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鵜とペリカン 失われた古代文明のカギを握る水鳥

まず下の画像をご覧ください。

沖ノ島海底遺跡で発見された神像

これは福岡、沖ノ島の海底遺跡から見つかった2体の神像で、推定10000年前のものとされているようです。
僕はこの像の頭にのった水鳥のような存在に注目しています。
そしてこれはペリカンの一種じゃないかと考察しています。
失われた古代文明には、ペリカンのような水鳥が深く関わっているような気がするんです。

日本には鵜飼という漁法があり、それは阿多隼人の文化だと古事記では記されます。阿多隼人といえば日本の古代民族で、隼の文字からエジプトの太陽神ラーも連想させます。エジプトから来た民族なのかもしれません。
そして興味深いのは、この鵜という鳥を表す漢字、これはもともとペリカンを意味する文字だったようです。現在では鵜とはカツオドリ目鵜科に分類されますが、数年前までペリカン目鵜科でした。つまり鵜はペリカンの仲間と認識されていました。
鵜飼という文化を持っていた阿多隼人。民族名にエジプトを匂わせる鳥を持ち、なおかつ古代文明と関わるペリカンとも親和性が高い。
もし日本にペリカンを象徴とする古代文明が存在し、その民族がエジプトに行き、やがてのちの時代に日本に帰ってきたとすれば。
阿多隼人。この民族を紐解けば、そこには人類史を覆す新たな発見があるのかもしれません。


古史古伝のウエツフミ・宮下文書によれば、神武天皇以前、この島にはウガヤフキアエズ王朝が何代も続いたとあります。
そしてこのウガヤフキアエズ、古事記での表記は「鵜」葺草葺不合。
その名前の由来は母である豊玉姫が鵜の羽を茅葺とした産屋にこもって出産しようとしたところ、完成する前に産気づき、生まれたことからきます。
鵜=ペリカンとするならば、この神像はウガヤフキアエズ王朝にも関わるのかもしれません。
このウガヤフキアエズ王朝の歴史を封印したのが古事記・日本書紀であると僕は睨んでいます。

日本神話にはさまざまな動物が登場します。うさぎはその代表格です。
因幡の白うさぎが有名ですね。
このうさぎは本来「う」と呼ばれていました。干支にはその名残があり、いまだにうさぎのことを「う」と呼びますね。
僕はこの「う」は「鵜」のことだろうと思っています。
そして「さぎ」とは鳥の鷺でないかと。
だからうさぎは一羽二羽と数えるんだろうと思っています。
要するに、名前が鳥からきてるから。

宮崎に鵜戸神宮という神社がありますが、そこの撫でうさぎの伝承が非常に興味深いです。

僕の古代史観として、古代の日本は世界各地からやってきたさまざまな民族が
共存していた、つまり小国が乱立していたんだろうなと考えています。そしてその多様な民族はそれぞれにトーテムとする動物がいて、それが民族名の由来になっていると。

大分に宇佐神宮があります。ここはかつて伊勢神宮より格式が高かったとされています。「道教事件」でのゴタゴタが有名ですね。

ここの社家は代々宇佐一族が務めます。この宇佐一族がうさぎと関わりがあるように思えるんです。うさぎをトーテムとしていたのではなく、
うさぎという名前にこの宇佐一族の本質が隠れているような気がするのです。 

ではうさぎとは何を現しているのか?

上の項で鵜(う)+鷺(さぎ)でうさぎではないかと考察しました。
そして宇佐一族がもし、うさぎと関連があるとするならば、
それは鵜をトーテムとする民族と、鷺をトーテムとする民族が婚姻関係を結び、
宇佐一族が誕生したのではないかと推察します。

僕の考察では鵜はペリカンに連なるこの島の失われた古代文明を象徴します。
では鷺とはなんなのか?
エジプト神話にベンヌと呼ばれる青鷺が登場します。
一説によればこのベンヌという青鷺が西洋でのフェニックスのモデルとされています。
つまり鷺とはエジプト文明を象徴します。
何が言いたいかというと、
宇佐一族とはこの島の失われた古代文明を継承する民族と、
異国からやってきたエジプト文明を継承する民族が和合してできた一族なのではないかということです。

失われた古代文明➕エジプト文明🟰宇佐一族

だからこそ古代の宇佐神宮は伊勢を凌ぐぐらいの別格とされたのではないかと。

最初に紹介した2体の神像がでてきたのは福岡の沖ノ島。阿多隼人は鹿児島県西部に住んでいた民族です。宇佐神宮は大分です。
古代九州には僕たちの想像を超えた歴史が眠っているのかもしれません。

そういえばジブリの最新作でもペリカンがでてくるらしいですね。
僕はまだ見ていませんが、知人からあらすじを聞いた限りだと、
宮崎駿監督はこれまで人類が神と崇めてきたもの、それらすべてを物語に散りばめた。そんな印象を受けました。
でてくる動物、またモチーフが神に直結するするものばかりだったので。

世界各地の古代のシャーマンたちは鳥を非常に神聖な存在として崇めました。
衣装に鳥の羽が使われるのはそのためです。でもそのシャーマンによる鳥崇拝も、元をたどれば失われた古代文明の水鳥信仰だったかもしれません。

今は沈んでしまった大陸にかつてあったペリカンのような水鳥の信仰。
それがのちの日本で鵜に変わり、エジプトの鷺を取り込んで、
やがてウサギとなっていく。

この島の沿岸に沈む海底遺跡が目を覚ます時、僕たちの遺伝子に眠る遠い過去の記憶も、その長い時を経て、目覚めの時が来るのではないでしょうか。

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