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2020年を振り返る・「障害」と…

「新型コロナウイルス」のパンデミックで…

 今年は、中国は武漢から2019年に検出された新興感染症についての情報と、イタリアにおける昨年9月のコロナウイルス新抗体発見から様々な情報が錯そうとする中、世界中での新型コロナウイルスによる蔓延で行動が制限されたり、経済難に陥ったりした。

 まず、コロナウイルスが蔓延ったことにより、「見えない障害」が新たに見えてきた年でもあると感じた。

 コロナウイルス予防といえばマスクなのだが、この予防法を推奨することにより、精神障害・神経障害に伴った症状である「感覚過敏と鈍麻」の中の「感覚過敏」が隠れていた障害だったのが外に出てきた、という感覚がした。それが原因で、マスクがつけられない当事者たちがアウェアネスカード(マスクがつけられないという意思表示など)を携帯しなければいけない風潮になってしまった。
 私も「感覚過敏と鈍麻」が伴った発達障害であるのだが、マスクがつけられないわけではなく種類によって不随意運動を伴ったり感覚の誤認を起こしてしまうというものであるため、いろんなマスクを試したり改造したりの手段で解決できた。例えば、耳にかける素材がゴムだと三半規管がある部分が痛み、立ち眩みなどの影響が起こる。それを解決するために、防毒マスクにあるようなフックとジョイントの方式で、耳にかからないように改造してマスクをつけることにより解決した。

 私の通院先では、他の事情で「どうしてもつけられない」人がいた。自分がその感覚を理解するのが難しいくらいの不便があるようで、口に何かが覆う感覚が痛みを伴うような感覚であるというのだ。通院先は心の病院なのだから様々な特性を持った心の病気の当事者がいる。中には「強迫性障害」なのでマスクを着けていない人を見ると怖いという当事者など。
 通院先では、マスクをどうしてもつけられない当事者に対する対応は、広い待合室とは別に、空いた診察室にその当事者を待機させておくというものだった。

今年は1億総「障害者」?

NHKハートネットテレビで熊谷晋一郎さんを紹介されたとき、「総障害者化」こんな言葉が出てきた。

 私は、生まれつきのもので言うと「広汎性発達障害・自閉スペクトラム症 アスペルガー症候群タイプ」と「神経障害」のふたつがあり、障害等級が二級である。いずれもこれを持っていることに対して「障害」に気づいたのは大人になってからである。

 発達障害は、この得意と苦手の二極化という特性を考えて音楽関係で色んなジャンルに亘って演奏をともにしたり様々なメンバーとイベントや企画を立てては参加して、そしてまわりを興らせたり…という事で生業を得られるようになってきた。雇用の観点から見ると長続きせず、なおかつ対人でのコミュニケーション能力について非常に難しいため就職活動しても5回失敗、フリーランスとして働くことになった。
 しかし、このうち演奏関係の舞台が「3密」としてやり玉に挙げられ、なおかつコロナ第1波の時に報道機関による風評被害にあったため収入が滞り自分の人生に負の大打撃を与えた。つまり障害に障害を重ねるような形になってしまったのだ。

 「障害に障害を重ねる」という現象を感じたことにより、もともとシアター、ライブ、イベント、サウンドエンジニアなどとして舞台で活躍してきた人たちが「障害者」という感覚を味わっているのではという疑問が浮かんだ。社会だと「不要不急」という一方的な扱いにより切り捨てられることも「障害」の一種だし、ライブハウス・舞台・芸術系ホールで働いている人たちは会場が「3K(きつい、汚い、危険)」のうち「きつい」が多く目立って感じていたのだが、「3密」の影響でほかの二つの扱いも強く感じるようになった。その影響か美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」の物語に見られるような3K労働者(現場系や工業系など)に対する「けがれ」を理由にしていじめられる「障害」もあった。

 そして、ほかの業種でも「今までできたことができなくなる」という事が何よりも「障害」であるという事を感じさせる年だった。

「障害」から脱する

 コロナウイルスの早期終息というのが一番の理想であるが、障害から脱することは選択肢を増やすこと、相手の選択肢を減らさせないことが何よりもいい方法であると思う。たとえばSNSを利用しているときに、いろいろ文字や絵で表現しているアカウントがクレームや言いがかりにより追い詰められて「作品を燃やされる」という現場も見てきた。こういう相手の選択肢を減らすばかりの事は相手に「障害」を加えるという見方になりうることがわかった。

 来年はとにかく選択肢を増やせるような年にしたいと思う。

 皆さま、よいお年を…

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