お前は能力がない、才能がない

「お前は馬鹿なんだから」

「結局、お前がアホってことだろ」

「アホちゅんなんだから高望みするな」

小さい頃から何度も何度も、
父に言われる。

この間も言われた。

小さい時から、
ずっと言われてきたから
幼稚園生の時から、
自分は、不出来な人間だということを
自覚していた。

たしかに、何をするのも
周りの人についていけなくて、
ご飯を食べるのもアクティビティも
いつもみんなより遅れて
最後までやっていたら、
食べ終わった頃には、
完成した頃にはもう
みんなは次の事をやっていた。

ピアノを習っていた時も、
レッスンが終わって
動かない左手を手が真っ赤になる程
叩きながら「何で動かないの」と
泣きながら練習して、それでも
友人たちにおいていかれた。

小学生になって、
時間割という仕組みで
皆と同じ時間で動かなければ
ならなくなったら算数で、
分かっていないのに授業が終わる、

ということが続いた。

おかげで、
小学校の初めての授業のときから、
算数のおはじきで躓いてしまったので
結局、算数は今も苦手なままだ。

あえていうなら、
小学校3年の2月から、
中学受験塾に通っていたから
学校の算数の授業は
塾のおかげでついていけることが
増え始め、高学年の時は
算数ではレベル別授業を導入している
学校だったで、ある程度
自分の意思でクラスを選べたが、
小5の後期から1番上のクラスにいた。

ちなみに、卒業した小学校の
私のクラスは30人いて、
公立小学校だけど、
27人が中学受験をしようとしている
というような学校だったので、

3クラス合同で行われる算数の
レベル別授業の1番上のクラスは
塾に通っている人しかおらず、
しかも皆、かなりレベルが高かった。

教科担任制の学校だったのも、
公立小では珍しいのだろうか。

それでも、私は中学受験塾では
算数と理科の偏差値が低いために
結局3年間ずっと
一番下のクラスにいた。

家に帰ってきて、
毎晩、塾の宿題が終わるまで
小4なのに夜中の3時頃まで
船を漕ぎながらやっていたくらい。

私が2時間も、3時間も4時間も
かけてやる宿題をたった15分で
やる友人たちがいた。

小5→小6となるにつれ、
少しはできるようになって
一番下のクラスの一番上
くらいにはいたけれど、
もっと広い視野で受験生のなかでは
勉強のできない子だったと思う。

算数が数学になっても
苦手は変わらず、
中学に入ったらそれ以外に
理科、地理、音楽、家庭科……と
苦手科目だらけだった。

よくよく振り返ると
家庭科は小学校の時から、
細かいことが苦手で出来なかったし
音楽だって出来なかったし、
特に左手が使えないから
リコーダーテストは、
先生が許してくれて
右手を上にして右手で弾ける分だけ
吹いていた。

中学以降は理科も、
算数が出来ない前提から
苦手な分野が多かった。

私が2ヶ月半かけてやっと理解した
正負の数や文字式を1回の授業で
多くの同級生が理解していた。

高校生になったら
世界史が全くできなくて
情報がほんとについていけなくて、
(この2つの科目は、
5段階評価でほぼ2だった)

化学もできなくて、
生物も苦手で
高一の数学も躓いたままで、

結局、
理数系が全く出来なかったことと、
将来の夢、みたいなものが
なかったことで、
高校2年以降の文理選択は
文系にした。
(我が母校はその当時、
文系または理系のどちらかの科目しか
ほとんど履修できず、国公立の人は
苦労したと思う)

高校1年の時の世界史は、
赤点や留年ギリギリで、
最後の期末試験で60点未満だったら
留年させると先生に言われて
試験範囲が分かった試験1週間前から
赤点回避のかかった世界史と情報以外の他の科目を全て捨て、
1日100回くらい教科書を読んで
暗唱する勢いでやってやっと
世界史70点とかで
両科目赤点を免れた。

その時も、私ほど時間をかけずに
世界史で80点90点とる友人がいた。

文系科目で履修をすすめ、
社会は、全部苦手だけど
あえていうなら、
日本史しかできない私は

必修英語
必修国語
小論文
日本史
選択で古文と現代文、
選択で英語を+2つ
それからその他必修科目
といったような履修を組んだと思う。

積極的選択(これをしたいから)
というよりは、
選べる中で、できない科目を
捨てた結果といった方が良い。

幸い、高1のオープンキャンパスで
行きたい大学に足を運んでいて
母が推薦したまま無意識に
英米系・英語系の学部ばかり見ていたし
将来の夢を失っていた高校生の時の私は

今、自分が学びたいものを
もう少し勉強したいし、
それなら、英語だから、
ともれなく英語系・英文系・英米系で
志望校を組んだので、
その苦手ばかりの勉強の中でも、
マシな英語と国語と日本史と小論文
だけで受験が済んだ。

大学受験勉強をはじめたのは
高3の10月末だか11月で、
しかも11月の1ヶ月は
勉強すればするほど成績は
下がった。

そんなもんだから大学受験も、
うまくいかなかった。

結局、12月に受けた
AOの学校と奨学金入試の大学の2つ
(文芸学部の大学と国際コミュの大学)

それから2月に受けた大学のなかで、

英語コミュニケーション学科、
英米文学科の大学と、

全部で4つだけ受かって
英米文学科の大学に進学した。

大学受験が終わって父に言われた。

「お前の身の丈は、
そのくらいのレベルってことだよ」

そんなことを言っても、その
英米文学科の大学入試だって
英語が抜群に出来たわけじゃない。

大学入学後の必修英語のクラス分けは
TOEICのスコアで英米上級
というクラスに振り分けられたけど

もともと大して
勉強してこられなかった私は、
なんでも、自分で情報を得て
計画を立ててやらなくてはならない
大学生活についていくのも必死で、


アルバイトに、
たまに祖父母の介護のお手伝い、
教職課程の履修に、課題に……と
手一杯で、
英語を授業以外で勉強しなかった。

すると大学2年になって再び
英米上級の必修英語に入ったら
そのうちの片方の授業で、
アルバイトに忙しくなっているうちに
全く授業についていけなくなった。

私の英語の出来なさが
はっきりしたのは
この大学2年の必修英語だった。

高校1年生で平岡塾に通った時も、
周りの塾生はとても英語ができて
私だけ全然ついていけない感じだった。

高1の時初めて
「私は英語ができないのだ」と知り、
苦手意識が、むくむくと育った。

しかし結局、たいして勉強しないまま
今に至ってしまった。

その、英語を勉強した人との間に
生じた少しずつ出来た差は、
決定的なものになった。

こうして英語が
出来ない英米文学科生のまま、
進級した。

大学院に進学して一層
私の英語の低さは露呈した。
大学院生だったけれど、
高校生よりもライティングは
出来なかったんじゃないか、と思う。
とにかくほんとに
そのくらいひどかった。

大学生になって苦労したことは
他にもある。

私がやっと大学生活というものに
順応してきた時、既に周りの人たちは
余裕をもって課外活動に勤しんでいた。

大学院はもともと後期博士まで
いきたいと思っていて父にも
そんな話をしながら大学院進学したいと伝えていた。

大学2年の時、大学院進学したいと
伝えた時父に言われたのは
こんな言葉だった。

「大学院っていうのは、
頭のいい人が行く所で、お前みたいな
バカがいける所じゃない
そもそも、受かるとも思えない。
だから、大学院1本に進路を絞るのは
やめておけ。それでも行きたいというのなら、大学院入試の前に、
落ちた時の進路を決めておけ」

この言葉をきっかけに大学3年に
進級した時から
私は就活で内定を取ることを
大学院入試を受けるための条件として
就活をはじめた。

結果、
内定を取るための就活をしてきたから
大学4年の7月頭までに4社の内定を
手に入れて、父に改めて大学院受験を
お願いした。

父は大学院受験を
了解してくれたが、
私は3.5だか3.8だか
必要だったはずのGPAが足りず
内部進学試験は受けられなかった。



大学4年の12月に、
106頁の卒論を書き、
2月のAO試験で
大学院進学することになった。

小さい頃から何一つ
みんなと同じペースでは進めなかった。
でも、学校教育課程の中で
同じように同じスピードできることを
求められる。

同じように
やっていかなくちゃいけないから、
小学生から中学生、
中学生から高校生、
高校生から大学生…と
大人になるなかで
少しずつ努力を積み重ねて
寝る時間を、
休む時間を惜しんで削って
最大限に頑張り続ける状態であれば
やっとみんなの背中がみえる程度に
やれるようになってきた。

私の進学した大学院は、
母校の大学だったので
研究で有名なわけでも、
英語教育で有名なわけでもないが
大学院に入ると、
当たり前だけど皆優秀だった。

先輩も、同期も、次の年に入った
後輩も、優秀だった。

あ、大学院というのはこういう人達が
くるところなんだ、

大学院入学後、しばらくして
先輩や同期と自身の差に気づき
私はそう悟った。


必死になって
勉強しているつもりだったが
英語のできない私は、
要領の悪い私は、
課題をやるのも研究をするのも
時間がかかった。

それに、
大学院という場所を理解しない親や
周りの人に
「みんなは働いているのだから」
「みんなはもう働いてるのに
まだ学生なの?」
「私たちと同じくらい働きなよ」
などと言われて、
親にも気が引けて、
私はM1は週3〜4、
週3は、ほぼフルタイムで
アルバイトをしていた。

色々、ほんとに色々経験しながら
なんとか、大学院をギリギリ修了し、
中高英語科教員の専修免許を取得し
東京都公立教員の試験にもギリギリ
入った。

しかし、学部時代からの
休まない日々から急に身体に
ガタが来た。身体がもたず
本当に着任後直ぐにもたないな、
と限界がきて、
せめて、学校に泥を塗らぬよう、
生徒の顔を見る前に離任した。

仕事を辞めてきてしまった私に
「ほら、結局お前には能力なかった」
といい、

またそれから2年以上、
転職出来ていない私にも、
進路の話になる度に、

「お前はアホちゅんだから」

「大学院卒ならもっと英語できるだろ」
(この意見は正しいので異論ない)

「仕事につけないような能力しかないんだろ。お前の馬鹿さを自覚しろ」

などといった言葉を今も言われる。

残念ながら、
言い返せるような結果を残していないし
実際、英語が出来ないのも、
教育から離れた間に
英語教授の技術も0に近くなったことも
短時間勤務すらキツい体力と体調も
本当のことで、私は言い返せない。

でも、そんなことを抱えながら、
どうしよう……と思っていたある日、

ふと疑問に思ったのだ。

父にいつも、
お前はアホ、能力がない、才能がない

とか言われるけれど、

それを克服しようと
色々やってきたけれど
私にないのは、
実力だ、と。

だから私は
努力を怠ってはいけなかった。

人が休んでいる時も本当は
休んではいけなかった。

でも、プツンと切れた糸が、
そのままフラフラ風に揺れるように
生きている間に
周りの皆はどんどん成長して、
何もしなくなった私は
何もできなくなっていって、

差が開いたら今度は、
「努力しよう」と思う気持ちが、
「無理」「もう頑張れない」
という気持ちに押しつぶされた。

もう、
がむしゃらに頑張ることはできない。

要領の良くない、わたしの
小さい頃からの唯一の長所が、
根性と、諦めないこと、
自分に負けるのが嫌いな負けず嫌い
だった。

それら全部失ってしまった。

大学院卒、英米卒、英語教員免許、
肩書きの言葉に所有されて
追いつけなくて
名前負けしてでも、頑張れなくて。

教育課程を終えて仕事を辞めてきた
わたしは持てるものが何もなかった。


でも……

その時、ふと疑問におもったのだ。

そもそも、
才能と能力と実力の違いを
きちんと分けて考えないことが
問題なんじゃないかしら、と。

私も、かもしれないけれど
親が「お前には才能がない、
能力がない」というときの
ちょっとした違和感は大きくなった。

能力と才能と実力に関連する言葉を
改めて調べた。

実力

「1 実際に備えている能力。本当の力量。「実力がつく」「実力を発揮する」

2 目的を果たすために実際の行為・行動で示される力。腕力・武力など。「実力にうったえる」「実力で排除する」」

能力

1 物事を成し遂げることのできる力。「能力を備える」「能力を発揮する」「予知能力」

2 法律上、一定の事柄について要求される人の資格。権利能力・行為能力・責任能力など。

才能

物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」

力量

1 物事を成し遂げる力の程度。能力の大きさ。「指導者としての力量が問われる」

2 物理的な力の量。また、エネルギーの量。

才幹

物事を成し遂げる知恵や能力。手腕。「学問才幹共に優れた人物」

他にも似たような言葉はあるが、
この5つの言葉は異なる。

ここにさらに、

天才

という言葉をまじえて、
この6つの言葉の違いを説明しよう。

この6つ端的に言えば、
次のように分けられる。

①天才

・・・ここにはいるのはほかに、
「秀才、逸材」などで、

いわゆる、
「ある分野や活動において、
非凡で天賦の才を発揮する人」。

天賦の才、つまり他人にはない
特別な力、特別な能力技能すべて。

いわゆる、非凡な人、
何かにおいて、
圧倒的にもう才覚が異なる人、

ギフテッド、神童が天才というやつだ。

②才能

・・・天才に少し近いのが、

才能ではないだろうか。

才能というのは、
「物事を巧みになしうる
生まれつきの能力」のことだそうで、
「能力」の一部でもあるようだ。

 宮崎駿さんは才能の定義を
「情熱を持続させる能力」
といったそうだ。

 こうして考えると、
天才がその人自身を指すのに対し
才能とは「その人の持つ能力」に
視点を当てている感じがする。

③才幹

・・・才幹とは
「物事をてきぱきと処理する能力」
のことをいう。

 処理能力の低いわたしにないのは
この才幹ではないだろうか。

 いわゆる仕事の早い人、というのは
この才幹が優れているのだろう。

④能力

・・・①物事を成し遂げられる力。
②法律上、一定の事柄について必要とされる資格。

 仕事をきちんと履行できる、
最後までやり抜くことができる、
いわゆるGRITというのは
能力のことを指すのだろう。

 私にとっては、
この能力(最後までやり抜けるか)には
向き不向きや
気持ちとしてやりたいかやりたくないかがとても大きく影響する。

 やりたいことや得意なことなら
どんな形でも
最後まできちんとやり抜ける。

 逆に、
もうやりたくないと思ってしまったら
どんなに頑張ろうとしても、
頑張れない。

⑤力量

・・・物事を成し遂げる力の大きさ。
能力の程度。
 どんなものなら
最後までやり遂げられるか(能力)
を客観的指標にしたようなものが力量
といったところだろうか。

⑥実力

・・・実際に持っている力量。
実際の行為で示される力。
 社会的な肩書きや外見などの
外形に対して中身という意味で
用いられることが多い気がする。

また、実力とは、
能力(業務における専門性・知識・スキル・人間的魅力)×経験(その能力を持って何を達成してきたか)


とする人もいる。この場合、
実力=持っている能力を活用し、実践を通して実績を出したという証明、
となる。

 実力を可視化するためには、
可視化、比較できる数値的指標、
相対的指標が必要になる。


さらに、この実力の定義における、
「能力」の定義は、先の④での能力の
定義よりも、もっと広義の意味を
含んでいる。

 さらに、実力が能力と経験を
掛け合わせたものであれば、
能力(知識やスキル等)が高ければ
仮に経験がなくとも実力がある、
となるし、能力値自体がさほど高度で
なくてもある程度の経験があれば、
結果として出てくる「実力」は
必ずしも低くはないかもしれない、
ということになる。

 働く上で、働いている中での
チカラというのはこの実力、
といったものだろう。


父は「お前に才能がない」といい、
それを
「努力不足」としたが、
才能が「生まれつきの能力」なら、
私にそれを努力不足と指摘するのは
間違えている。

私を「アホ」「バカ」というのは
簡単で、私自身もそれによって、
何において「バカ」なのか、
きちんと考えてこなかったが
ある分野において、
才能がないのか、実力がないのか、

は異なり、
その分野で私はどこに入るのかを
考えるところから物事はスタートするのではないか……

やっと、そう考えるべきだ、
という解決策の糸口をみつけた。

小さい頃から、
お前はアホだ、と言われ続け
「私は馬鹿なんだ」
「私は不出来なんだ」
と思っているだけでは、

これからも、
ただただ自尊感情や自己肯定感が
低くなり、実力も才幹も
発揮できないのではないだろうか。

そうしないためには、

私が考え方を、捉え方を
きちんと変えることがまず必要だ。

天才にはなれないし

才幹を私自身に求めるのは

素質的に難しい。

飽き性だからやり遂げる力を

全体的に伸ばすことも

なかなか難しい。

「お前はアホだ、馬鹿だ」と
子供に向かって言い続けることで
簡単に子供の芽は潰れる。

 幸い私はもともと、
自分に負けるのが嫌いな負けず嫌いで
院卒までは
根性だけでやってきた人間だった。

ここ2〜3年ほど、
やっていることが目に見えて成果として
現れず、体調も一向に良くならず、
周りの友人との差が歴然たる形で
現れて、

動いても動いても
うまくいかなくて前の見えない道に
とにかく溺れそうで
足をバタバタさせているかんじだった。

その間に、
才能がない、馬鹿だ、
大学院は頭のいい人が行くところだ
才能ないんだから諦めろ

という言葉をずっと浴びてきて
確かに何もできない自分を思い出して
何も言い返せず、
さらにできないことが増えていった。

でも、

好きなことを、やりたいことを

やり続けることで

力量をあげることだけは、

できるかもしれない。

それが結果的に、

私の実力になればいい。

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