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読書手帳


書くのが久々に、、

いろいろと忙しくしてて、でもやっと一息ついたので、また読書記録を再開。

この期間読んでいたのは、この3冊!10月のカレンダーと共に。

梨木香歩さんの「エストニア紀行」と「やがて満ちてくる光の」は、もう一度ノートにまとめてから記録したい。

ちょうど先ほど読み終わったのは、「アンのゆりかご」


「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子さんの生涯が、孫の村岡恵里さんによって書かれた一冊。
梨木香歩さんのエッセイ、「やがて満ちてくる光の」で紹介されていて、気になって購入したもの。

一人の女性の生涯が約400ページにわたって記述されており、読み終わった後も余韻、、
空襲中、村岡花子が、赤毛のアンの原書と共に翻訳中の原稿を風呂敷に包み、防空壕に逃げ込むという情景から始まる第一章は、私をすぐさま本の世界に引き込んだ。

(花子が大人になってからは悲しい出来事が多いということもあるが)私が特に好きなのは、花子が東洋英和女学校というミッション・スクールで過ごす前半部分である。
花子はここで、書籍室の本を全て読み、英米文学と出会い、そして花子に力をくれる宣教師や、親友となる燁子と出会う。花子の真髄は、ここで培われたといっても良いのではないだろうか。

「唯しばし我を忘るゝ喜びの其の束の間に死なましものを」
「花咲かば君や来まさん鳥なれば吾も歌はんと春を待ちしが」

所々に引用されている、花子の歌もとても素敵。
あの翻訳された「赤毛のアン」の、目の前に風景が広がり、森の匂いまでするようなあの文章は、花子の培った歌や古典文学からも来ているように思われる。


戦争の章は辛くて、休み休み読み進めた。
戦争の話は、いつも私の涙腺を弱くする。

国境はもはや不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべての全人類の共有財産であり、自然が與える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべきものではない。ー柳原燁子ー

最近、梨木さんのエッセイでも、国境についての本を読んだので、また考え込んでしまった(彼女の場合は、動物や鳥たちの心情を思って書いた文章だった)。
国境が、国が作られた歴史を知りたくなった。


最後の章で、村岡恵里さんが言われていたこと。

高度経済成長期に生まれた私が、当然のように享受してきた環境、権利、あるいは、手を伸ばせば届くところにあったたくさんの良書が、母から祖母の世代に遡り、さらにもうひとつ遡った世代からの切実な祈りと不屈の努力によって得られたものだと知りました。

私もこれを読み終わって、全く同じ気持ちになっている。書籍だけではなく、婦人参政権を求めて奮闘する女性たちや、子供たちが本を読めるように図書館設立を図った方など、この本の中には多くの人の努力があった。
この努力を忘れてはいけない、と思った。
私は歴史の勉強がとても苦手だったのだけれど、大人になってわかる、歴史の大切さ、、


あとがきが梨木香歩さんなのも、とても良かった。
片山廣子さんの、「燈火節」が読んでみたいのだけれど、正規のがなかなか見つからない、、絶版?


今から蒸し野菜を食べて、次は何を読もうか、、
「赤毛のアン」を改めて読みたくなったのだけど、今日届いた梨木さんの「鳥と雲と薬草袋/風と双眼鏡、膝掛け毛布」も読みたい、、、

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