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凡庸”オーディブル”雑記「騎士団長殺し」感想と感傷

1ヶ月試聴をしているオーディブル。限られた時間の中、気になる作品を聴けるだけ聴いてやろうと、邪な貧乏根性で、せっせと、聴いている。

車の運転途中、歩いている最中、仕事でディスプレイと睨めっこしている時、そして、一人の夜の布団の中。腱鞘炎で苦しんでいる手に、iPhoneやiPad、Kindleなど持つことなく、両手をだらんと布団に伸ばし、寝転がり、快適に文化的体験が出来るのは、なかなかの至福。

それこそ肌身離さず、聴き続けた。


手始めに『爆弾』を聴いた。長編小説なのだけど、偉くも、無事、飽きずに聴き終わる。聴いているだけなので、内容が頭の中に入ってくるのだろうかと危惧したけれど、意外に聴くことで頭に入るタイプの人間だったようで、十分理解し楽しんだ。


次は何を楽しもうかと思案して、かの有名作家の作品にする。
村上春樹の「騎士団長殺し」だ。


なんとも短絡的で、安易な選択。とりあえず、まずは村上春樹。が、僕の趣向なのだら、仕方がない。


言わずもがな、この作品も長い。「爆弾」よりも圧倒的に長い。2部あり、それもそれぞれ上下。これこそ、挫折するのではと、不安に苛まれた。でも、あらためて、痛感し、感心したのだけど、彼の文章は聴くにもってこいのたおやかさを持っている。


文章全体が、交響曲や協奏曲、渓流のささやきのように心地が良い。BGMがわりに延々と流していても、苦にもならなく、心地よい。そして、不思議なのだけど、話の中身が入ってくる。不思議な魔術のような、文章が、これが、彼が愛されている重要な一欠けなんだろう。そう思う。


でも、聴き始めると、その中身には、思わず心が引っ掛かる部分が、心地よさを打ち消すように現れる。そりゃ、確信犯的に。


とにかく、モノのうんちくやら、具体的なメーカー、製品が臆面も出てくる。大体はその辺ぼかして、青いスマートな車とか、ヨーロッパの有名オケのオペラとか、かなりぼかして登場させるのだが、本名で出ています。って、感じ。


それだけならいざ知らず、本名を出した上に、ダメ出しをしたりするから、なんとも豪胆。そして、自らの徹底的な感性の自信を知る。


この辺が、物語の冒頭から、ふんだんに出てくるから、もうそれで鼻白んで、拒否してしまうのだろう。ここが、面白がれる人と、文学とはこういうもんじゃないんだと、固く拒む人が出てしまう原因なのだろう。きっと。


僕も、いい歳して、こんな場面を読んでしまうと、固くなった頭が、(このカッコつけ!)と、四方八方に千々に乱れてしまいそうになる。それをなだめつつ、彼の豊かで芳醇な言葉の流れに身をひたしていると、あら、不思議。この辺で勘弁してやろうと、傲慢にもこの作品を、彼の作品をすんなりと滑り込ませる意識の中へ。


異世界ばやりの昨今。アニメの世界では一般的。


紛れもなく、文化的な文学作品である彼の小説が、アニメの異世界ものと同じとすれば、彼から、彼を愛する人々から,非難の放火を浴びてしまうかもしれない。だけど、猫耳や美人のエルフが出てくる異世界なんちゃらアニメと、どうしても親類縁者のような気がしてしようがない。


あの世とこの世。うつつとまぼろし。これが、スッと混ざり合い、入れ替わり、違和感がないのが摩訶不思議。この辺の感覚がとても面白い。そして、気に入らない人もいる。なんだか、ちゃんとした文学小説とは、一本ずれている。それこそ、異世界ライトノベルの香りがする。

もちろん、彼が、ライトノベルを模倣したのではなく、間違いなく、異世界ライトノベル側が、そこはかとない村上異世界を手に入れたのには違いない。と、思う。それと、そんなことを言っていた、評論家がいた。真意はともかく。


この作品「騎士団長殺し」は彼の異世界が、ふんだんに解放されている。もう高齢のはずなのに、このみずみずしさと、青臭さは一体どうしたもんだろうか。芯の部分が、変わらない滴り落ちるほどのみずみずしさを保っているのか。


最近過去の彼の作品を数冊読んだ。青臭さ、みずみずしさは、彼の物語の貧弱さではない、もちろん。良くも悪くも(悪いのか?)永遠を感じさせてくれる。彼は、変わらない才能を感じる。それに、過去の作品より、確かに言葉の練度が上がっている。(偉そうに、そんな気がするだけなのに)


鼻につく、うんちくや、金あり、才あり、それでいて不幸の彼の物語が、普通ならば、憤慨して、閉じて投げ捨ててしまいかねない物語なのに、やれやれと、延々と聞いてしまうのは、彼の、たおやかな流れる小川のごとくの言葉のつながりの優雅なやさしさなのかもしれない。頭も、背格好も、運動も、成績も、そして、それを凌駕する優等な性格も持っている、苦々しくも愛おしい友人のような。


かなり長い作品だけど、AirPodsを外せず、散歩、仕事、運転、食事などなど聞き続けていても、生活への抵抗が無い。不思議なのが、紛れもないながら聴きなのに、内容が頭の中に残る。これも、摩訶不思議なところ。


この物語。あの世とこの世、多彩に物語が進み、魅了される。だけど、不安になる。彼のことだから、散々人を惹きつけ魅了させて、結末は、呆気に取られるほど、身勝手にシャッターを下ろすのでは無いだろうかと。前読んだのがそうだった。こんなところで終わるんかい!と、憤まんやる方ない。行き場を失った欲求の処理に数週間苦しんだ。


あまりにも、調子良く、最新のマセラティのよう(村上風表現)に疾走していた分、不安が夏休みの積乱雲のように浮かび上がる。いったい、どうするつもりなのだろうか。


が、不安は杞憂だった。


多少の理解不能なところもあるが、それなりにちゃんとした着地点を見つけて、提示してくれた。結局、どうなったのか不安で眠れない、なんとことはなく、収まるところに素直に収まった。ほんと、良かった。安眠できる。
そんな感じで、もう、村上春樹なんて知らないんだから!と、決意しつつ、結局は存分に楽しんでしまった。哀れの男の物語である。

そう言えば、これも重要なところだったのだけど、朗読者が高橋一生だった。とても、長い物語を、とても、良い声で読み切った。これも、この作品を肌身離さず肌身離さず聴き続けることができた、一つに違いない。

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