凡庸雑記「多面」人は多くの面を見なくてはいけないと思う夜更け
人の良し悪しははっきりと決めることができない。
接しているとなんとも心地の悪い思いしかしない人間でも、ある面、ある人、ある事柄に関しては、神様仏様になる。
これを踏まえて、世の中は動いている。
今日、妻がようやくパートを辞めた。前々から体の具合が芳しくなく、仕事も年々パソコンというかIT化(古い過去の表現?)が進みついていけなくなったり、少数だけど、人間関係にあくせくしたりして、辞めたいとぼやいていたが、誕生日を機に一旦は区切りをつけることにした。
いよいよ彼女が会社を去るとき、華々しい花束をもらい。集まった多くの社員から、今までの感謝と、辞めることへの名残惜しさ、これからの多幸を祈る言葉で、晴れやかに送り出された。
彼女は、よくこんなことがある。何か、人や組織と関わると、一定の期間過ごすと別れの時に盛大に惜しまれる。それだけ、名実ともに内容のある関係と結果を残したのだ。
残念なのが、一つところで、さほど長続きしないことなのだけど。
これほどまでに、世間様から認知されている彼女。だけど、とにかく、共に暮らす人間としては、面倒なことが多い。うるさくて、煩わしい場面が多数ある。それに、趣味が全く合わず、そのことで対立することが多々ある。
家に彼女がいると、高出力のアンプとスピーカーの合わせ技となり、耳の具合が悪くなりそうになる。
彼女が居ない、休日の家は、天国は今この場所に違いないと思えるほどの、開放感と静けさ、それと自由に満たされる。
時々、ヘキヘキとした思いを抱えて、もう、人生の残りの命の方が少なくなっている今、慣れというか、ようやく人生を諦めることが出来るようになり、このまま、静かにもどかしくフェードアウトしていくだろう、人生がと、傍観し考えている。
こんな、さほど好ましくない感情を、彼女に抱いていても、彼女の少なからずある、実り多い惜別の場面を聞くに、僕の見えない一面では、聖女のような輝かしい信頼を、身の回りに放出しているのだろうと知る。
こんなことを考えると、今も、どうも、やっぱり、どうしても、人の多くの面を見なくてはいけないと思う。心の内で、広く、柔らかで、芳しい、余裕と希望を持たなくてはならないと誓う。
でも、相変わらず彼女の怒鳴り声に、はらわたを煮えくり返している、心の狭い僕だった。仕事で疲れて、柄でもないことを、ぼやけた頭で考えたら、こんな絵空事を書いてしもうた。
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