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恭庵書房のオススメ書籍 2021/8

角幡唯介『そこにある山』

この本は圧倒的に面白かったので、別で一本書いた。

テクノロジーは<結果>をもたらすものなので社会生産性は高めるのだが、<過程>ははぶくため個人の知覚、能力、世界は貧相にするという、そういう構造的な欠陥を持っている。私がテクノロジーにたいする警戒感を払拭できないのは、そのためである。私の個人的生という観点から考えると、社会の生産性などどうでもよいことのように思える。重要なのは自分が何を知ることができるか、いかにして自分の世界を深く、豊かにできるか、なので、最終的には社会的生産性に集約されるテクノロジーに、個人的にはメリットをあまり感じない。(pp.63-64)
科学技術の進歩や、社会の産業化やら情報化やらの進展で便利な道具や効率的な機械が身のまわりにあふれたせいで、現代の私たちは、自分の知恵や経験や能力とは全く関係ない、自分以外の何ものかの力を借りて生活することが当たり前となった。その結果、私たちは自分の行為でさえその大部分を外部委託せざるをえない状況となっており、何かをするときでさえ、その何かに関わることができなくなっている。動く、食べる、住むといった基本動作さえ細部に分断されすぎでしまい、ある行為をひとりで全うすることができなくなった。
行為に関われないということは、自分の内側から生み出されたものによってそれをすることができない、ということであり、すなわち自らの生に接触でにない、ということと同義だ。(pp.112)
人が冒険をするのは本人にも選択の余地がないからである。これが意志にもとづくものであれば、いろいろ計算して、やっぱしやめる、という選択をとりがちになるが、意志を超越しているのでほかに選択肢などない。思いつきの中には、それを思いつかせるに足るその人の歴史の全過程が凝縮しているがため、ひとたび思いついたら最後、それをやるよりほかないのだ。(pp.198-199)


タクマクニヒロ『ペンキのキセキ』

細部をよく見ると、世界には美しいものが溢れている。人の所為と自然の働きが融合した時、予想もつかないかたちで、それは表れる。
SOTOCHIKUの田中さんからいただいて眺めて見た。こういう視点で世界を見つめていたい。 【全国一斉】SOTOCHIKUシャルソン も、たくさんの人の視点からこういう宝が発掘されると思うと楽しみだ。

アリ・ラッタンシ『14歳から考えたいレイシズム』

体系的な入門書ではあるが、かなりしっかりとしたレイシズム解説書。14歳から・・・というタイトルからもっととっつきやすいものを想像したが、かなり硬派な一冊。世界の潮流を抑えるには最適。ただし、「14歳」とか「Short introduction」という冠されたタイトルは参考にならず、じっくりと腰を落ち着けて読むべきだ。

信田 さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』

「家族と国家の共謀」については不明確だったが、法のおよびにくいところに暴力や虐待が潜むことを、著者のカウンセリング経験から豊富な事例とともに暴く。当事者であってもなくても、そういうことが身近に存在するかもしれないことを、本書によって知ることは重要だ。


信濃毎日新聞社(編)『[復刻継承版]この平和への願い 長野県開拓団の記録』

国策の名の下に海を渡った長野県満州開拓団の凄惨な記録。戦争のもう1つの側面として読む価値は大きい。時代背景と焚きつけられた貧しい農村の姿を、これからの時代と国家の意思決定と重ね合わせながら読むと目も当てられない。


林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』

ユーラシア大陸を挟んで対極にあるアイルランドの話。アイルランドから日本?と思ったが、読んでみて非常に興味深かった。対米・対英という視点でアイルランドが世界にネットワークを広げてきたしたたかな姿、そしてかの国の生き方を日本に当てはめる。1つの国に興味を持たせる手法として、こういう方法があったかと得心。

ちなみに僕はイギリス留学中に初めてLCCを使って1ペンスでダブリンへ渡航。その数ヶ月後に自主学習ツアーで北アイルランドのベルファストとロンドンデリーを訪ねたことがある。ギネス醸造所の屋上で3パイントのギネスを飲んだことは忘れられない思い出。

松村真宏『仕掛学』

人の行動を促す「しかけ」にフォーカスし、その原理を解き起こそうとしている松村さんの本。6〜7年前に仕事を一緒にする機会があり、その時に面白いなぁと思って本を読もうと思ったのに、読んでいなかった。図書館でたまたま目の前にあったのを手に取り、読んだ。
Amazonの記録によると、発行日に購入しているじゃないか。一体どこへ行ってしまったのか(笑)。続編が2019年に2冊、来月も1冊出るようなので読んでみたいと思う。

石坂友司『コロナとオリンピック:日本社会に残る課題』

東京オリンピックの歴史を幻の1940大会から含めて振り返る。「理念なきオリンピック」の不透明というかいきあたりばったりの流れを振り返ることができる。「戦後の日本はほとんどの期間でオリンピック招致や準備、開催に取り組み続けてきた世界でも希有な国である」らしい。振り返ってみると、その時々の問題を隠し、塗り替えるために懸命にオリンピックを利用してきたようにも見える。しかし、オリンピックは本質的に問題を解決する手段たりえず、一方で国内の諸問題を浮き彫りにする。「コロナに打ち勝った証左としてのオリンピック」は、打ち勝てぬまま開催したことによりもやもやを残したまま閉会式を迎えようとしている。
盲目的にオリンピックが賞賛されうる風潮にピリオドが打たれるという意義はあったかもね。

一九六四年大会は、実際には退会直前まで盛り上がりを欠き、開催が不安視されるものであったにもかかわらず、聖火リレーが始まると人びとの期待は高まり、大会後は最高に終わったという意見が大勢を占めたのである。(p.8)
オリンピック憲章第六条には、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」、また第五七条には、「IOCとOCGCは国ごとの世界ランキングを作成してはならない」と記載されており、大会が国家間の競争い落とし込まれることを戒めている。(p.148)

ジャレド・ダイアモンド『危機と人類(上)』

国家の危機を比較しながら論じている。フィンランド、チリ、インドネシアの20世紀の変化と同列で明治維新の話を読むのはなかなかに面白い。個人的体験に冒頭が大きく割かれており、著者の人となりを知るにはいいが、やや引退記念出版物っぽい感じもある。


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。