「チェンソーマン」の未来
あんまり世の中の諸問題に比べて、取るに足らない個人的なことだけど、あんまりにも衝撃を、それも悪い方向で受けたので、急遽書いてみようかなという話。
今期のアニメで、(いい年してアニメかよと想うのだけど)絶対的に、徹底的に、My No. 1は「チェンソーマン」だった。
ぼっちざロックとか、ガンダム水星の魔女とか、面白い作品はあったが、それらが定番のアニメを踏襲し安定しているのに比べ、チャンソーマンは完全に別世界の創作物だった。
外人のレビューで、海外ドラマのHBOみたいだと言われている通り、海外ドラマをそのままのような演出。日本アニメのお決まり事から一線を画す画期的な作品で、僕自身はマンネリ化したアニメの表現を飛躍させる挑戦的な作品として、月並みだけど、とても感動し興奮しながら、毎週楽しみに観ていた。
興奮した気持ちを誰かと分かち合いたいために、観た後必ずYouTubeの海外レビューを五つも見ながら、自分の感動が世界的な標準であると、自画自賛していた。
通常行う製作委員会方式を取らず、監督もスタッフも、演者も若く新鮮な人を集め、想い通りにアニメの先を見据えた、画期的で挑戦的な作品を作り上げた。僕としては、その気持ちと行動が無性に嬉しかった。
どこか、僕が幼稚園の時にリアルで観た、ファーストルパン三世(とんでもなくすけべで変態でガキがみるもんじゃあないものだった)や、仮面ライダー(これ、も本郷猛の一番最初のすごく陰気なやつ)、それと、ウルトラセブンか。そんな、予定調和では収まりきれない。創作者のキレた才能と、強い志を感じていた。
その時の興奮が思い出されて、まだまだ、挑戦的な創作性の息吹は日本に残っていると、涙がちょちょぎれたのだった。
だけど、僕が興奮し、頭を撃ち抜かれたどの作品も、押し並べて当時の世相からは評判がすこぶる悪かった。ほとんど無視に近い対応で、世の中から静かに消えていった。僕の興奮と世間の冷静の差に、子供ながら愕然としたものだった。
基本的に僕の精神と感性は、よっぽど天邪鬼にできているのだろう。世の中が正しいと太鼓判を押す才能には、僕の心は響かず、隙間に押しのけられた、辺鄙な才能にわざわざ目を向けてしまう。
で、「チェンソーマン」も、僕の天邪鬼の視線が注がれた作品。
それは、世の中には冷静に冷淡に受け止められるもの。全てじゃないけれども、そんな色合いが強いかも。
今日、いつも聞いているポッドキャストを何気なく聞いていたら、アニメ関係に強い演者が今期の作品のことを語っていた。絶対、一番には「チェンソーマン」が来るでしょう。
あの感動と興奮を、語ってくれるでしょうと、期待して耳をそば立てたが、意に反してぼっちざロックを延々と語っていた。それも、彼だけの意見ではなく、圧倒的にリスナーの評価も高いらしい。もう、ダントツ。
それじゃ、「チェンソーマン」はどうだった?と言うと、さほど高くない順番で語られ、その語り口も、本当に冷静で冷淡で、今一歩入り込めずに中途半端で終わったね。次あるかどうかわからないけど.................。てな感じ。
それと、ネットニュースでは、円盤が全く売れておらず、大赤字で二期も危ぶまれているとかいないとか。げっ!世の中ではこの作品、こんな扱いなのか、僕の感性は正真正銘のゴミクズだと証明されてしまったのか。と、少なからず衝撃を受けてしまった。
もちろん、当たり前にぼっちざロックは面白い。普通に面白い。今の日本アニメの技術と才能を盛り込んだとも思う。楽しく最後まで観た。
だけど、僕個人は隅々まだアニメのお決まり事を、越えようとした、純粋な才能の挑戦と感性への信頼を推したい。そう、思っている。
確かに、受け入れられるかどうか、ギリギリの線を狙って、打ち込んだところもある。延々とつづく日常の細かな描写とか。これなんかは、展開が早く、場面やセリフとテンポよく繋げていく、スピード感のあるアニメとは真逆。
なんだこりゃ?とそっぽを向かれるだろうと、僕も思った。だけど、そこが面白いと強く感じたし、それだからこそ、予定調和を覆す旨みがあるのだよ。と、言いたい。
だから、この作品が世の中から消えて、二度と天邪鬼な表現方法を、怖くなって取らなくなることが本当の恐ろしく、悲しい。そして、この作品の二期が作られないことになったら、それこそ日本の表現の術が削られると心配しているのだ。
それにしても、やっぱりまだ、円盤の売り上げで作品の良し悪し、成功失敗が評価されるのだろうか。動画配信が日常になっているし、今や、世界で観られているから、クラウドファンディングなどで、資金を集めたり、それこそ、アラブの石油大富豪にお金を出してもらったり、資金集めを多方面で画策しなくてはならないのではないだろうか。
ついつい、興奮して書いてしまった。たわいもない内容だし、人が感じる内容は千差万別。ちょっとしたことで、心に深く残ったし、些細なことで拒絶したり、真理も何も世の中には有りはしない。
巷で大絶賛のぼっちざロックにしても、僕は主人公のオドオドした態度と、どもり気味の喋りがどうしても生理的に受け付けず、皆のようのはのめり込めなかった。こんな、私的な偏屈な感想で、いい悪いを個人的な範疇で判断してしまう。
所詮、娯楽作品。自分がどれだけ楽しめたが問題。そうなれば、どんな感想も正しい。何せ自分が楽しめたのか、楽しめなかったのが、基準なのだから。
ただ、「チェンソーマン」が取り組んだ、表現の方向は願わくば、消えずに次も、そのまた次も、脈々と受け継がれて欲しい。そう願っている。
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