見出し画像

親と話すと自然と涙が出てしまう話。

昔から、親と(特に母親と)重要な話をするときには必ず
涙が出てしまう性格でした。

友人や恋人、仕事関係の人とトラブルがあった場合は
その時の状況を踏まえて、冷静に話ができるのですが
両親と話をする場合は、自分の感情が先行してしまい、上手く話せません。

親も、突然感情の箍(たが)が外れる娘に困惑するのでしょう。

小さい時から
「急にどうしたの、、、?」
「なんでそんなにすぐ泣いているの?」
「泣けばいいと思ってるでしょ?」と声をかけられてきました。

最近も今後の進路の重要な話の中で泣いてしまったときも
「精神状態大丈夫?」
「そんなんで社会に出て、平気なの?」という言葉をもらいました。

私自身、他の人と話すときは全く問題がないので、
社会に出たときに大丈夫かどうかは別次元の話なのかな、と思いつつ、
両親から見た私は
「突然堰を切ったように泣きだす、感情の読めない娘」という風に
映っていると思うので、中々どうしていいのか分かりません。

それでも大人になって分かってきたことは、

①幼少期の口論になった際に、
一切口をはさめなくなるまでまくしたてられた状況が、
ある種のトラウマとして自身の心に残存している

②私が泣きだしてしまう話し合いのときは、
決まって私が両親に何かを説得する時であり、その話し合いの場ではなく、話し合いに至るまでのコミュニケーションの過程で何らかの齟齬がある

この2つです。

①に関しては割愛しますが、
②に関してはよく友達にする笑い話がわかりやすいかと思います。

それは、
「私が学校に合格した時や就活で内定をいただいたときと、
弟がパチンコで勝ってきたときでは、弟の方が数倍喜ばれる」というもの。

あくまでも、私の感覚の中では、
「なんでそうなっちゃうの?」と思ってしまうのですが、
世の中には上述したくらい考え方の価値観が違う者同士が
親子になる不思議もあるんだとつくづく感じます。

なので、②の部分では、
私がすごく伝わるように伝えている、
あるいは、友人や恋人にはその伝え方で伝わるもの・ことが、
全く伝わらない、そしてその逆もおそらくまた真なのです。

コミュニケーションって、本当に難しいなと思います。

そして、私ができることは

伝わらないコミュニケーションがあることを理解すること

幼少期の自分に、涙が出てしまうあなたは間違ってないのよ、
と言ってあげること

自分が子どもを持つことになったら、
子どもの意見を言いやすい環境をつくってあげること

この3つなのかな、と思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?