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恭庵書房のオススメ書籍 2021/10

村上慧『家をせおって歩いた』

これは素晴らしい旅、というか生活のあり方。文字通り、持ち運べる家(といっても推定15kgらしい。これは大変だ)をつくって、移動しながら生活した記録。単に旅するのではなく、家を運ぶことにより、そうでないときにはない困難と出会いがある。
人生で必要なのは考えることと行動すること。これを怠る人には理解できないかもしれない。でも、自分がちゃんと生きているか、この本を読んで確認することを強くオススメします。s

美術じゃ稼げないと決めつけて、「絵じゃ食えないだろ」と言ってくる人が本当にたくさんいる。「面白いことをやっている」のは認めるのに「これじゃ食えないだろ」というのはスタンスが受け身すぎるというか。逆だろって思う。「これで食えるかどうか」ではなくて「これで食えない世界がどうかしてる」という姿勢でないとだめ。「そっちがどうだろうと、こっちはこうとしか言えないんじゃ」ってまわりを跳ね返す力がないと。(p.55)

ヘンリー・デイビッド・ソローに「誰にも出し抜かれない生き方がある。それは歩くことだ」という言葉がある。最高に幸せな時間だ。車に乗っていては到底味わえない。「となりのトトロ」の「さんぽ」って歌も、フランシス・アリスの素晴らしい作品も、全部同じことを言っている。歩くことは、歩いた土地と歩いた距離を、体に刻み付けていくことなんだ。(p.109)

人は弱いから、放っておくとどうしても便利な方に流れて思考が止まってしまう。電車に乗ることでどれだけ自分が損をしているか、どれだけ馬鹿になっているかを知らない。汗をかくよりは、馬鹿になってでも快適な道を選ぶ。そういう生き物。(p.147)

すごいスピードで風を巻き起こしながら僕を抜き去って行くトラックやバイクを見ながら、「編集された世界の住人」という言葉が浮かんだ。駅やインターチェンジをつくるのは世界の乱暴な編集で、鉄道や高速道路を使うのは編集された世界を動き回ることだ。害のないイメージを享受して満足し、壊れるのを恐れるヤワな人たち。世界は生の状態では扱いにくいし、自分で編集するのは面倒なのだ。僕は壊れたい。道を歩くよりもインターネットの中のほうが情報があるというのは錯覚だ。錯覚に対抗するには歩くしかない。(p.179)

迷うことへの迷いを消したい。「答え」を出さないようにする。答えは出すよりも出さない方が難しい。考え続ける方が精神力がいる。なにかとすぐに決めつけたり、迷いを消そうとしちゃうけど、そうならないように気をつけよう。ずっと気持ち悪いままだし、表現者としてはだめなのかもしれないけど。(p.187)

「腑に落ちる」というのは、とても危ないことだ。自分の想像力の範囲内に相手を押し込めてしまうことになる。そんなの絶対どこかに誤解がないとできない。だから「なるほど」と思うのは相手に不誠実なことで、「わからないなあ」という気持ちのまま考え続けるのが一番いいけど、それには体力がいるので、僕たちはすぐに腑に落とそうとする。僕がテレビや新聞で紹介されたときに生じる違和感はそれなんだな。あれはマスにむかって発信するものだから、「わかりやすさが正義」という前提のもと編集がなされる。いまのテレビや新聞は、「取材対象をどこかで誤解する」ことによって、「発信が可能になる」という体質になっている。(p.266)


伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

世界の見方が広がる本。インクルーシブとか障害者との関わりについて消極的ではないつもりだが、「見る」という観点から視覚障害者の活動を事例とともに分析した本書は、文字通り視野を広げてくれる素晴らしい内容。「健常者が使っていないものを使っている」障害者を「助けるのではなく違いを面白がる」ということの意味を知り、広めていきたい。


柄谷 行人『日本精神分析』

第三章「入れ札と籤引き」がやたら面白い。ぜひ読んでほしい。
政治の世界でロクなことが起こっていないので、裁判員みたいにいっそ「政治員制度」を導入したらと何年も思っているが、多くの国家が参照しているアテネの民主政において行われており、かつどの国も無視した仕組みこそが、籤引きとのことだ。
市町村議会でも大学入試でも企業の幹部でも、これを導入したらいろいろな問題が解決するだろう。
あるトップが能力によるわけでなく、ある程度でも運の要素があるということになれば、権力争いやトップへの媚び諂いなど、組織にいない人から見ると馬鹿みたいとしか思えないことが随分減ると思う。


ハワード・スティーヴン・フリードマン『命に〈価格〉をつけられるのか』

保険の契約・不慮の事故・治療の選択などなど、「命に価格をつける」必要に突然迫られることがある。そういう場面に立ち会っても、そのときの選択をするだけであって、意識はないかもしれないけれど。
本書はそのタイトル通り、命に価格をつけるという観点で、世の中のさまざまな問題を論じている。検査費が地域によって、人によって違うとか、保険点数を不正請求するのが常態であるとか、そんな話が聞こえてくることがある。命の価格はどこまで行ってもすべての人が納得できる解決を見ないと思うし、すべてをお金で換算する資本主義の限界でもある。
本としてはまとまっているが、読み進めているとモヤモヤする。このモヤモヤを心に抱いて命と価格について意識しておきたい。


楠木 建・山口 周『「仕事ができる」とはどういうことか? 』

スキル至上主義の人に読んでほしい。世の中で幅を利かせている人が大好きなマウンティングの時代は終わったよなー。イタイ大人を判別する基準として、本書は役に立つ。


出口 治明『人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」』

世界の太古からの名言に、現代的な要素を加え、そして60歳でライフネット生命を起業した出口治明さんの体験を記した貴重な本。本書にも書いてあるが、読むだけでなくそれを身につけるには行動しなくては。

日本人はアメリカ人に比べてドラッガーを読んでいる人の割合が高い。しかし、それを実践する人は極めて少ない。なんのための読書なのか。
とくに仕事や公式の場では、ひたすら「真面目」が尊ばれ、「笑い」や「おふざけ」や「いたずら心」などの遊び心はタブー視される傾向があります。しかし、あらゆるイノベーションの生まれる素地は、じつはこうした遊び心からなのです。(位置No. 537)

人からよく見られたい、ほめてもらいたいというのは、結局のところ、自分が今取り組んでいることに熱中できていないからです。「これほど、面白い仕事はない」と思って夢中になって取り組んでいるときは、人からどう見られようと、どう思われようと、たいして気にならないものです。(位置No. 1070)

物事とは単なる「事実、出来事」です。  そこにはプラスもマイナスもないのです。  つまり、それ自身はニュートラル。それぞれの個人が、その事実をどう見るかで、その人にとってプラス、あるいはマイナスの感情が起こるにすぎないのです。(位置No. 1094)

人間の歴史を見ると、人間が望んだことの 99%以上はじつは実現していないのです。  つまり、ほとんどの人が失敗をする。  歴史上には、世の中を変えたいと思って行動に移した人が山ほどいます。しかし、そうした行動はことごとく失敗に終わっています。そう簡単には世の中を変えられないのです。これがこの世界の現実の姿です。(位置No. 1490)

人間は相手の「言葉」ではなく、その「行動」を見るのです。  人間は自分のためにどれくらい時間を使い、行動してくれているかで、その相手の本気度を見極めます。  たとえば、上司が部下に「私は君のことをこれだけ考えているんだよ」と熱く語ったとしても、その人が、ゆっくり面談もしなければ、2人で食事に行くこともしないのであれば、部下は「なんだこの上司は、口だけか……」ときっと思うでしょう。なぜなら、この上司は、この部下のためにほとんど時間を使わないのですから。(位置No. 2126)

たいていの動物では、親は子どもがある程度成長したら、巣から追い出すという行動に出ます。巣立ちです。親が成人した子どもといつまでも同じ巣に住み、行動を共にしている動物はほとんどいないのではないでしょうか。  ところが、人間の場合、そうしたことが平気で行なわれています。  とくに、日本ではそうした傾向が強い。(位置No. 2587)


笹本稜平『サハラ』

サハラ砂漠を舞台にした壮大な読み物。サハラマラソンで見た情景を思い出しながら読むと大変面白かった。
図書館を歩くたびにタイトルが目につき(サハラと3文字ででかいからw)、なんとなく借りてみた1冊。あんなところにサハラへの入口があるとは・・・!


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。