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転機のベトナム旅

佐谷恭の『パクチー起業論』 2024年8月11日号より

Nanboなす祭り、2日目。13年前にメドックマラソンで出会った小野寺くんが来パク。彼に無限焼酎を注ぎ、他に誰もいなくなった店内で語っていたとき、3人組が入ってきた。鋸山に登り、ばんやで食事をして保田駅から内房線に乗ろうと思ったら・・・電車がない。後ろを振り向くと、「パクチー銀行」と書かれていた。これはもしやと来店したらしい。

「ベトナムで、ホーチミンで、一緒に走りましたよね」。そう告げられたとき、ホーチミンの9月23日公園での朝ランを思い出した。声をかけてくれた遠藤さんと2人で走ったような記憶があるが、彼は「4人ぐらいで走った」と言っていた。記憶は定かではないが。朝ラン&ビールの会をしたかったが、朝からビールを飲むことに賛同を受けなかったため、朝ラン&B(バインミー)の会となった記憶がある。

遠藤さんを紹介してくれたのは今やアジアナンバーワンレストランとなっており、昨年秋に麻布台ヒルズに日本一号店を出して凱旋帰国した「ピザ4P's」の益子さんだ。経堂の木村さんの紹介で、「素人が誰もやったことのないスタイルの飲食店をつくる」というつながりで紹介を受けた。最初に会ったのは、用賀に僕が立ち上げたばかりの「鳥獣giga」だった。

「ピザ窯つくったらハマっちゃって、ベトナムでチーズつくってピザ屋開こうと思うんです。有機野菜とかの概念とかもないので、そういうのも確立できればと思っています」。随分大きなことを言う人だなと思った。チーズをつくるために牧場も開くというし。こういう人大好きと思い、「絶対できるよ。とりあえず次はベトナムで会おう」と約束した。

東京初のコワーキング「PAX Coworking」とジビエと自然野菜の立ち飲みセルフBBQ業態の「鳥獣giga」を2010年8月、ほぼ同時に立ち上げた。どちらも最高に楽しい空間となるが、コワーキングもジビエも誰も知らない時代。ワクワクして新ビジネスを立ち上げたが、一番身近なスタッフに理解されないどころか反発を喰らう事態になってしまったころだった。事実、この年の年末、年末最後の3日間を休業日とし、当時のスタッフと話し合いをした。絶望のどん底にいると思った僕は、話すことで希望の光が見えたけれど、行動をしなければならないにもかかわらず、たくさんのブレーキを踏まれているような感覚に陥っていた。
『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』pp.75-87参照)

2011年年明け、友達の結婚式に出席するため、ホーチミンを訪ねた。「そんなことをしている場合ではない」状況だったが、日本から逃げないと心が潰れてしまうような状況でもあった。そして、場所と気分を変えて、活路を見出すべきだと思った。トランジットで訪ねた台北とホーチミンで、アジアでのコワーキングの萌芽を見た。その直後、コワーキング界で「Ambassador in Asia」に指名されることになる。また、益子さんとの約束を果たすこともできた。彼の店には数年後、スタッフ研修で訪れることにもなる。

ボロボロのビルを見せてもらった。「ここに1号店を開くんです」と話す益子さんの表情は緊張に満ちていた。いきなり結構でかいところでやるんだなと思った。通りから入った目立たない場所でもあった。しかし、不安がある人に追い討ちをかけてもしょうがない。「今は裏通りだけど、こっちが表になるといいね。うん、なるでしょ」。夜は彼の家に泊めてもらっ・・・たのだが、なぜか引っ越しの前夜だった。がらんとした自宅でまどろんだ。

翌朝、牛乳を運んでほしいと頼まれた。よく覚えていないけれど、数十リットル運んだと思う。タクシーだったかシクロだったかを捕まえて、指定された住所に行った。「こんなところに牛乳を置き去りにしていいのか」と思いながら、牛乳を置いた。そこから、9月23日公園に向かったのだ。

ホーチミン市内を走っている人の姿はほとんど見られなかった。恰幅のよすぎる西洋人2人とすれ違ったぐらいだった。暑さもあるが、ベトナム自体がまだランニングをするほど豊かにはなっていなかったのだと思う。いまや、マラソン大会やトレランのレースも開催されている。大きな変化を遂げている。

14年半ぶりだ。一度しか会ってないのに思い出せたのは、ホーチミンでの数日があまりに濃すぎる出来事だったからだろう。内房線の本数が少なくてよかった。不便さや制約が、産み出すものは多い。便利は思考と行動を停止させる。


佐谷恭の『パクチー起業論』 2024年8月11日号より

パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。