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師匠は何も分かっていない。

「食べる夜!」
 ある日、研究所に顔を出すと、師匠は満面の笑みで小瓶を掲げて叫んだ。
「食べる…なんですか?」
「夜!」
「なんか…食べるラー油みたいになってませんか?」
「食べるよーる」
「いや、わざわざ寄せなくても…」
 屈み込んで、見た目が完全に小学生な師匠に目線を合わせて、小瓶を見る。なるほど、夜の名に相応しい漆黒がそこにあった。光を通さず、呑み込んでしまうような黒。
「で、実際は何なんですか?イカスミソースですか?」
 うっかりすると、見とれてしまいそうになる。光だけじゃなく人の心まで呑み込んでしまいそうな雰囲気が漏れ出ている。漏れ出てしまっている。それをごまかすために軽口をたたく。
「夜といったら、君、分かるだろう?アレだよアレ」
「その声で変なこと言い出さないでもらえますか。っていうか、毛生え薬とか自白剤とか筋力増強剤とか、錬金術師としての格が落ちるから作るのは絶対に嫌だって常々言ってるじゃないですか」
「ふふふ、最近はそうでもないぞ。生活のため、背に腹は代えられない。」
「唯一かっこいいと思ってた要素、自分から放棄しないでもらえますか!?しかも金のため!?」

 師匠は由緒正しい錬金術師だ。呪術的だったり、魔術的だったり、科学的だったり、そういう様々な案件をどこからともなく引き受けてきては解決して生計を立てている。最近はとある案件に関わったせいで見た目が幼女になってしまっているけれど腕は本物だ。
「私から失われてしまったものを取り戻すために必要なのが、この食べる夜なのだよ」
「どう見たって液体ですよね、それ」
「出したら固体になる。命じれば気体にもなるがね。賢者の石と一緒だよ」
 ぐっ、なんて適確に僕の厨二スイッチを押すんだ…。そんな僕をよそに師匠はニヤニヤとアルファベットが並ぶマットの上でタロットカードを弄り出した。
「どうしたんですか?早くそれ食べれば良いじゃないですか」
「まだ必要なものがあるのだよ。…ふぅむ、星々…?香る…?」
 香る星。なんだかビールの銘柄みたいだななどと思っていると、師匠と目が合った。
「ビールかな?」
「いや、それどう考えても僕の台詞!もっとそれっぽいこと言ってくださいよ!だいたい、創るもの占い頼りなんですか!?」
「占いは君が思うよりずっとすごいものだし、私がちまちまと知恵を巡らすより、カミサマに御伺いを立てた方が早いに決まっている。それから、酒を創り出したのは錬金術師なんだが?」
「マジですか!?」
「いいねぇ、それそれ」
 いつの間にか大きな机の上に古い本や薬品や実験器具が並んでいる。師匠は椅子に座ったままだ。いったいどういう仕組みなのか、僕には皆目見当もつかない。
「食べる夜は夜という概念を物質化したものだ。夜には様々な欲望が溶け込んでいる。性欲、食欲、睡眠欲に始まり、幸せから不幸せ、夢と現実。昼間に大きく育った欲望が産声を上げるんだ。上澄みも、沈んだ淀みも、関係なくすべてを包み込んだ。この液体はその名残だ。匂い立つようだろう?」
 小瓶の中身ほどではないけれど、漆黒の液体が机上にあった。その色のせいで質感が一切分からない。
「ならば、香る星々はなんだ?人間が星に託すものは…願いと想い。」
 研究室が暗く狭くなっていく錯覚に陥る。すべてが師匠の前の空間に吸い寄せられていくような感じ。バラバラと古い本がめくれる音がしたり、謎の液体がひとりでに沸騰してボコボコと音を立てている。師匠は手を動かしていない。あるいは僕に見えていないだけで、ナニモノかが作業をしているのかもしれない。ガチャガチャという音と、師匠のブツブツと何かを唱える声が不思議な響きになって空間を満たしていく。
「金平糖あるいは花火玉に込める星を作る要領で良かろう。奇しくもそれで見た目も名も揃う。その過程で願いと想いをゆっくりとまとわせてやろう」
 ざらり、ざらりという音だけが響く。もはや光はどこにも無く、ただ爛々と輝く師匠の目だけが見えた。
「お前の感情もよこせ」
 師匠の声が聞こえた。僕の記憶はそこで途切れた。

「で、それが?」
「香る星々、のようだな」
 気が付くと僕と師匠は外にいた。夕暮れどきの道を歩いていた。
「え、分からないんですか!?」
「私は錬金術師だからな」
 自慢げな師匠が小瓶に詰めた星を鳴らす。金平糖のような見た目のそれは、夕日を受けて宝石のように煌めいていた。光を呑み込む夜とは対照的に自ら光を発しているようにも思えた。
「…で、これでいよいよ戻れるんですか?」
「残念ながらもう1つ」
「今度は何を作るんですか?」
「食べる夜、香る星々と来れば、あとは1つしかあるまい」
 ご機嫌でくるくるとステップを踏んでいた師匠が、ふっふっふと言いながら、とても悪い顔で振り返って手を広げてみせる。
「月を密造しよう!とびきり丸くて黄色いヤツをな!」
 僕は錬金術師のひとり弟子。師匠は僕に何も教えてくれない。

~FIN~

師匠は何も分かっていない。(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品 & One Phrase To Story 企画作品】
シロクマ文芸部お題:「食べる夜」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )
コアフレーズ提供:花梛
『月を密造しよう』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
シロクマ文芸部、参加させていただきました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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