見出し画像

職場でも、学校でも、「0027夜 一人一台必要です。ですが!」

今朝、たまたま見ていたテレビで「小学校の教科担任制」推進の話題をやっていました。隣のクラスも学年は全部受け持ってくれる、「音楽の先生」をいろいろな教科に広げる、小学校の中学校化のイメージのようです。背景には理数系教育の充実があるらしいことを言っていました。
必修のプログラミング教育導入も大きな要因のようで、プログラミング教育については稿を改めていろいろ言いたいことを書く予定ですが、関連して今夜は「一人一台端末」について書きたいと思います。

当然です、一人一台。だが、でも、しかし

仕事場でも、教育現場でもコンピュータの一人一台は当然だと思います。道具として不可欠な存在です。しかし、一人一台を実現しようとすると問題になるのが、「全員に同じものを調達して与える」ことなのだと思います。
「パソコン千夜一夜物語」で主題にしているパソコンはパーソナルコンピュータ(personal computer)のことで、英語圏ではPCと呼ばれています、一人一台が前提だと言えるでしょう。職場の話はとりあえずおいておくとして、教育現場ではどんなことが起きるであろうかと考えると、予算の中で全員に同じ機械を配付する(不特定に対してではないので「配布」ではなく「配付」ですね)には、何を選定するか、という話なのだと思います。そこで、「PCではなくタブレット」などという発想も出てくるのだと思います。
あるいは、文部科学省の「GIGAスクール構想による1人1台端末環境の実現等について」を見てみると「教育用コンピュータの台数」(端末1台あたりの生徒数)を問題にしているので、コンピュータ室に1クラス分のパソコンを用意して、関係する教科でそのコンピュータ室を利用することを想定しているのかもしれません。

全員が同じ端末(ハードウェア)を持つことが良いことなのか

筆者の疑問は、クラス全員、学年全員、学校全員が同じ端末(パソコンなりタブレットなり)を持つことが良いことなのか、必要なのか、という点です。まるで、リコーダや鍵盤ハーモニカ(一般名「ピアニカ」)のように、、、
確かにそうでないと確実に「いじめ」が起きるということはあるかもしれません。筆者はいじめは絶対になくすべき課題だと思いますが、「違いがいじめの原因になる世の中」の是正が本質だと思いますので、「いじめをなくすために全員同じ持ち物を持つべきだ(全員同じ制服を着るべきだ、全員同じ黒い直毛の髪の毛であるべきだ、全員同じ給食を残さずに食べるべきだ)」という立場はとりません。
パソコンやタブレットは一人ひとりが持つから意味がある道具ですから、極論すれば何だって良いのだと思います。問題なのは、鉛筆や消しゴム、定規やコンパスと違って高価であることでしょう。(そしてちょっと乱暴に扱うと壊れやすいことも高価であるがゆえに問題になりやすいことです)

全員が同じでないと困るのは、先生が困るから

反論が聞こえてきそうです。「同じパソコン(あるいはタブレット)で同じことを教えてもらわないと差がつく」と。そうなのでしょうかねぇ。同じことができればそれで良いのでしょうか。パソコンなんて道具ですから。あなたがやりたいことは他の人と同じなのでしょうか、と思ってしまいます。
筆者は、「パソコンは道具である」という立場を明確にした上で、「例えばパソコンの使い方は、調べ物をする(インターネット検索)、文章を書く(ワープロ)、計算をしたり見積書を作る、あるいはちょっとした住所録を作る(表計算ソフト)、デジタル写真を整理したりトリミングする(ファイル管理と画像アクセサリ)」の例示と場合によっては多少の指導をすれば充分で、あとは、教科ごとに「これパソコンを使ってやってみましょう」と教科に関係なくやってみれば良いんじゃないかと思っています。自然と理数系教科でパソコンを道具として使う機会が多くなるだけなんだと思います。
機材はどうするか。私物の持ち込み可で、理由のいかんを問わず、学校の備品も利用できるというのが理想です。同じものを全員分そろえずに、WindowsもMacもまぜこぜにして、さらには個人的にはLinuxとRaspberry Pi(ラズベリーパイ)なんかもまぜこぜにしたら良いのだと思います。
授業中の機材のトラブルは、「ちょっと隣の人に見せてもらって、触らせてもらって」、それで良いのだと思います。(コロナ禍では難しい?)

結論として学校では、「特定のパソコン、特定のOS、特定のソフトウェアを使わなくてはできないようなこと」は、やらなくても良いのではないでしょうか。
インターネットブラウザがあれば、ワープロ機能、表計算機能が使える世の中でもあります。「ワード・エクセル主義」はいい加減にやめたら良いとおもっています。
「全員が同じでないと教えるのに困る」というのは、先生の立場ですね。
でも、先生は別に完璧に教えられなくても良いのではないでしょうか。

「Macは違うの?先生に、みんなに教えて」

私は、Macintoshをほとんど使ったことがないので実際のところはわかりませんが、「まぜこぜの一人一台」教室で、それでは、どう教えれば良いのでしょうか。唯一の答えではありませんが、例示してみましょう。
インターネットの使い方を例に取ると、WindowsでEdgeなら使い方が分かる先生は、「WindowsでEdgeだとこうです、みんなやってみましょう」と言えばよく、生徒は「そんなことは知っているよ」とか「MacはSafariだよ」とか声があがって良いのだと思います。

2021年1月27日のコメント

筆者の意見を書いてみました。必修化されたプログラミング教育の導入についても似た論調の意見ですが、後日改めて「パソコン千夜一夜物語」で書いてみたいと思います。よろしくお願い致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?