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Coの時代のキャリアデザイン #自転車で世界一周した旅行会社経営者

パクチーハウスのお客さん経由で、「旅育」というキーワードでつながった木舟さんからのインタビュー。旅行会社勤務から、世界一周自転車旅行の経験を経て、独立。そんな木舟さんから見たパクチー狂の真実。


木舟: 佐谷さんは当時から独立志向が強かったんですか?
佐谷: 大学時代に起業しようということは全く考えていませんでした。
木舟: でも、就職活動もほとんどしてないですよね?

独立も就職も考えていない、“逃げ”の学生。

当時は「起業する」意識は全くありませんでした。後から振り返ると「会社をつくる」ことは夢にも思わなかったものの、先に述べた旅人のネットワーク(海外放浪ネットワークBEEMAN)のほか、サークル的なものを学生時代に4つ立ち上げていたので、新しいものを創り出すことには関心があったのだと思います。

いろいろやった後なら、こんなことも言える。キャリアデザインがあったのではなく、キャリアデザインの講義の機会をいただいたことにより気づくキャリアデスクリプション。

大学は奇跡的に4年で卒業しました。通算で、そのうちの1年ぐらいは海外をふらついていたんですが。学校にもできるだけ行かないようにしていました。「もう1年ぐらい遊んでから、人生の墓場に行こう」というのが本音だったと思います。

意識低い系。

そして、会社の仕事には(予想外に)楽しいこと・充実していることと、しょうもないことがあったけれど、一旦会社員の道に入ってしまったので、キャリアに模索を始めて、年収査定サービスに騙され、ついつい行った転職斡旋会社で「起業」という選択肢に気づいた。

「会社を作る」という方法があるんだということを認識し、久しぶりに心が熱くなりました。

一方で、

25歳になり、以前は立派で自立している年齢だと思っていたのに、他人の指示のもとに動かなければならないのも、理想とのギャップでした。そして、上司・課長・部長などを見ていて、同じような道を歩みたいのかと自問自答しました。

いることがリスクと思い、「次が決まっていないのに」辞職を決めた。

起業を志していた大学時代の友人がいたことを思い出し、本人に会いに行きました。起業して数ヶ月経ったところでした。創業者2人に、社員ゼロ。まさにこれからスタートでした。特にすることもなかったので、数ヶ月手伝う運びとなりました。

初めての退職でしたが、とりあえず目の前の面白そうなことに飛び込むのは、その後の常套手段となる・・・。

起業に憧れを持ちつつ、友人のビジネスモデルを見て、正直ビビった。

日々やるべきことを見つけてそれをこなすだけでなく、世の中を理解して数年先を見通すようなことは自分にはできないのではないかと考え直したのは、頭脳明晰な2人と日々を過ごしたからです。いくつかの小さなビジネスアイデアを出して、会社を作りかけたことも一度あったのですが、当時の僕は「自分は起業向きではない」と結論を出しました。

悩める二十代。

悩みながらも自分の道を見つけようと、「旅人の視点で世界を見る」ことをテーマに学び直すことにしました。

そして、平和学に出会った。

留学前は漠然と、修了後は国連や国際NGOで働くんだろうなというイメージを持っていました。

でも、留学先で出会った同級生たちはみな、同じようなことを考えていた。

他人と同じことをするのが好きじゃない僕は、その時の同級生のようにアフガニスタンとかスーダンへ行く道ではなく、そういう志を持とうともしない多くの日本人を動かすことで世界に変化を起こせるのではないかと考え、帰国することにしました。日々いろいろなことを考え、自分で事業を作ろうという思いが再び芽生えたのもこの頃でした。

「どこで働くか?」という問いに直面したとき、再び「就職したくない」という気持ちが芽生えた。

しかし。

心は熱くなっていたんですが、やっぱりネタと決意がなくて(笑)。

そして、ライブドアに入社。あの激動の時代に在籍し、自分より若い人たちに影響を受けまくる。

その頃、妻の妊娠を知った。

子供と一緒に成長したいという気持ちが、ついにサラリーマンはもう辞めよう、自分の意志で人生を築こうという決意を産んだんです。

木舟さんから、妻にどうやって賛同を取り付けたのかという質問。

独断で決めましたが、家族を持つにあたってどういう自分でありたいかということをきちんと話しました。それと、出会って付き合い始めた時も、結婚した時も僕が無職だったので、そういうことにすでに免疫ができていたんじゃないかなと思います(笑)。

いろいろありつつ、経営は順調に。子供も成長したタイミングで「次」を目指した。

自分の43歳の誕生日に、僕はパクチーハウス東京とPAXCoworkingという継続して話題性を提供してきた2つの繁盛店を同時に閉じるという暴挙(笑)に出ました。

親の仕事を子供に分らせるというのは難しいことが多い。僕自身は父が何を(具体的に)していたのか、今でも知らないままだ。店舗を無くすとき、物心ついている子供たちに説明するために力を尽くした。

仕事を転換するときだけに限らないが、親が「人生を楽しんでいる」姿を見せるのは大事だ、というのが僕と木舟さんの共通認識。二人の接点である「旅育」は、それを示しやすいものだ。

子供を海外に連れて行くことに関して、親の自己満足だとか、危ないことがあったらどうするんだとか、否定的な意見もあるのですが、親が率先して水に飛び込んだり、この遺跡がいいんだよねと熱く語ったりすると、どこまで理解するかは別としても、気持ちは伝わって行くと思うんです。
「旅育」を通じて、子供は多様な人に触れるという貴重な体験をしますよね。肌の色とか、幼ければ言語すら飛び越えて。親もリフレッシュできる。
料金交渉で親がトラブっているときなど、もっとこうした方がいいよねと子供に指摘されてハッとしたこともあります。一緒に解決したり、慰められたり。

親と子は、対等に、楽しい人生を一緒に築いて行く。親が○○してやるというのが、一筋縄ではいかないかもしれない旅先での経験が、家族の結束も高める。リスクの低いトラブルが、人生のスパイスとなる。

これまで考えもしなかったけど、コロナとかでキャリアがガラッと変わる場合もあるんですね。先が見えないからこそ、僕はワクワクしています。旅をしているときと一緒。このバスに乗ったら、どこに行っちゃうんだろう。分からないけど、僕の知らない町がそこにある、みたいな。

変化に対応するという意味では、旅は立派なキャリアになる。履歴書に旅歴を書くか書かないかは個人の考え方だけど、これからの変化に飛んだ時代には、あらゆる行動がキャリアの形成に関わるのかもしれません。


木舟周作さんの「旅育」に関する著書はこちら:


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。