砂の国のルエリア

 ザリッ
 ざらついたノイズが脳の表面を撫でた。こちらを向くルエリアの顔にかかった表情の補正スキンも一瞬揺らぐ。
「大丈夫です?」
 ルエリアの声はAIで同時通訳されて、電子的に再現された彼女自身の声色の日本語で再生される。補正スキンによって唇の形まで補正されているから、違和感はまるで無い。
「うん、ちょっとノイズで耳が、ね」
 私は耳の後ろ側についた骨電動デバイスを撫でてみせながら、片目を瞑ってみせた。私の言葉は同じように同時通訳されて彼女に届いている。その証拠に少し驚いた顔をしていた。
「システムのクラッシュ、とても珍しいですね?」
「そうね…。私は初めて。リアの方は大丈夫?」
「私の方は全然。なんででしょう?」
 私には心当たりがあった。さっき、彼女が粉雪を眺めながら呟いた言葉。多分、アレだ。
「さっき、雪見ながら言ってたのって?」
「さっき…?あぁ、アレ、神様の言葉」
「神様の、言葉…?」
 私は首を傾げる。時代が進んでも宗教は変わらず人の心を支える役割を持っているし、相手の信教をむやみに咎めないというのは、多様性の基本事項。だから私の反応は純粋な疑問だった。
「私の住んでた国、雪、とってもとっても珍しい!」
 そう言って彼女が手をかかげる。その指の間をすり抜ける粉雪。
「雪、神様のお告げです。幸せ、運んで来ます。雪を見たら神様にお礼します。そのための言葉、お父さんから習ったです!」
 なるほど。何となく察しがついた。多分、未登録言語だ。万能に思えるAIだけど、何でも知っているわけじゃない。2000年代前半に多発した年表に載るレベルの自然災害と戦争、AIが学習する事項の優先順位、あるいは単純に需要の有無や、文化的価値の多寡が原因で、いくつかの文化や言語は失われたり、後回しになったりしていた。そういうAIが捌けないデータがインプットされると、ごく稀にシステムがクラッシュすることがあると何かで読んだことがあた。都市伝説かと思っていたけれど本当にあったんだ…。
「雪が珍しい、かぁ…。私も本物は久しく見てないなぁ…。多分、20年前くらいかな、見たの」
「私、見たことありません。死ぬまでに見てみたいですね、ホンモノ」
 笑い合うと、同時にピー!という音が鳴り響いて、景色がさらさらと崩れていく。
「もう時間か。あっと言う間だったね」
「雪、やっぱりきれいでした!」
「ホログラムも馬鹿にできないもんだね」
 比べられるほど、私の記憶もしっかりしたものじゃない。不満があるわけでもなく、これが雪ですと言われればそうかと思う。意識の端では、ホログラムショーの間切っていたニュースアプリが再起動して、人工降雪実験が行われたという記事を読み上げている。

「雪、降らせるの、なぜ?」
 ルエリアは分からないといった様子だ。同じニュースを見たんだろう。彼女が言っているのは、もっと優先すべき、資金や技術力をつぎ込むべき問題があるだろうということで、私もそう思う。
「日本、もう亜熱帯。温帯じゃない。四季もない。もう諦めるの、大事」
 さっきまで雪の映像を見てはしゃいでいたのと同じ人物とは思えないような、厳しい顔つきと口調。彼女の気持ちも分かる。ルエリアの生まれた国は、灼熱に呑まれて地図から消えた。溶けて消えたわけじゃない。温暖化が進んだ結果、人間が住むには適さない環境になっただけだ。ただ、それだけだ。ただ、それだけの理由で、彼女は日本にやってきた。
「一応、雪を降らせるのが目的というよりは、雪が降るくらいに大気の温度を下げられるようにしましょうって実験みたい、だよ」
 私は言い訳をするように説明する。もちろん、彼女も分かっているだろう。家族の中で彼女だけが高い能力を評価され、東京に連れてこられたのだから。
「もし、さ。実験がうまくいったら、温暖化に抗えるようになったらさ、リアの国だって」
 冗談や希望的観測ではない。それは雪を降らせる研究に従事している私たちが一番分かっていることだ。私はルエリアを抱きしめる。
「間に合わせよう。みんなが生きてる間に、国に帰れるように」
 腕の中で彼女が頷くのを感じていると、灰色の空から雪が舞い始めた。予定では3分ももたないはずだ。
「リア、ほら、見て」
 まだご機嫌斜めな様子の彼女を背中側から抱きしめて、私たちは雪を見る。人工的に降らせた雪は、結晶が小さいせいで、雨に似ていた。昔はこれをみぞれと言ったらしい。
「ギリァジャント」
 ルエリアが何か呟く声が聞こえた。それは、初めて聞く、彼女の本物の肉声だった。AIが認識できない言葉を環境音として素通ししただけかもしれないそれを、私は神様のいたずらだと思うことにした。
「グレァジェンス」
 1度聞いたそれを真似してみたら、ルエリアが笑った。
「発音違うの、神様に届かないです」
「じゃ、私にもちゃんと教えてよ」
 私たちは笑い合うと、声を揃えて神様にお礼をした。

~FIN~

砂の国のルエリア(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『指の間をすり抜ける』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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