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凡庸雑記「年賀状」神聖な呪縛か魂の絆か
今日一日をめいっぱいかけ、やっとの思いで年賀状が終わった。
毎年、二日酔いの朝、カーテンからのサンシャインを浴びながら、「くそうおー、もう二度と酒なんか飲むか〜!」なんて、つぶやくドラマの主人公になったような、最悪の気分になる。
あゝ、酒飲めないから、二日酔いのくだりは、あくまでも妄想、理想、憧れなんだけど。
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そう、年賀状ってやつは、僕をこれ以上無いほど、ぐったりと疲れさせる。
たかが、葉書を書くだけなのに、どうして、こうして、人生を浪費するのだろうか。何か、歴史的に日本人にかけられた呪いの一種かもしれんと、あまりの苦しみゆえに、真剣にそんな都市伝説のような想いに囚われてしまう。
普通、メールとか、郵便や、ファックスなんかで、嫌になる程、言葉を放り投げ散らかしているのに、同じようなものなのに、どうしてだろうか。
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やっぱり、考えるに、思いつくに、一年を決定的に決めてしまう呪縛が、送る人、受け取る人の間で、交換されるからではないだろうか。
今や、日常から消えて久しい、霊性みたいな、誰かが勝手に決めて広めた宗教とかじゃなく、もっと人の命の奥底から契約された神聖な絆ような。
そうでないと、どうしてこんなにも魂が消耗するのだろうか。
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あゝ、年賀状なんて来年は絶対、必ず、決して、書かないぞ!と、今は頑なに決意しているけど、来年の年の瀬には、魂がそわそわ落ち着かなくなるんだろう。
命の奥底から、人の血の歴史から、脈々と繋がれてきた、神聖な呪縛によって。
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