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凡庸雑記「考える」


考える時間を持つことは大切だ。
そう、誰彼なしに言っているが、現代、僕に限らず真の意味で考える事が出来る時間と場所を得るのは至難の業だ。

強く気持ちを固めて、前後左右、未来過去を考えると、意識しないと、ありとあらゆるものが、考える場所と時間をかじり尽くす。

今、こうして一人、家族の買い物に付き合わさた車の中で放置されているが、こんな時こそ、明日の雑務や、その後、山のように予定されている仕事、見積やら報告、手配、依頼などなど、それに、趣味の写真や、次、買いたいMacの事など、山の如くある考えるべき事を静かに思案するには、絶好の機会である。

でも、僕の手の中には幸福にもiPhoneがある。考えるよりも楽しい事があることを教え、示してくれる。

ニュースアプリで、世間の刹那な情報を舐め、YouTubeでさまざまな有名無名の頼れる知識を楽しみ。飽きたらAmazonやNetflixで、世界中の創作物に触れる。

もう、僕の人生からは、考える場所や時間は放逐された。

問題は、放逐されてしまっても、僕の人生は、僕が考えなければならない面倒ごとが残り続ける。

これも、iPhoneかGoogleか、どこかの誰々が、やってくれたら良いのに。

もう、人生終わっているか?こんなこと考えいるんだから。少しは、考えなければ。

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