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家族の老いを考える

実家に帰る度に、父の老いを実感する。
物が溢れたリビング、紙で埋もれたダイニングテーブルは昔から大嫌い。だけど、今の父親の年齢と状態、そして元来の頑固な性格を鑑みると、無理強いはできない。もう、最後までゴミ屋敷状態なのかもしれない。


数年通っている病院でも、母親が医師に呼ばれ、父親は介護認定を受けたほうがいいのではないか、と勧められたそう。
親の老化の様子を見聞きする度に、私は現状の休みやすく動きやすい仕事を変えることが難しくなるな、と感じる。在宅の鬱っぽさでしんどくなってる場合では無いのかもしれない。親の変化でいちいち凹まずに、内面を強くしないと。


私は私で、在宅勤務で引きこもり、ロクに人と会話をせずに、趣味で何とか命を保っていられる状態になっている。
家かスーパー、図書館ぐらいしか行かず、母親以外と会って話すことがない父親と、もはな同じではないか。これじゃあ、まったく人のことが言えない。

現実世界での会話がないと、人間は急激に老いることを、父親の姿と自分の実体験で強く痛感する。もう少し交友関係、属するコミュニティを増やしたいところ。

真夏でも冷房も拒否し続けた父親の介護、介助がもう目の前に差し掛かっていることを考えると胸が痛い。
けれど、誰しもが通った道だし、ヤングケアラーの方々は、きっと一番自由で楽しい時期をサポートに費やしていたかもしれない。私だけでは無い。今は先人たちの情報が調べられるありがたい時代になってきた。


今まで何億回も気持ちを振り回されてきた、性格が真逆の母親ですら、やはり老いを感じる。この人の介護を考えるのが、正直一番キツそうだ。我儘を承知で、どうか住まいだけは別にしたいと思うのは親不孝かも。

頼れる親族、歳の近い理解者が周りにいないので、とにかく早く地域包括支援センターなど、利用出来るサービスをフル活用して、家族も自分も潰れないようにしたいなと思った。

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