見出し画像

凡庸雑記「迷い」ChatGPT(チャットジーピーティー)は希望か悪夢か


人生は迷い悩むことが多い。悩むために生きているようなものだ。

こうして、今文章もどきを書いているが、これは、自分にとって必要なことなのか、自分自身の価値を高めるものなのか。それとも、全く無意味で無価値のお遊びなのか。

こんな感じで、人生というのは悩みが多い。迷いが続く。

だから、人は絶対的な何か、真理みたいなものを、心理的に望んてしまうのだろう。宗教だとか、思想だとか、絶対的独裁者とか。

が、そんな悩み多き人生も、とうとう終焉を迎えるかもしれない。

今、テレビでもYouTubeでも、近所のおばさんの井戸端会議でも、(それはないかも)ChatGPT(チャットジーピーティー)の話題で持ちきりである。

これぞ、世界を一変するAIの大本命。人が願う様々な事柄を、選択し、食べやすく差し出してくれる救世主もどき。誇大広告のような、スティーブン・スピルバーグのSF映画のような、空虚な空想ではない。

基本的ないろんなことを入力すると、それを咀嚼して、回答を吐き出す。試験の答えも、面倒な論分も宿題も。人類は頭を空っぽにして、従えばいい。

と、適当に書いている。まったくなんだか、どんなか、分かっていない。あんまり世間が騒いているので、少しばかり気持ちが引っ張られただけの話。

でも、考えた。

四六時中、悩んで、悔やんで、戸惑ってばかりの人生。嫌になるというか、なんのための生きるか、苦悩ばかりの人生ならば、お天道様の下で生きる価値はありやなしや。つまらん問答は永遠に続く。それが人生、されど人生。

そんな、戯言そのもののも、チャット何がしのおかげで霧散するかもしれない。

今や、趣向や思考、行動や知性、隅から隅まで、ログが残る。Netflixでイカゲームを観た後、調子に乗って、今際の国のアリスを観る。今度は甘くて苦くて、やっぱりとろける旨味のファーストラブを。

サファリを立ち上げては、どんな話題を検索して、開いてどれほど見ていたのか。

Amazonや、楽天でどんな品を検索しては、どんな品を結果、買うに至ったのか。

ブログでは何を書いているのか、どんな、写真を撮って、載せているのか。

Apple Watchを仮につけていたのなら、肉体的記録が、それこそ恐ろしいほど克明に記録される。歩数、脈拍、ゆくゆくは血圧、血糖値。そして、睡眠。

もっと気色悪いのは、GPSでいつどこへどれだけ行ったのか、すべて分かってしまう。

これら、かき集めた、僕自身の膨大な情報を、すべて、一切合切、漏れなく、気前よく、ChatGPTにぶち込んだら、もしかしたら、現実的にも精神的にも、社会的にも紛れもない天国ってやつが顕現するかもしれない。

未来というやつをよくするために、何をするのか、何を学ぶのか、と、悩んだとしても、すぐさま、あなたはこれこれこうゆう才能と、それに対する趣向的相性が抜群なので、今からAmazonで、この参考書を購入し、計画した内容を元に、毎日、何時間学ぶ必要があると、身勝手に自信を持って、導いてくれる。

今から、顧客に営業訪問するが、何を話そうか、何を提案しようかと悩んでいても、この話題をこのように話せばいい。すでに文章は作っているので、これを元に資料を作り提出すればいい。

なんて、ああだこうだ、こうしよう、ああしよう。死ぬべきか、生きるべきかなんて、シェークスピアの戯曲を陳腐にしたみたいな、迷いから解放される。

本当に、心安らかな、未来を信じて、日々、澱みなく生きていける。はず。

これぞ、どこかのSF小説で読んだ、感情の無い、規律のある整えられた、すばらしき世界が現れる。きっと、無味乾燥で細菌も現れることもない。清らかな世界になるのだろう。悪夢のような。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?