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夜を歩く。夜に咲く。

「ただ歩くだけで良いんですか」
「えぇ、ただ歩くだけで構いません」
 僕は暗い部屋の中、スマホの画面に向けて乾いた笑いを吐き出す。なんだこれ。こんなあからさまに怪しいバイトなんかあるわけがない。
「どうせどこかでご老人から紙袋を受け取って、それを指定のゴミ箱に投げ込め的なことを指示されるんですよね」
 目の前に垂れてきた蜘蛛の糸を僕は信じることができず、何度も引っ張る。どうせ登っている最中に切れるんだ。これまでの人生で何度もそんな目にあってきた。梯子は外される。ロープは千切れる。ゴールは動くし、救助ヘリは落ちる。それが僕の人生だ。
「あなたの想像力には大変感服いたしますが、そんな指示はありえません。私がお願いすることは、ただ歩くこと、それだけです。夜の町をあても無く歩くだけです。いえ、別に野垂れ死んでほしいわけではありませんから、ゴールもスタートも自由に設定していただいてかまいません。こちらから特に指定しないというだけです」
 画面には丁寧な口調の返事が表示されていく。
「1つだけ注文があるのを失念しておりました。お仕事を受けていただけるのであれば、こちらからウェアラブルカメラをお送りいたします。それを見につけた状態で歩いていただきたいのです。そして、映像データを指定したアドレスあてに送っていただければと。いかがでしょうか」
「僕はそれをそのまま転売して稼ぐこともできる」
「もちろん、できないように手は打っていますが、あなたはそこまでのことはしないでしょう」

 そんなこんなで家にはウェアラブルカメラが届いて、僕は数年ぶりに家を出ることになった。深夜2時。すべてが静まり返っているけれど、そこまで真っ暗というわけでもない。少し迷って、とりあえず公園に行ってみることにした。
 歩く。コンクリートと靴底が擦れてザリザリと音を立てる。
 歩く。靴音は夜の空気に押し返されてやけに響く。
 歩く。1人で過ごす部屋の暗闇にくらべて、外の夜闇は柔らかい。
 歩く。小さな街頭に照らされたブランコが見えた。
「真夜中の空気は良いよなァ。ローファンタジーを感じさせてくれる」
 ブランコには先客がいて、僕に容赦なく話しかけてくる。
「ローファンタジー。現実世界の一部が異世界化するような、異世界側がこっちに座礁してくるような、そういうジャンルのことさ」
 ギッコギッコとブランコを揺らしながら、先客はご機嫌だ。
「ローファンタジーって期待を持ちそうな感じ、あるだろ?あるよな。見ろよ、この落ちてきそうな星空を。もしも、このまま夜が明けなかったら?もしも、あの光ってる星が1つ落ちてきたら?想像するだけでわくわくしねぇか。俺はするね。わくわくする」
 ヤバい人だ。ヤバい人がいる。本当にいるんだ、こんな人。
「あの、僕はちょっと失礼します」
「なんだよ。もうちょっと語り合おうぜ?」
「いや、あの、遠慮します!」
「また明日!待ってるぜ!」

 歩く。心臓がバクバクする。
 歩く。胸が苦しい。
 歩く。口角が上がっているのに気づく。
 歩く。久々にまともに話したかもしれない。
 逃げるようにデタラメに走って、気付くと目の前には駐車場があった。コインパーキングだ。黄色を基調とした看板が暗がりで輝いている。近付くと、看板の真下のプランターでは赤いチューリップが咲いていた。
「いやいや、今は時期じゃないでしょ」
 かがんで、つやつやとした葉と花を撫でる。多分、看板の明かりが24時間ずっとついているせいだ。植物は温度の他に光の量で季節を判断するらしいとどこかで読んだことがある。これじゃ被害者だ。
「お前にとっては、今が春なんだな」
 なんとも言えない気持ちで、僕は立ち上がれなくなる。人間の勝手のせいで振り回されているという怒りのような気持ちと、それでも立派に花を咲かせていることに対する尊敬のような気持ちが、頭の中で、どろりと混ざっていく。
 立ち上がる。歩く。歩く。歩く。ただ、歩く。歩いて、歩いて、どこだか分からないけれど、ベンチに座った。座ったままで見上げた。街頭に照らされていた。僕は少し泣いていた。僕はあんな風に咲きたいと思った。今じゃなくても、いつか咲きたいと思った。

「好評ですよ」
 僕の雇い主はスマホ越しに僕を褒めた。褒めてくれたのだと思う。
「動画ですか?誰かが見てるんですか?」
「患者さんです」
「どういうことですか?」
「私は医者です。眠れない夜に、入院患者さんにあなたの動画を見てもらってるんですよ。昼間の散歩ですら体調と相談して誰かに車いすを押してもらってやっと。そんな人たちがいるんですよ。喜んでいましたよ。自分の足で歩いているようだと。また歩いてもらえますか?」
「僕で良ければ」
 僕はおそるおそる続けた。
「ただ歩くだけで良いんですか」
 返事はすぐに返ってきた。
「えぇ、ただ歩くだけで構いません」
 僕はひとまず、ここで咲いてみることにした。

~FIN~

夜を歩く。夜に咲く。(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品 & One Phrase To Story 企画作品】
シロクマ文芸部お題:「ただ歩く」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )
コアフレーズ提供:花梛
『ローファンタジーって期待を持ちそう』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
シロクマ文芸部、参加させていただきました。
少し遅刻ですが、許してください…!
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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