模様を綴ったものである。のちに『わが青春の遺産(オートバイと初恋と)』に収録された。

「国産モペット試乗座談会 高校生の部」(1960年3月号)
※東次郎を含む6人の高校生による座談会記事。

「アメリカ通信 初乗りで早くもケガ」(1961年3月号)
「アメリカ通信(2) こちらもオトキチがいっぱい」(1961年5月号)

 東次郎がアメリカ滞在中に寄稿した記事。1960年秋、横浜から貨物船に乗って渡米した東次郎は、サンフランシスコを経てロサンゼルスに到着した後、ニューヨークに旅立つまでの一時期、当地でホンダ支店長を務めていた川島氏の元に身を寄せていた。上記2つの記事は、このロス滞在時の模様を綴ったものである。なお、『俺様の宝石さ』によれば、東次郎はアメリカ滞在中に、「モーターサイクリスト特派員」の身分で各地のモーターショーに足を運んでいたとのことである。

「試乗とテスト カワサキ B8 125cc」(1964年3月号)

『ドライバー』

「ベルリーナを運転してみて」(1964年4月号)※創刊号
「国産車試乗リポート 今月はベルリーナに乗りました」コーナーの3組のリポートのうちの一つとして掲載されたもの。なお、同号には他に「本誌M記者」提供のホンダF1の写真も掲載されているが、この写真提供者は東次郎本人であるという(熊谷勲夫「浮谷東次郎の死」より)。

「精鋭ロータスに乗る」(1964年5月号)
※以下のリンク先で冒頭のみ公開されている。

「スポーツカー試乗記 MGB」(1964年6月号)

「スポーツカー試乗記 タウナス17MTS」(1964年7月号)
※以下のリンク先で全文が公開されている。

「スポーツカー試乗記 トライアンフTR4」(1964年8月号)
※以下のリンク先で全文が公開されている。

※『ドライバー』掲載記事で筆者未見のものは次の通り(いずれも熊谷勲夫「浮谷東次郎の死」より)。
プリンス・スカイライン1500の試乗記(1964年6月号)
いすずベレットの試乗記(1964年7月号)
ポルシェ・カレラ904の試乗記(1964年9月号)
ジム・ラッセルのレーシングスクール入学記(1965年2月号)

『オートスポーツ』

「スズカのコーナーリング」(1964年冬号)
※『わっぱ』1971年4月号に再掲された。

「試乗レポート メルセデスベンツ230SL」(同上)

「ホンダS600による スズカのドライブ・テクニック」(1965年春号)

 1962年に開業して間もなかった、鈴鹿サーキットの走法を解説した記事。当時大学生ドライバーとして活動していた鮒子田寛や横山靖史、林みのるの協力を得て完成させたもので、発表当時大変な評判となり、鈴鹿を走るレーサーたちがこぞって参考にしたという。自動車ジャーナリストとしての東次郎の代表作の一つ。

「トヨタ・スポーツ800 スズカ・テスト」(1965年夏号)
※『トヨタパブリカ&スポーツ800』(三樹書房編集部編、三樹書房、1994年/増補新訂版2003年)および『日本の名レース100選 v.28 '66鈴鹿500キロ』(イデア、2007年)に収録された。

「F3ロータス TYPE31 船橋テストラン」(1965年秋号)
※『日本の名レース100選 v.3 '65船橋CCC』(イデア、2006年)に収録された。

『モーターファン』

「試乗レポート コルチナ・ロータス」(1964年11月号)

『Carマガジン』

「ポルシェレポート ポルシェ911」(1965年2月号)
※父・垙次郎との競作記事。

『わっぱ』

「浮谷東次郎未発表日記・書簡集」(1970年3・4月合併号)
 高校在学中およびアメリカ滞在中に書かれた文章を掲載したもの。本文中に、貨物船に乗って渡米する間の船中の模様を描いた「題名のない小説」と題する小説が挿入されている。のちに一部が『わが青春の遺産(オートバイと初恋と)』に収録された。

「浮谷東次郎未発表日記・書簡集 そのⅡ」(1970年5・6月合併号)
 前号に引き続き、アメリカ滞在中に書かれた文章を掲載したもの。

「浮谷東次郎未発表創作 仮題「若者」」(1970年7・8月合併号)
 生前未発表の小説「若者」を掲載したもの。東次郎没後5年目に発見されたもので、渡米を間近に控えた1960年夏頃の出来事を描いたと思われる未完の作品である。『わが青春の遺産(オートバイと初恋と)』と共通する出来事を扱っていることから、ほぼ事実に即した内容であると考えられる。のちに『わが青春の遺産』の本文に組み込まれる形で一部が収録された。

『母の友』

「ぼくの夏休み」(1973年7月号)
 小学生時代に描かれた絵日記を掲載したもの。同号には、松田道雄「浮谷東次郎ののこしたもの」、山中恒「東次郎ちゃんとおかあちゃま」も掲載されている。

【参考文献】
岩崎呉夫『浮谷東次郎 速すぎた男のドキュメント』、三樹書房、1992年。
熊谷勲夫「浮谷東次郎の死」、『俺様の宝石さ』、浮谷かずえ編、1969年。

【更新履歴】
2023年12月22日:公開。
2023年12月24日:一部改訂。
2024年1月9日:「ドライバーWeb」のリンク3件を追加。

※本目録の無断転載を禁じます。

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