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紅茶で一息つこう。IQから広がった能力指数の話

 IQ130だとか、IQ120だとか、
高IQ集団MENSAだとか、

頭の良さを、客観的に測る数値として
かなり市民権を得て、

クイズ番組で、IQ160だの、180だの、
それだけで、「頭いい」という
ラベリングがされるほどに、
多くの人に“IQ”というワードは
認知されていると思う。

 しかし今、IQ以外の、能力指数を
あらわす言葉が出てきているのを
ご存知だろうか。

今回は、それらの言葉について
簡略にまとめて、そこから
見えることを少し考えてみたい。

最後には、とりあえず、
一息つこう、
とコーヒーか紅茶を嗜みに
いけるような感じになると嬉しい 。

多様化、グローバル化、国際化…

21世紀に入った頃から、
グローバル化だの、多様化だのが
散々唱えられてきた。

2020年度に大学入試改革するだの、
教育がかわるだの、
という話が大々的に出てきた
2011年頃からは

 やれ小学校に英語が入る、
英語教育がどうの、
いや、国語力が大事だ、
英語早期化はちょっと…
いやいや、
そもそも今までのゆとり教育を
見直すべきなんだ、
これからの学力を考えなければ…
そのためには、 

思考力・判断力・表現力を
もっと教育で養わなければならない!

そうだ、そのためには、
センター試験はやめて、
記述式にしたり、
もっと、児童・生徒が、
思考を深めるような形の教育と
テスト体系が必要だ、

とか、本当に様々なことが
この10年以上話し合われ、
そして少しずつ改革されたり、
延期されたり中止されたり、
渦中の児童・生徒・学生たちも、
その激しい渦の中で、
学習を続けている。

こうした改革推進の話と、
センター試験をはじめとした、
入試改革、そもそも、
教育の改革の根源を
考えるためには、 

IQから広がった
“様々な能力の話”を
理解するところから始める必要が
あるかもしれない。

そこを理解すると、
なぜこんなにも能力指数を
あらわす言葉が認知されてきたのか、
その能力指数の言葉から
何が見えるのかを
考えられるような、、。

1. IQってなに?

IQというのは、そもそも、
Intelligence Quotientの省略で、
「知能指数」
といわれる。

 だが、この言葉の要約が、
誤解を生んでいると思う。

 ウェクスラー式知能検査を、
開発したウェクスラー(Wechsler)は、知能

特定の能力ではなく、
各個人が目的的に、合理的に行動し、
自身の環境を能率的に処理する総合的な能力のこと
」(note執筆した私が要約まとめました)といった言葉でまとめ、

知能は、
パーソナリティ全体としての機能
であり、問題解決の総体的な能力

としているそうだ。

一般にいう知的能力
(Intellectual Ability)は、
知能(Intelligence)の一面に過ぎず、

そもそも、
子どもの日常生活や背景などとの
関連を含めて考えることを
必要
としているそう。

 そうしたことを踏まえて、
IQ(知能指数)というものは、

精神年齢÷生活年齢×100

表し、100を基準値としており、

同じ集団の中で相対的な位置を
調べる知能偏差値
(SS: Standard Score)は、
10(個人の得点-同年齢集団の平均得点)÷標準偏差+50
で算出する
らしい。

このようにして算出された、
ウェクスラー系の知能検査は、
上記の通り、
ほぼ同一年齢の集団の平均値の
知能指数を100、標準偏差を15として
IQを算出する計算になっている。

このように計算した上で、
精神発達の遅滞などへの考慮の基準に
使用され、
ウェクスラー式では

69以下: 軽度発達遅滞
70〜79: 境界
80〜119: 中の下〜中の上
120以上:優秀〜最優秀
と数値基準を出している。

 
 一般的に知られている、
知的障害、発達障害やいわゆる
IQが高いというのはこの数値を
基準にしていると思う。
(ちなみに発達障害等の検査をする
WISCやWAISは、こうしたIQ値を
算出して考えられているし、
精神障害診断のために用いられる
DSMは、この69以下の部分を、
さらにわけて、
精神発達遅滞の度合いの基準を
分けている。)

IQ130を超える人たちは
gifted person(children)
(特別な才能が神から与えられたという意味)
と言われるが、
近年はこのgiftedの方々の才能を活かす、生きづらさについて考える、
という視点から高IQにも注目が
集まっている。

ちなみに、
IQと一言でまとめられているが、
ウェクスラー式知能検査では、

言語性IQ

動作性IQ

合成得点による全検査IQ

の3つのIQ値を出す。

WISC(7~16歳用)とWAIS(16~89歳用)と
あるが、
双方とも、

①言語理解(単語・類似・知識)と
②知覚統合(絵画完成・積み木模様・
行列推理)
③作動記憶(算数・数唱・語音整列)
処理速度
④処理速度(符号・記号探し)
を測定し、

それらの能力のバランスから
発達障害や生活における不安、
学習での躓きや対人関係等を
考えるという使い方で
心理カウンセラー等は用いている。

実はこのIQというのは、

同年齢集団の平均の知的発達や

知識量を元にしたときに、

どこに位置するか、

**だけを表しているだけなのである。 **

 しかし、考えて欲しい。
はじめにも書いたように、
グローバル化だの、多様化だの
(こうした言葉が用いられる時点で
まだまだ、なのかもしれないが)

人は多様だ、様々な人がいる、
様々な人と生きていく、
その、"様々な人"と共に
生きていく

といったことを考え始めたとき、
果たして知識量だけが大事なのか、
知識を入れること、
頭に入れた知識の他にも
生きる力の要素があるんじゃないか
もっと大切なこともあるんじゃないか
本当に知識があれば役立つのか

そんなことを考え始めたのが
おそらく、
知能指数以外の能力が注目された
きっかけなのかもしれない。

 実際、特別頭がいいわけじゃない
けれど、とても共感性が高い、だとか
周りの皆とうまくやっていく能力が
ずば抜けているだとか、
 知能だけで測れない人の魅力や能力は
きっと多くある。

2. 様々な能力指数

  さて、そうして、IQ以外の
Quotient(正確な意味は、「割り算の商、指数、比率」)、つまり
様々な能力指数を数値で表す言葉が
出てきた。

  それぞれについて
たくさん説明はできないので、
とりあえずその様々な指数をあらわす
言葉をここにあげておく。

 ・IQ(Intelligence Quotient)
…知能指数。

・EI(Emotional Intelligence)
…心の知能。

・EQ(Emotional Intelligence Quotient)
…心の知能指数。

 ・AQ(Adversity Quotient)
…逆境指数。

・SQ(Social Quotient)
…社会適応能力。

・CQ (Curiosity Quotient)
…好奇心指数。

・CQ(Creativity Quotient)
…創造力指数。

・CQ(Children Quotient)
…子ども力指数。

 これはアラン・グレジャーマン
という方が『人はみな「ビジネスの天才」として生まれる』のなかで、

1. 遊ぶ力
2. 熱中する力
3. 焦点を絞る力(集中力)
4. 急がせる力(緊張感を良い方向に活用する力)
5. リーダーシップをとる力
6. 可能性を想像する力
7. 好奇心を抱く力
8.質問する力
9.挑戦する力
10. 創造する力
11. 参加する力
12. 居心地よくする力
13. やり遂げる力
の13こをあげているそうだ。

 実際、これらのうち、学術的にも、
知名度としても、そして認知されているという視点でも、
認知度が高いのは、
IQとEQのような気がするが、
これらの言葉
(実際、○○能力などという
言葉や基準は、言って仕舞えば
いくらでも作れるもので、この他にもPQ(可能性指数)だとか、HQ(人間性指数)だとか、本当にたくさんある。)が
出現した背景は、
先にも話した、教育改革と関わりがある。

もっと言えば、教育改革も
この何とか指数も、
いろんなことを説明して、
いろんな指標を示すかもしれないけれど

結局、

IQ=一般的に知識量や問題処理能力
の指標がいわゆる今までの、
「頭の良さ」をあらわす指標
というのが

大枠の理解だったところに、

 能力って、一言で言ってもさ、
いろんな能力があると思うんだよね、
知識量だけが頭の良さをあらわすわけじゃないよ、

といった感じの視点がうまれ、
それ故に、その

"新しい頭の良さの価値観の基準”
の数だけどんどんそれをあらわす
指数の種類も増えていっている

のではないだろうか。

「思考力・判断力・表現力」
という文科省が大切にしたいという、
ふわっとした言葉を、
数値や基準として具体化するために
次々とそれをあらわすための指標が
基準が、キーワードとして浮上し、
能力の価値観が多様化しているが故に
それだけキーワードの数も増えたのかも
しれない。

3. 2020年の入試改革は

何だったのか

 様々な能力指数について、
少し見てきたが、
ここで2020年度に設定されていた
入試改革と教育改革について
この、様々な能力指数の観点から
考えてみたい。

 文科省の出している新学習指導要領も、入試改革も、
もっと言えば、
幼小連携、小中連携、中高一貫、
高大接続、

それらを踏まえると、
(当然、本当は、もともとあった言葉を使った、にしても)

 これらの能力指数の用語が、
この入試改革、教育改革を進める一貫として強く押し出されていると感じる。

実は、私学などは、
前々から特に私立中学入試などは、
こういう力を入試で試してきていた。
「なにを今更、」と思っている学校も少なくないと思う。

文部科学省の新学習指導要領
参考にしたい。リンクで貼った
ページの言葉をそのまま引用すると

「学校で学んだことが,
子供たちの「生きる力」となって,
明日に,そしてその先の人生に
つながってほしい。
これからの社会が,
どんなに変化して予測困難な時代に
なっても,自ら課題を見付け,
自ら学び,自ら考え,
判断して行動し,それぞれに思い描く
幸せを実現してほしい。」
というのが、目標であり、
標語である。

それらのための力を「生きる力」と
名付けて、
新しい教育内容には

・プログラミング教育
(本来、「プログラミング的教育」
であった)
・外国語教育(という名の英語教育)
・道徳教育
・言語能力の育成
・理数教育
・伝統や文化に関する教育
・主権者教育
・消費者教育
・特別支援教育

を掲げた。

大きくいえば、
「教員が、学校が」、
「何を教えるか」という視点から

「児童・生徒が、学習者が」
「何を、どのように学んで身についたか」
という視点に変えるための方向転換

であった。

「主体的・対話的な深い学び」にしろ、
「アクティブ・ラーニング」にしろ、
カリキュラム・マネジメントにしろ

やりたかったのは本来、結局、
ただひとつ、
学習者が、
自発的に、情報を得る力、
学び続ける力、
1つではなく様々な能力を組みあわせて
用いる力を伸ばす教育
であり、

その、自発的に学ぶ力を評価する
好奇心を持ったことを評価する、
他者のことを考えてあげられるその能力を評価する、
と、評価のために次々とそれを表す検査とそれにより出てくる指数となったのが、先の様々な能力指数であったのだと思う。

教育改革も、それに伴った教育内容も、
教育内容や目標のための評価の仕方も
日進月歩次々と出てくるようにも
見えるが、
突き詰めて考えると、

「今や、どんなことだって
それぞれの能力であり価値であり、
学力だとか体力だとか、
目に見えるもの以外のことでも、
色んな人の、色んなキャラクター、
性格、人格、価値観を、評価
するようにしていこう」

という、寛容性を求める考えから
生まれたのかもしれない。

そうなってくると、ひとつ矛盾が
生まれる気がする。

指数にする必要があるのか
という点である。

先にもIQのところで述べたように、
指数、平均値、中央値などを明らかにするのは、
ほかの同一集団(同年齢集団等)と
比較した時に、
あなたの位置はここですよ
と客観的に、そして具体的に
その位置を明らかにするためである。

しかし、多様化を目指すなかで、
人格、性格、生活力、
忍耐力、寛容さ、等を

同じ仕事をどれだけ早くこなせるか、だけではなく、
例えば、どのような考え方をしたのか
だとか、

もっといえば、
他者とは比較しない、
それぞれの目標に対して、
個々人がどのようにアプローチし、
いかに困難を乗り越え、
どのくらいの期間を経て
達成したのか、

他者とどのように関われる人なのか、
つまり社会の中でどんな役割を
担える人なのか

という観点で評価していこうと
するならば、

元を辿れば、統計的な指数評価すら
必要ないのではないだろうか。

そして、様々な能力を、
それぞれの人が伸ばしていくために、
必要なのは、
各個人が自分自身と
ゆっくりとじっくりと向き合い

自分の好きなことはなにか、
好きな時間はなにか、
何を愛おしいと思うのか、
どんなときに
楽しいと思うのか、
心が幸せを感じるのはなにか、

そういう、
自分自身と、自身の心のゆとりに
もっと着目して、
"心地よく、自分にも他者にも優しく、
幸せを感じる余裕をもつ"時間であり、
余裕であり、意識的にそうできる
能力を養うこと
なのでは、
ないだろうか。

実はそうした能力の為に必要なのは
知識の量でも、英語力でも、
数理的理解でもなく、

ゆっくりと好きなことに打ち込んだり、よく寝たり、十分に休んだり、
そういう、心のトゲや日々の疲れを
回復させる時間や空間であって、
そうしたゆったりとした時間を
持てることで、
自己または他者への寛容性を
育むことが出来る
し、

寛容性を持てるという余裕が、
想像力を育み、
好奇心を育み、
学習意欲やレジリエンス(自発的治癒力)
を生み出す
と思う。

レジリエンスとは
精神的抵抗力、回復力などとも
言われ、ストレスなどの
外的刺激に対する柔軟性を
表すことばである。

先の、アラン・グレジャーマンの
挙げていたCQを育むためにも、
重要なのは、
"ゆとりをもてる心と頭と身体"であり、
そのためには

日々を、心をまぁるくして過ごす、
毎日の、ご飯だとか、天気だとか
友達との会話だとか、一人の時間、
または楽しいと思うことに熱中したり、
存分に遊んだり、時には妄想したり、

そのような、
意識的に、余裕をつくれる力、
が最終的に根源的に、必要なのであり、
そうするためには結局、

英語教育よりも、プログラミング教育
よりも、入試改革よりも、
授業時数増加よりも、

または、たくさんの習い事よりも、
机に、子どもを意志とは無関係に
はりつけることよりも、

心の健康を育む

つまり、自分を愛せるようになり、
他者に寛容になれるようになり、
日々予定や時間に追われている中で
少しでも意識的に、きちんと
時間を大切に目の前のことにゆったりと過ごせるようになる、
少し想像力を働かせてあげる、

そういう時間と能力が、
重要だったりするのでは、
ないだろうか。

どこかの自治体では、子どもの
ゲーム時間を減らすための条例なんかを考えたようだけれども

根源的に重要なことは
何なのか、

をつきつめることが大切で、
そういう時に、

「本当に大切なことは何なのか」
が大切なんじゃないだろうか。

追記だが、ものすごいゲーマーでも
頭がとてつもなくいい人も知っているし、
頭の回転がはやかったり、
わたしにはよくわからない数式を
書きながらゲームする兄もいて、
そういう私の周りの人は、

実際、まず、とてつもなく頭がいい。
それは例えば、

自分の時間をきちんと守れる、

課題をスピーディーに処理する
能力も高い

ゲームでの能力発揮に、
数学を用いている。
(私にはわからない数学の式や定理を
用いて計算してゲームをしたり)

自己と他者の分化もきちんとでき、

仕事と日常を上手にバランスをとり、

自分の力で幸せを感じる能力がある。

そうしたことを踏まえた時、
結局大切なのは、
英語力ではなく、
また、問題解決能力よりも先に、
心の中に常に円を描くような、
そういうゆとりを持つこと、
心をまぁるくしていられる余裕、
自分や周りの人に優しくできる余裕、
そのための想像力や時間
なのかもしれない。

そして、それらを育むためには

よく遊び、よく人と話し、
よく食べてよく寝て、
そして一人の時間を持ったり、
本(それも物語)をたくさん読んで、
想像力の翼をひろげ、または
自分と向き合う。そうした時間を
意識的につくる心の余裕をもつ能力を
伸ばすことだろう。

さぁ、
まずは、
ゆっくり深呼吸をして、
今頭の中にある様々なことを一度
すーっと片隅において
紅茶かなにかでもいれて、
一息ついて、
また、時間を気にせず
思い切り好きなことに没頭してみる
そんな時空間をつくってみよう。

そうして、あなたの好きな事
心地いいこと、大切にしたいこと、
そういう"♡"を感じるものを
想像してみよう。

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(2020/1/23)

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