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恭庵書房のオススメ書籍 2021/9

竹内 洋岳『下山の哲学──登るために下る』

登頂はニュースになる。しかし、山頂は行程の半分ですらないかもしれない。極地を歩く登山家の重みのある言葉が満載の一冊だ。最後まで、自分の力で降りきるしか道はない。だから、場合によっては山頂がそこに見えていても撤退を決断することもある。山と己を熟知しているからこそできた、8000m峰14座を登頂(して下山)のすさまじさ。
僕は登山もトレランも初心者だが、2019年秋にウェールズのトレラン89kmで、暗闇の中を歩くのが恐怖で初めてリタイアを考えスタッフに相談した。「リタイアしてもいいけど、自分で帰らなきゃだから同じだよ」と言われ一瞬絶望したが、おかげで却って奮い立った。イギリスのトレランは地図は渡されるが、コースは明示されていない。地図を読むしかない。
僕の話はいいか。次に進むために、下山することが絶対に不可欠だ。気を抜かず、次を考えながら慎重に進む。事業でも、イベントでもそうだ。盛り上がりのピークだけでなく、終わるまで全力を尽くすべきだ。


ジュディス・ヒューマン、クリステン・ジョイナー『わたしが人間であるために: 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』

障害者を健常者と同じ、人間であることを求めて活動してきたアメリカ人の自伝。インクルーシブという言葉を聞きかじって共感したり、たぶん他の人よりはほんの少し障害者と交流した経験はあるけど、日常的にはほとんど見えてこない。状況を変えることは本当に難しいのだと思う。でも、このような本が出版され、邦訳されたことは、日本が豊かな心を持つ国になるための一歩になると思う。
不慮の事故の可能性だってあるし、歳を取れば多くの人は障害者になるか障害者と似たような状況になる。将来の自分と社会のために、「障害者として生まれてよかった」人のストーリーを読んでみませんか。
タイトルの「私たち」は、障害者全般でなく人間全員のことだ。

世間があなたを三級市民として見ているとき、まず必要なのは、自分自身を信じること、そして、自分には権利があると知っていることだ。次にあなたが必要なのは、共に反撃をする仲間たちだ。(p.103)
考えてみてほしい。あなたが学校で私たちに出会わなかったなら、それは私たちには入学が認められていなかったからだ。職場で私たちと出会わなかったなら。それは私たちが物理的に職場にアクセスできないか、雇ってもらえないからだ。いつも使っている公共交通機関で私たちに出会わないなら、バスや電車がアクセシブルではないから。レストランや劇場でも、同じ理由で私たちの姿を見ることがないとしたら−−だとしたら、日々の生活の中のいったいどこで、あなたは私たちと出会っていたのだろうか?・・・おそらく、テレビの中だ・・・。
(p.154-5)
現状を維持したい人たちは、「ノー」と言いたがるものだ。この世で、特にビジネスと金融の世界で一番簡単なことは、「ノー」と言うことだ。でも、今私たちは公民権の話をしている。そして、費用面を理由に疑問視された公民権など、聞いたことがなかった。(p.223)
変化というものは、私たちが思うようなスピードでは決して起こらない。人びとが一緒になって、戦略を立て、分かち合って、あらゆる取っ手に可能な限り手をかけてみて−−そうした年月の積み重ねがあって、初めて変化は起こるものだ。少しずつ、苦しいほどゆっくりではあっても、物事は動き出す。そして、ある時突然、まるで青天の霹靂のように、変化は起きるのだ。(p.266)
私たちの政府は常に変化している。政府は、ある一部の集団により形成され、同様にある集団によって変えられる。このことは、私たちに次のような選択肢を示している。私たちは、自分たちが信頼できる政府をつくる国民でありたいのか。それとも、自分たちの前に現れたどんな現状もただ受け入れるだけの国民でいたいのか?(p.295)


岡田 斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』

25年前の本、とは思えないぐらい、「いま」を的確に描いていて驚いた。自由経済競争社会の次に自由洗脳競争社会が来るということ、政治に意味がなくなることなどなど。読んでいてなるほどと思う。パラダイムの転換と、過去の人たちへ優越感を持つことの誤りが、とても納得できる。
すでに絶版で、Amazonだと1万円以上。でも読んだ方がいい。図書館等へどうぞ。2013年に『評価経済社会』という名で再販されたらしい。が、目次を見ると微妙に改訂されているみたいだし、洗脳という言葉のイメージが変わったとはいえ、それを評価経済という言葉に置き換えているところで原書のインパクトはなくなったと思われる(読んでないが)。アマプラで無料だからとりあえず目を通して見るとよいでしょう。


川内 有緒『晴れたら空に骨まいて』

一般的ではない生き方をした人たちが、個性的な弔いをされたことの記録。生きることと死ぬことに前向きになれる一冊だ。
父を亡くした時、母がお棺にパクチーの花束入れたり、家族ぐるみの友人カニサレス(フラメンコギタリスト)の曲をかけたりで、とてもいい葬式になったと感じた。重要な儀式は、形式に任せすぎない方がいいと感じていたが、この本は素晴らしい事例をたくさん教えてくれる。
親しい人が亡くなった後、その人と「一緒に」どのように生きていくか。それを真剣に考えたい人には強くオススメする。
「原は、遺言により新たな家族の思い出を作り出していた。思い出というのは生者の間で死を語ることだけではない。反対に、死者を通じて生きている者同士が対話をしたり、新たな思い出を生み出すこともできる。そうして死者は、家族の思い出の参加者にもなれるのだ。」(p.246)


佐藤 章『職業政治家 小沢一郎』

政治家は長年続けることで腐敗するんじゃないか。全定数でなくとも一部を裁判員みたいに抽選にしたり、十年経ったら一度違う職業に就くとかにすればいいのにと妄想して、「職業政治家」についての本を探してみたら、この本がでてきた。
小沢一郎という人物について一般的に伝えられていることと実態の乖離、日本の政治の表裏などについてとても理解できる内容。衆議院議員選挙までに読んだほうがよい。面白かった。


山と溪谷社『トランスジャパンアルプスレース大全』

日本海から太平洋まで日本アルプスを縦走する415kmのレース「TJAR」について選手のインタビューを中心にまとめた本。想像を絶する世界をそれぞれの視点で楽しむことができる。これは走ることや山に興味があってもなくても、必読の一冊。
山を楽しむこととスピードを競うことという2つの対立軸の中でルールづくりをする、運営側の苦悩が興味深かった。日本ではトレランにしてもマラソン大会にしても、主催者側に過剰に責任を求める「お客様ランナー」が多いと、数少ないレース参加経験から感じている。イギリスでトレランに出場したときに、マーキングも案内も1つもなく、リタイア=自分で歩いて帰って来ることという説明を受けた時はぶったまげたが、ゴールした時にはそれがあるべき姿だと感じた。TJARは別格すぎる世界だが、その精神は素晴らしく、今後もウォッチしていきたい。


谷崎 潤一郎『陰翳礼讃』

日本人の美の捉え方について、わかりやすく解説した比較文化論。その他、猫やトイレ、旅についての短編が楽しめる。百年経っても色褪せない文章というのはすごいな。主流から外れたがる著者の感情に共感する。


関 裕二 『「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける』

歴史研究は知恵の蓄積だが、炭素年代測定やDNAの解析などにより、従来の説の誤りが明らかになることも多い。1万年も続いた縄文時代は単に「原始的な何か」で、社会科の事業も10分で通り過ぎてしまうような取るに足らないもの・・・ではないと近年わかってきた。
大陸から稲作がやってきて、西から東へ駆逐したはずだという長年定着したセオリーも、東から西への文化の伝播という証拠で覆されつつある。
争いはなかったとされる縄文時代。ケンカはあったらしい。しかし、組織的な戦争はない。縄文時代も稲作をしていた証拠はあるが、水田を所有し、定住し、富を蓄積すると、権力を生んで戦争が起こる。縄文人は遅れていたのではなく、その変化を受け入れなかったのではないか。そして、それを知っていた日本人は、歴史上何度か縄文への揺り戻しをしている、という興味深い話が書かれていた。
僕がアーティストインレジデンスをやると言ったら、共同運営者のまさやんが縄文アーティストをやると言い出した。なにそれと思いつつ、縄文時代の出来事や思想の断片を聞いて面白いなとは思っていた。この本を読んで縄文と縄文思想が今後の日本に与えるかもしれない影響についてますます興味が出た。
縄文アーティストと平和学修士がやっている鋸南エアルポルトは、今後の日本そして世界の先進的な拠点なのかもしれない。それが正しいかとうか、この本を読んで判断してみて!


米田 智彦『いきたい場所で生きる 僕らの時代の移住地図』

誰にでもできる仕事が都会に集中していた時代が数十年あったが、オフィスでするような仕事はどこでもできるというのが、この十年、特に新型コロナウイルス蔓延後は明らかになった。快適な住処を自由に選べるはずだが、ほとんどの人は重い腰を上げることができない。
本書は、東日本大震災など時代の変化で自分の人生を見つめ直し、国内外に新天地を求めた人たちにインタビューしている。思い切って行動したことにより新しい未来が開けている。一方で、昔はもっと仕事を求めて移動(移住)していたんじゃないかと思う。現代人はバイタリティと何かを生み出す力がとても弱くなっていて、時代や社会、政府のせいにする人が増えた。今も昔も自分でやるしかないはずなのに。
多くの事例を見て、自分がしたいこと、住みたい場所などについて思いを馳せ、それに向かって行動してみるといい。2016年末の発刊で、東京オリンピック後の変化を見据えてという文脈が書かれているが、今の状況と当時の予測を比べるのも楽しい。


安藤 美冬『つながらない練習』

iPhoneが突然壊れ、スマホをやめようかなと思った時に本屋で見つけて買った本。SNSの世界で一躍有名人になった著者が、SNSをやめていたこと自体知らず驚きだったが、そこに至る過程は「中毒者」にとって参考になるだろう。
僕は業務上の都合から(LINE/決済/ランニングアプリ)スマホを手放すことはせず、代わりに極小で使いにくい「Jelly 2」(unihertz)を持つことで一気にスマホを見ない(見たくもないw)生活に切り替えた。


青い日記帳(監修)『カフェのある美術館 感動の余韻を味わう』

ミュージアムのカフェにあまり行こうと思ったことはなかったが(スキー場の食堂・図書館の喫茶店みたいな勝手なマイナスイメージ)、こういう観点でまとめてもらうと、日本中に魅力的な場所がたくさんあるんだなと思う。
近くを通りながら全く存在を知らなかったところもちらほら。展示やミュージアム自体のコンセプトに合わせて作り込んでいる料理は余韻に浸るにはたしかによいかもしれない。
世田谷美術館のカフェとレストランには何度か訪れているが、いつも鑑賞とは別で行っている。使い方、変えてみようかなと思った。






パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。