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理想的なやさしい世界

この記事は
歴史をからめて考える 理想的なやさしい世界
について
2024年の1月に私がXのスペースで
お話しした内容をもとに作成しています。


1 今の世の中を考える

優しいの反対語を調べたところ
「冷たい」とか「厳しい」でした。
いまの世の中は果たして
優しいのか
冷たいのか
または
厳しいのか
そんなところも考えながら
見ていきたいと思います。

なんとなく想像はついてしまいますが
もしかしたらの可能性に期待したいところですね。

さて、では現在の日本社会に目を向けてみましょう。

昨年に引き続き
悪いインフレ
物価高が続いています。

インフレというと
単純に物価が上がっちゃって困る
というイメージをもっている方が多いかと思います。

でも、インフレもいいインフレと
悪いインフレというものがあります。

いいインフレというのは
簡単に言うと

みんながものを買う量が増えて
必要とされる量=需要
が増えることで

生産される量=供給
が足りなくなってしまうことで起こります。

要するに作れる量より
必要とされる量が多くなって
不足が生まれるので
希少性が高くなって
値上がりするというものです。

デマンドプル型インフレというものです。
経済が成長していく値上がりなので
ものとかサービスを売った人の利益が増えて
給料も上がっていきます。

転売の人はこれを利用して
レアな商品を高く売って利益を取るわけですね。

批判はありましたが
あれも需要と供給の話になってくるので
欲しい人が高くても買っていると考えると
商売の基本とも言えます。

ところが、
今の日本で起きているのは
悪いインフレです。

もともとの原材料などが高くなって
コストがかかる分
値段に上乗せされることで
値段があがってしまう
というものです。

コストプッシュ型インフレというものですね。

これですと、値段が上がっても
売った人の利益が増えるワケではないので
給料も上がっていかないのです。

簡単な例を言うと
仕入れ値80円で売値100円で売ってました。
これは20円の利益です。

それが
仕入れ値が100円になってしまったので
売値を120円にしました。

値上がりは20円です。
でも、利益は変わらないわけです。
買う人だけが多くお金を払うような形になっていますね。

こういうことがあちこちで起こっています。
それどころか
値上げを躊躇してしまって
かえって利益が減っていたりすることもあるかもしれません。

全体的に
収入が増えずに支出が増える
という状況になってしまっているのです。

今回の要因は主に2つです。
1つが海外の物価の値上がりです。
もう一つが円安です。

円の価値が下がってしまって
同じものを輸入するのにも
たくさんの円が必要となってしまうので
その分また国内で物価が上がってしまう
という悪循環ですね

こういったみんなが知っておくべき情報
その本質的な部分については
なかなか知る機会がないのです。
ニュース流してる方も実はよく知らなかったりします。

ようするに偽情報ばかりです。
国債の話にしても
国の借金でもないし
国民の借金でもないです。
国民一人あたりいくらだとか言っているのは
間違った情報です。

まず国の借金ではなく
政府の借金です。

で、借金している人がいたら、必ず貸している人がいるので
どちらにしても国民の借金になんてなりません。

国が危ないってなったら
増税に納得するとでも思っているのでしょうか。
そちらのほうが危ないです。

日本は対外純資産
30年以上世界一の国です。
でもそんなことはみんなあまり知らないんですね。

正しい情報を発信する人もいますが
間違った情報に
つま先から頭のてっぺんまで
どっぷりつかっている人に全否定されます。

洗脳されて疑問をもっていない人たちには
陰謀論や都市伝説で片付けられて
相手にされないことも多いです。

そもそも、話を聞く気がないのです。
それで、聞かないから理解もできないのです。
だからいつまでも騙され続けるのです。

間違った知識に固執して
新しい知識を否定するから
なにも前に進めないどころか
残念なことになってしまい
そうやって30年経ってしまいました。
厳しい世界だなと思います。

メディアでは
高齢化社会と少子化
働き手の不足で負担が上がっていると報道されていました。

そんな中で
高齢者叩きをする人も出てきています。
明日の自分を叩いていると気付いているのでしょうか。
今しか見てないのではないかと心配になります。

高齢者の負担を増やせという方がいますが
現にそのようになっていくようですが
よく考えて欲しいんですけど

高齢者の負担が増えても
若者の負担率を減らすなんて
誰も言っていないのです。
だから負担は変わらないのです。

今の負担はそのままに
将来の負担が増える。
単に自分たちの将来を暗くするだけです。
よく考えないと騙されます。

こうして考えていくと
今の日本は
優しい世界ではないですね。

残念ですが自分さえ良ければいい
という考え方が増えました。
慮りの欠如ですね。

冷たい世界だなと思います。

こうして
厳しい世界と冷たい世界がそろいました。
残念です。

それでは、いったん
ここまでの流れを考察してみましょう
まず偽情報に踊らされてしまうのは
正しい情報を知らないからです。

ですのでまず
正しい情報がちゃんと
入る環境を整える必要があります。

次に情報を元にして
正しい見通しをもった
正しい行動ができないといけませんね。

優しい世界以前に
今の社会で生きる上では
この3つが不可欠だと感じます。


2 歴史を元に考える

ここまで見てきて
思うことがあります。

日本人ってもともと
こんなだったんだろうか
もともとはこうではなかったんじゃないか
ということです。

ここで歴史を見ていきます。
世界で一番長く続いた文明ってご存知ですか?

エジプトでもなければメソポタミアでもなく
シュメールでもないです。

縄文です。
縄文時代はもはや縄文文明と呼ばれています。

一万数千年間も続いた文明です。

文明といっても石斧もって
獣追いかけてワイワイ
野性的な暮らししてたんでしょって
思っている方がまだ多いと思います。
なにしろ教科書に載っているのは
まだそんな感じです。

でも調べようと思えば自分で調べることができて、
どんどん新しい情報が出てきていることが分かります。

歴史好きな方はご存知かと思いますが、
なんと
世界は縄文文明に大注目しているのです。
それを一番知らないのは日本人です。

さて、話を進めます。

縄文時代の発掘物には
装飾品がたくさんあります。
これがどういうことかというと
生活に余裕があったということです。

つまりはというと、
心の余裕があったということです。

例えば考えてみて欲しいんですが、
その日に食うに困る人が
装飾品になんて意識をむけることはできないですよね。
この時代ならなおさらです。

ですから、余裕がない中では
それらを作る技術も発展しません。
技術を磨いても腹は膨れないですもんね。

土器なんかもそうです。
生活で使うというより
芸術品のような土器があって
あれは生活に余裕がないと
作ろうとも思わないですよね。

縄文という名前の元になっている
縄で模様を付けるということだって
わざわざ模様付けなくてもいいわけです。
でも付ける余裕があったんですね。

勾玉と言われるものを写真等で
見たことがあるかと思いますが
中には翡翠の勾玉があります。
そして翡翠は全国にあるわけではないのです。
それなのにさまざまな場所から翡翠が出てくる。

これって交易があったということで

石器を作る黒曜石にしても
実は現在では
その産地が分かってるのです。

中でも人気の
質の高い黒曜石があったようで
なんと ある無人島でしか採れないものが
全国に散らばっていることが判明しています。

ということは、
海を渡る技術が余裕であったということです。
そして、やっぱり交易があったからこそ
全国に散らばっているのです。

つまり、これまでの常識よりも、
相当すごいことが明らかになってきているのです。
教科書はなかなか変わりませんけどね笑

でも、今回わざわざ縄文について取り上げたのは
そこがすごいからではないのです。

縄文文明が文明としてすごいところって
戦争がなかったということです。

縄文時代の発掘物からは
対人の武器が出ないそうです。
つまり、平和な世界を築いていたのです。
一万数千年の間です。

もともと平安時代などの文化も
世界に誇れるものですが、
その後に
戦国の世が始まりました。

そして戦国の世が終わって
江戸時代にも文化が発展しました。

平和が続いたからですよね。
それでもたかだか260年程度です。
いや、これも長いんですけど
1万数千年とは
まったく比べものにならないです。

そんなご先祖様をもつ日本人が
こんなことになってしまった。

何が違うのか考えないといけないと思うんです。
逆にどういうときに
戦争や争いが起きるのかということです。

そうするとそれは、
国や人どうしの考え方や利益が対立したときですよね。
対立しなければ争いにならないはずなんですよ。

一次大戦後に
国際連盟で
人種差別撤廃を叫んだ日本は
奴隷を当たり前に使っていた国にとって
そうとう邪魔だったと思います。

賛成する国が多数だったにも関わらず
その案は潰されています。

そしてその後の歴史に繋がってます。

あとは戦争と言えば、
日本人としてはなかなか
感覚的に理解できない戦争に
宗教戦争がありますよね。

世界では宗教での対立が多いです。
この対立がなくなったら
多くの戦争が起きなくなります。

この問題に対して
自分はずっと
それを解決するのは神道だと思っていて
いまだにそう思っています。

ちなみに神道って
自分は宗教として考えるのがおかしなことで
あれはもう習慣なのだと
個人的には考えているのです。

今だって
「無宗教です」
って言ってる人も
神社に初詣行ったりしますからね。
それは当たり前の意識で
そこには、日本人として
別に違和感はないわけです。

でも外国人にとっては違和感だらけです。
まったく理解できない感覚らしいです。

だから理解できる
宗教という区分けにされてしまった。
そこからもうおかしくなったと感じています。

で、話を戻して、なぜその
神道が宗教の争い事をなくすのかと
そこにいきたいと思います。

神道のすごいところは、
どんな神様でも受け入れて
取り込んでしまうところだと思うのです。

自分の神様と違うから悪魔だ
とはならない。

受け入れて取り込んで
神道の神様にしてしまう。
八百万の神ですね。

この性質こそ
日本人の性質そのものだと思えるんですよね。

外国の様々な文化を受け入れて取り入れて、
自分達に合わせてカスタマイズしてしまう能力
まったく同じなんですよ。

だから習慣だと思うのです。
いや、むしろ
生き方という感じですね。

クリスチャンじゃなくても
クリスマスを祝うとか
もはやこれも日本文化です。

漢字も取り入れて独自のものにしてしまい、
訓読みやカタカナ、ひらがなを
独自に作ってしまいました。

英語なんて自分たちでしかわからない省略しますよね。
例えば
Mr.Childrenをミスチルって
もはや
性別から変わってしまってますからね笑

この究極の受け入れ姿勢こそが
日本人の誇るべき能力だと思うんです。

これこそが縄文から
遺伝子そのものに受け継がれた
性質そのものなんじゃないかと
そう思います。


3 やさしい世界を考える

優しい世界に大事なことが
なんかすこしずつ見えてきました。

冷たい社会も厳しい社会も
対立の社会です
相手を受け入れる姿勢がありません。

それなら
その逆を考えればいいので
受け入れる姿勢の社会
それが優しい世界のスタンダードということになります。

受け入れるためには
相手の話を聴くことが大事です。
さらに、話を聴いた上で、
レベルの低い二元論に落とし込んで
対立に持っていくのではなく、
相手の意見を受け入れて取り込んで
新しいものに発展させていく。

哲学だとこれ
アウフヘーベンとかいいますね笑
小難しい言葉で分かりにくいですが、
ドイツ語です。
でもここで「西洋はすごいな」
とか思わないでください

なんと、
日本人はこれをもともと知っているんですよね

まさに聖徳太子の十七条憲法でいう
「和をもって尊しとなす」
そのものだと思いませんか?

これを実践できればいいんです。

ただ、これは、
意識が常に自分自分となっていて
自分の利益しか見えていない人には
実践できないですよね。

だから心の余裕が必要なんですよね。

心の余裕っていうのは
自分自分って向いている矢印を
少しだけ外に向けることですね。

ちなみにこれを
全て外向きにして与えるだけになったものが

愛です。

これ大事なんですけど
愛は好きの延長線上ではないのです。

好きと愛は本質が違っていて、
英語のラブと愛もイコールではないです。
自称 愛の伝道師としては
ここを押さえておきたいと思います。

せっかくなので
ちょっと愛の話をすると
よく「無償の愛」とか言われますが
愛自体が無償です。

例えば
赤ちゃんのおむつを替えて
おむつ替えてあげたんだから笑え
とか思わないですよね。
見返りは求めず
ただ、自分がしてあげたいからするんです。
それが愛です。

だから「無償の愛」という言葉は間違いです。
「机上の上」みたいな言葉です。

愛は無償のものなので、
見返りを求めたら
それはもう愛ではなくなってしまいます。
だから好きなどの感情とは
本質から違うわけです。

ですから
かなりハードルの高いことで
軽々しく「愛してる」なんて言うことは
これはとても恐ろしいことなのです!

何があっても
相手に求めることなく
与え続けなければいけないので
言わなきゃ良かったってなるかも知れないですよね笑
半分冗談ですが笑

24時間テレビ系の番組で
愛は地球を救うとかってスローガンありますよね
あの言葉「偽善や!」って思う人もいると思うのですが

愛は地球を救います。
あれは間違いないです。

ですが、残念なことに
人間には愛を極めることはできません。

なぜかと言うと
極めたらそれはもう
神だからです。

みんなが神になるなんて
なかなかハードルが高いですので
ここでは身の丈に合った
人の世の優しい世界を
考えていきましょう。

繰り返しになりますが
まず心の余裕をもって
相手の話を聞いて
受け入れて取り込んで発展させる
ということが大事です。
対立を生まないことですね。

言い換えると
敵のない世界
いや
敵を作らない世界

いや、そもそも
敵というカテゴリーを作らない世界

縄文の精神そのものですね。

結論として
理想的な民主制のあり方
みたいなことになってしまいますが

「互いを受け入れて みんなで 正しい選択ができる世界」

言葉にすると
これが自分の理想とする
優しい世界かなと思います

ただ、
これはまったく新しくもない、
縄文からの伝統の心そのもので、

聖徳太子の
「和を以て貴しとなし、さかうることなしをむねとせよ」

と同じ事ではないかと思います。

つまり1400年も前にすでに
日本人の縄文から受け継いでいる遺伝子を
言語化していた聖徳太子って
あらためてすごいなと感じます。

偉大な聖徳太子を超えることは
かないませんでしたが

互いを受け入れて
みんなで
正しい選択ができる世界

をめざして
自分の手の届く範囲から
始めていきます。

具体的な内容として
パソコン関係で言えば
まず困り事や現状の作業内容を聴いた上で、

作業効率化を目指すなら
自分でツールを作成してみたいのか
一緒に作っていきたいのか
一任なのか

スキルアップなら
どんなことを目指していて
どんなスキルアップが必要なのか

などの一人一人に合わせたサポートを
していくことが大事だと思っています。

お困り事などございましたら
お気軽にご相談ください。

LINE登録リンク載せておきます。

それでは、お読みくださりありがとうございました。


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