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Something Lives Matter

 最近、バリバラで被差別部落ルーツについて取り上げた回が4週間、隔週で前編後編にわけたふたつの部があった。

(前の放送についての感想Note)

私は、秋田県の出身であったが、関東以降は事情が違ったようだ。秋田は「部落」といっても差別的ニュアンスがなかった地域であった。しかも、プラスの意味で親しみがある感じで「部落」を用いていて、「土人」があまり好まれていなかった呼称であった。地域ではなく、命に関わる職業の「長吏」に対する差別があったという歴史が語られている。

バリバラでは2020年12月に放送されたタイトルを「Baribara×Buraku」としていてBurakuを「ブラク」と意図的なカタカナ表記をする事もしていた面で、「部落」がプラスの意味を持っていた地域があったことを考えて、その地域と対照的に、特別に「被差別部落だった地域」を指すものとしてカタカナ/ローマ字表記を用いたのだと思った。

 この番組では、北芝地域をポジティブに捉えた前編と三番叟周しが差別で燃やされそうになった過去を取り上げられた後編で構成されていた。これらの放送により、「被差別部落だった地域やそのルーツである人たちに対する恐怖」は拭われたと思われた。

 北芝地域を取り上げた回は、それこそ自分の出身が田舎だったことより、やっぱりどこにでもある地方のように村や集落が協力しあって生きていっている、物を作っていっている感覚は同じなんだな、と。

今、差別の形式は変わったり隠れたりすることに気づく

 今は部落差別は存在しない、と思ったらSNSで苗字にまつわる蔑視や職業・生業に対する蔑視がまだあると被差別部落ルーツにある血統である当事者のパネラーのみなさんが話していた。当事者しか語り得ないような事実が、ここで放送されたのは良かったと思う。隠れた問題が表に出た事で、それを解決する糸口を探ることができる。

「汚れた血が流れた人とは…」という「血」にまつわる蔑視

 この回より前には「緑の血が流れている子どもは欲しくない」と言われた事を伝えたし、「結婚願望があるのに、それを特定の集落や職業だからと否定されるため、生まれた地を隠さなければならない」という問題にも触れていたりした。

 これらの声を聞いたとき、どこかで自分もやられたものにも似ている、という感覚で既視感があった。

 東日本大震災が起きた後、私の家系に放射線医療従事者がいたのと、自分自身もその先祖の影響で興味を持って大学生の頃に放射線にかかわる専攻だったのだが、いわゆる「放射“脳”」とよばれていた人たちによる誹謗中傷がネットを超えて繰り広げられていた事を思い出した。これは、恐怖や未体験から誘き出される差別と言ってもいいものが目立ったのはわかっていても、悲しい気持ちになっいていた。

「X線技師の被曝した体には触りたくない」「放射線を使っている体は汚染された人だ」…

 そういう扱いを受けたのは、バリバラのスタジオに登壇した方が語った事で、差別の対象が「被差別部落」が「放射線従事者」に変わったものだ、という見方もできると思う。

今度は、電子掲示板「ガールズちゃんねる(株式会社ジェイスクエアード運営)」によるコメント中でこのようなことが起こった。

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 マイクロアグレッション(精神科医チェスター・ピアスによると「政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度」と定義される)が積み重なってしまった結果、このように図として現れるようになってしまった。

これも、被差別部落がされていた差別が、差別の対象が「オタク」に変わって繰り返された歴史を刻んでしまった瞬間であるように見えた。

被差別部落は、職業が「食肉解体業」「革職人」「清掃業」などであったことより社会的に隅に追いやられてしまった歴史を持つ場合や、感染症の当事者が隔離された場所、芸能従事者が弾圧を受けて隔離された場所という歴史があると語られたため、厳密には

いま、部落差別は形が変わって残っているもの

として見えてしまう。

差別につけ込んだ差別とその助長

 今度は、被差別部落たちの差別に漬け込んだ恫喝や脅迫という歴史があることについて少し触れていた。登壇者はこんな問題を提起した。

「マイノリティの一部が何かやらかしたら全体が悪者に見られる」

 これは、被差別部落に関しては奈良市の給与不正受給事件と八鹿高校の事件などが挙げられてそれについて被差別部落が悪者視されてしまう、ということが実際にある。しかも、それを狙っていて被差別部落だった地域の権利回復をさまたげるかのように「エセ同和行為」もなされるという問題がある。その「エセ同和行為」は被差別部落だった地域に対する今プラスになった事象にさえ泥を塗るような行為で、許されざる行為だ。

 被差別部落に限らず、マイノリティの一部が何かやらかした時に全体が悪者に見られるということはある。1970年代には悪書追放運動がおきた現象、サブカルチャー界隈では宮崎勤事件、発達障害や精神障害に関しては附属池田小事件や長崎県で起きた少年事件などがその現象として挙げられる。前の自分の記事にも触れていたが、コロンバイン襲撃事件も「ロッカー」や「ギーク、ナード(日本のオタクに近い)」という集団を悪者扱いした点がその一種だった。そして、人種が絡む場合もあり、Black Lives Matterなど黒人権利回復運動の一部が暴徒化して黒人の負のイメージを煽って黒人であることが悪者であるという見方をしている人も出てきているようだ。

このように、悪いところばかりしか見えない状況は逆に差別を煽る状況になっていることえお実感した。それを打開して「褒める社会」に重心を入れることが大事であると思った。

水平社宣言とジェームス・ブラウン、そして人生の謳歌・誇り

 水平社宣言は、日本で初めて提唱された人権宣言で、これもバリバラで放送した内容であった。この内容は、のちに黒人の権利回復運動にもつとめ、音楽の一ジャンルを興していったジェームス・ブラウンの歌と繋がった。

水平社宣言「吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。(原文ママ)」
ジェームス・ブラウン「Say It Loud,I'm Black And I'm Proud」(さあ、叫んで!私はBlackでそれを誇りに思え!)

蔑視させていた対象は違っても、自分たちを誇りに思っていいと言った点で同じである。ここで横のつながりを感じた。

バリバラでは副島淳さんが水平社宣言を読み上げていたが、副島さんは「黒人系アメリカ人とルーツもある」。本当に不思議なつながりを感じ、ジェームス・ブラウンの顔も浮かんで、「お!この宣言は、あのファンク・ソウルの帝王ジェームス・ブラウンも趣旨が近いのを歌っていたやつだ!しかもタイトルだけじゃなく歌の内容も似ている!」と感動してしまった。

 水平社宣言は、当時は女性が議員になれなかった時代の宣言だったため、この宣言は今はアップデートして「男性」以外でもあらゆる人々に尊敬を互いにする考えに変わっていくのでは、という疑問があったが、バリバラに登壇された、関西大で人権問題を研究している宮前千雅子さんがその疑問に答えるかのような説明をしてくださり、水平社宣言の「同情で権力者が弱者に施すような関係しかならないよりも、人間一人一人の尊厳で大事で対等に共感すること」を注目し、Mr.バリバラの玉木幸則さんもそれに答えてくださった。それこそ同情ってのは「感動ポルノのマイナスのイメージ」かな、と思う。そして、番組は全ての人間に何かしらルーツがあるものだしさまざまなマイノリティの横のつながりが生まれてきているし、相手を打ち負かしたりするような勝負よりもまだ多くの選択肢を作って自分の人生を謳歌することの大切さを述べて番組をしめた。

さいごに

タイトルの

Something Lives Matter

というのは、Black Lives Matterからも様々な横のつながりのLives Matterが生まれた事、つまり「Something」には「All」で論点をぼかされないような表現として、色んな立場やルーツを表す言葉が入り、色んなありとあらゆるルーツの人生を尊厳ができる事を願うのと、構造的な差別は人種のみならず色んなところに波及しているのでこれを減らせるようにという意味もこめてつけた。

「Otaku Lives Matter」「Cosplayers Lives Matter」のように、2014年に日本のオタク文化に親しかった黒人のダリエン・ハント氏が警官に射殺された事件(★1)と、その時に共に起きていたオタク差別やコンピュータ系従事者に対する差別や芸術表現に対する攻撃まで伴っていたゲーマーゲート論争で負の扱いをされたこと対して抗議するために「黒人」と「オタクとサブカル界隈」と「コスプレイヤー」、「ゲーマー」そして「表現者」たちがともに向けられた構造的な差別の解消を訴えた運動になったものもあった。これは「Black Lives Matter」と横のつながりができた事象でもあった。構造的な差別を減らすような運動は、ありとあらゆる場所に繋がっていった。
 2020年のBlack Lives Matter再燃時に複数のゲーム・アニメ業界が動いて支持を表明したのも、その歴史をふまえると自然だったのだ。

(★1 リンク先参照、英語)

ほかにSomethingの部分に入ったものは少なくとも私は、「Trans」「Weeb」「Woman」「Disability」「Mental」などを確認できたし、問題の本質がたくさんに向けられていることもわかった。

それぞれの個々の人生に尊厳を大切にし誇りをもって、その人生を侵されない社会を願う。

そして、Noteを完成させた今日はジェームス・ブラウンの命日、彼の功績を讃えて祈りを捧げる…

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(※両方続けて見ないと本質が見づらい回でした。やはりこの番組は30分だと足りない気がします。)


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