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「PERFECT DAYS」(パーフェクト・デイズ)


やられた、考えた、胸打った。

監督が「ベルリン・天使の詩」のヴィム・ヴェンダース。主演は役所広司。その他、個性的な役者の面々。どうしたって興味惹かれる。

しかし、地味な映画。早く観ないとあっという間に上演が終わりそうなので、1月1日年のはじめに観てきた。

びっくりするぐらい変わらない物語。

映画の初っ端。淡々と初老の男のトイレ掃除夫の生活を見せられて、これはちょと、良くある芸術系の凝った地味演出の連続かと、不安になった。昔の名画座でよくかかっているような。

おまけに、映画の画角がアナログTVみたいな4:3。より一層、不安が募る。いったい、この映画に僕はのめり込めるのだろうか?

その中で、物語が進む。

そして、着実に不安が視野から消えて、映画の中に入り込んでいく。気がつけば、どっぷりと深く心地よく、主人公の生活と同化していた。

主人公の行動で、強く共鳴したところがある。

仕事の合間、ふと視線を彷徨わせ木々の木漏れ日や、揺らぐ影を見つめる。美しさに少し笑みを浮かべる。ここが僕と似ていると笑みを浮かべる。

この主人公の世界。映画だから、もちろんなんでもない、起きて、トイレ掃除して、寝るなんてだけだと、全く、見るに耐えないものになる。

だから、何かにつけてだらしない同僚とか、理解を超えたファム・ファタールのような女の子。家出少女。異常なほど歌の上手い小料理屋のママ(この歌を聴くだけで価値あり)。それに、不思議に踊りの上手い浮浪者。などなど、彼の人生に触れてくる人々が出ては消えて、物語に彩りを添える。

美しくも、苦しい、喜びと、悲しみ。その、積み重なりがこの物語の妙。

観ながら驚いた。さまざまなことが彼の周りで起きながらも、徹底して、彼自身の今は変化しない。何か、新しい利益を具体的に得たり、より悲劇的な環境に陥ったり、特別未来に対して、夢見て行動を行ったりすることは全くない。

映画の中で、彼が語るが未来を見るのでなく、”今”をそれだけを、生きている。(家出少女との語らいの中で彼が語っている)

この、映画の徹底した傍観性。冷静な視線。若干の悲劇。それら視線は、どこか既視感あると、考えたら思い出した。そうだ、小津安二郎だと。

ヴィム・ヴェンダース監督は、小津安二郎を敬愛している。常々、小津の表現や内容を素材に取り入れている。この作品には、特に色濃い。

色濃いどころでなく、小津の核となる部分を、同じ東京と言う素材を使って、確信的に取り組んだ感がある。

主人公のまわりで、多くのことがすれ違い、彼自身にも、関わった人々にも、多くの感情を呼ぶ。だけど、夢見るような変化は無い。主人公は相変わらず、変わらぬ朝を迎えて、歯を磨き、髭を整え、ドアを開けて、空を見上げて微笑み、カセットで音楽を聴きながら、早朝の首都高を走る。

容易な、未来を与えない、背筋が凍るほどの現実に、感動した。

東京物語を見た時に似た感じだ。

で、この映画の気に入ったところをつらつらと。

とにかく、音楽がいい。

主人公が車の中で現場に向かうときに、カセットテーブで音楽を流す。この音楽が、素晴らしい。彼の、センスの良さと、本質的な知性的な部分を感じさせる。小気味いい演出。

もちろん、俳優たちの演技も一見の価値有り。

不自然な演技もなく、上手いなぁと感心する。海外とのスタッフとのやりとりでなのに、演技は万国共通だろう。(凄く陳腐か)

色々、良かったところもあるが、とりあえず、こんなところで。

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