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SDGsへほとばしる想い



最近、頭がとっちらかっている。

いや、頭がとっちらかっているのは、
もともと、だけれど、


やりたい事や思いついたことに
身体や行動がついていかない。

心もついていかない。



2年前、正規職の教員は、
心身共に疲れ切ったまま着任してすぐやめてきてしまったけれど
大学生の時から
ずっと教育のハタケで生きてきた。

教職課程も履修して、
一応英語科の専修免許を持っているし、
塾講師も3年間やったし、
家庭教師も2人教えていたし、
学内活動にも携わってきたし、
小学校の英語のTAもやったし。



学部の専門も第二言語習得、
大学院の専門分野も
第二言語習得と英語教育、
特に小学校英語教育について
考えてきた。

教育の道へ行こう、
そう思ったのが19歳、

教育に生きる!
そう心のなかで決意したのは
確か20~21歳頃。

そこから色々あって、
大学院進学して
学校教員になったのに
ほんとに3日と経たずにやめてきて
しまって、

私は、教育者には向いてない、
教壇には立てない
智徳の模範たらんとする人間には
なれない

そう思った。




そのうち、勉強不足になって
英語が全く読めなくなって
心的要因もあるのか日本語も
読めなくなって

アニメを20分くらい観る、
というのすら今は辛い。

そこまできて、
教育のハタケにいるのも、
第二言語習得のハタケにいるのも、
辛くなってしまった。

おまけに、
どんどん成長していく同級生や後輩、
優秀な友人たち、

SNSを開かずとも、
周りには私のできないことを
当たり前にこなせる人が
5万といて、

まともな時間に起きることも、
ご飯をまともに食べることも
1日の計画を立てることも
立てた計画を履行することも、
お風呂に(ストレスなく)入ることも、
何も出来ないわたしは、

友人たちの「大丈夫だよ」も
「最近これに関心があって」も
「今はこんなことをしていて……」も

聞いていて辛かった。

友人たちは
どんどん成長して、
困難にぶつかって、乗り越えて
1人で生きていた人が、
誰かと人生を共にしたり、
気づけばお子さんがいて
親になっていて、

いつまでも実家から出られず、
まともに働くことも出来ず、
「親の子ども」の立場から抜けられずに
自立出来ない私は、

とてつもなく子どもに思った。



転職活動もうまくいかない。
たった1週間に2日ほど、あわせて
10時間働くだけで、
アルバイトの次の日が半日以上
潰れるほど起き上がれなくなる。

こんな状態では、
私は社会の厄介者になるし、
このままいたらきっと
ずっとまともに働けなくて、
いつまでも親に迷惑をかけて、
親が心配しているとおり、
親が老いた時、亡くなった時
1人では生きていけなくなる
そんな道を歩むのかもしれない。

その想像をするようになった。

兄弟もいて私だけが、
大学院まで行かせてもらった。
しかも、中学受験だって3年間も
塾に通わせてもらったのは私だけ
高校生のとき海外研修行ったのも
兄弟で私だけ
大学院まで12年間も
私立に行かせてもらったのも、
その後働けずに実家にずっといるのも
薬代や医療費を払ってもらっているのも
私だけ

だのに、教員の専修免許を
もっていながら英語が全然できない。


日本語も読めなくなってきて、
英語を教える経験もなくて
(塾講師は英語の需要より
国語や低学年指導が多かった)

ブランクもあって
健康でもなくて、
体力もなくて
若くもなくて
第二新卒の上限年齢で


なんにも、

なんにもなかった。

抑うつ的になったのに
通院できるお金を自分で払えないから
通院も拒否して、

コロナの間に少しやわらかくなった
心がコロナ明けに
アルバイトが消え、
転職活動を再開したら
すっかりダメになった。

「もう教育のハタケから
足洗おうかな」

本気でそう思って友人に
ぼそっと言うと

「私はもったいないと思うな。
あなたは能力ないっていうけど
向いてると思うんだよ。」

そう言われた。



「教育に携わろうとすると、
今全然楽しくない。辛い。
3年間のブランクや能力や、
そういうのばかり聞かれて、
突っ込まれて、
それは当然なのはわかるし、
転職活動市場にいるから、
できることを求められる。
大学院卒だし。
でも、
大学院修了するまでは
研究のことも教育のことも
キャッチしてたけど、
大学院修了してしばらくしてから
疲れすぎて情報遮断するように
してきたから、今の教育キャッチ
出来てないこともあるし、
大学院修了してからアルバイトしか
職歴ないし、
日本語も読めなくなってるくらいで
英語読めなくなって出来なくなって
結局アルバイトしていると、
アルバイトが忙しくなりすぎて
試験受けられないし、
かと言って今みたいに
アルバイト減らしてると、
転職活動のお金も、
試験を受ける費用だって捻出できない。
それで英語の試験のスコアとかもなくてこれまで先生の経験ないんですね、
実務経験ないんですね、
今の教育動向もキャッチしきれてない、とかも突っ込まれて、
そういうの全部当然言われるの
わかってるけど、
私今、人に会うのもきついし、
お金に困らないならアルバイトだって
こんな頑張って無理してやらない、
やれないよ本当は……きついよ。
でも、既卒3年目になって
猶予もないし、いつまでも親に迷惑
かけられないし、」

言葉は突然の嘔吐のように
溢れ出てきた。




「でも、教育が嫌になったわけじゃ、
ないと思うんだよね。
そうだとしたらとっくに、
別のことに興味持ってるだろうし」

そう友人が言った。



「教育に関して、
こんなことしてみたいとか、
教育じゃなくても、
今こんなことしてみたいとか、
あるんだよ。
今はSDGsにも強く関心あるし」

自分の口から溢れた言葉を反芻した。



SDGsにも関心あるし。。

そうだ、今教育で唯一、
楽しそうだし今知りたい!!!
と強く思えているのは、

SDGsだった。


友人が言う。
「いいんじゃないかな、
楽しいと思うことを、
自分が楽しいと思う形で、
やってみたい、何かしたい、
発信したり実践したり、
考えたいんでしょ?」

そういうのを自分なりに
何か伝えたい、行動したい。

それだけはまだ、
キラキラに輝いて楽しそうに見えた。

だから、
すぐにSDGsの、
見つけた本を買ってみた。

ぱらぱらとめくっていて



あ、
小さい頃、海外に住んでいた時から
貧困を見てきて
強く貧困に関心があったな

そうだ、経済的貧困が
教育格差に繋がっていること、
どうして私は恵まれた環境に
生まれたからこんなにも恵まれているのに、一生懸命頑張っている子が、
たまたま経済的に裕福でない環境に
生まれただけで教育の機会や
学びの機会を与えられず、
そのせいで将来が狭められなくては
いけないんだ、

小さい頃から、感じていた。

貧困を、海外の事情、と思っている
周囲の同じように恵まれた友人知人を
見て、幼稚園頃から見てきた私は、
「日本の貧困は目に見えづらいだけだよ」素直にそう思ったし、

私自身が、
病気や障害や、不平等を、

「乗り越えなきゃいけないもの」
「乗り越えようとしていることこそ、
素晴らしい」

と世の中の人に考えられているのが、
とても辛くて、
私とは状況が違っても
同じように「苦しい」という気持ちを
持っている人はきっとたくさんいる

そう感じていた。

幼少期から貧困をみてきたし、


中高時代にもキリスト教の学校でそうしたことを考えてきたし、

大学・大学院の間に教育の課題も
考えてきた。

そういうことを考えてきたことが
私が教育から社会を明るくしたい、
と単純に思った原点でもあった。

大学時代、友人が一冊の本を
紹介してくれて、
フードロスに関心を持った。
これだって、フードロスなんて言葉を
知ったのがその時だっただけで、
昔から食べるものが沢山あるのに
捨てる日本と
食べるものがなくて家族のために
日銭を稼ぐ海外在住の時に
見た子どもたちが頭に浮かんだ。


フードバンクは友人の話を聞いた程度
だったけど、Table For Twoには
ほんとに少しだけど参画した。

小さい頃から、
「ゆかまるちゃんは、女の子だから」

「女の子なんだから……」

と言われてきたりして
その、「女性だから、男性だから」に
ものすごい嫌悪感を感じていたし
まだ、LGBTQ+のどの1文字も知らない
小学生のときから、

(これは、小学生の私がつくった言葉だからニュアンスが伝わりづらく誤解を生むかもしれないが許して欲しい)この世界は、女性と男性だけじゃなくて、

男男(心も身体も男性)
男女(心は男性だけど身体は女性)
女女(心も身体も女性)
女男(心は女性で身体は男性)

になっているんじゃないか、
なんて思ってそんなことを
ポエマーしていた厨二(中1~2)のときに
文字にした記憶がある、


その後、私が大学生になって、
ついここ5年ほどだろうか、
社会的にもジェンダーに関して、
公に話す人が、増えた気がして
私は小学生頃から、思っていたことに
言葉を、定義を与えられた。

SDGsというタームが
世界に与えられたのが

2015年とかそのくらいの
ここ5年なだけで、

2030年までに世界で取り組み、
解決して行こうという目標として
明確化したのがここ5年、
周知され始めてきたのが
ここ数年なだけで

国連は21世紀にはいる頃から
SDGsの基盤となる目標指標の話を
出していた気もするし、

私だって、教育のハタケにいて、
大人になってSDGsだの
教育格差だの、フードバンクだの、
名前や活動を知っただけで

それらの問題の根本に関する
疑問や関心は、小さい時から
あったしずっとそれについて
考えてきた気がする。


そして、例えば貧困、
教育、ジェンダー、
饑餓とフードロス、
障害と社会、
障害と教育

といったことに関しては
何かしたいという気持ちは
ずっとあったしそれで活動したり、
携わったり、職としようとしてきた、
そんな気がする。

それが自分の中でとっちらかっている、
やりたい、こんなこと考えたい、
こんなことに取り組んでみたい

それだけが先行して、
能力が追いつかなくて
社会の課題解決どころか、
自分の生活すら解決法が見つからずに
自立できずにいる。

でも、
仕事に就くことが目標になっていくうち
そんな、純粋に

社会がこうあって欲しいとか

教育に進もうと思った時の純粋な気持ちとか

そういうものを
心に留めておけなくなった。


そして、もっと英語勉強しないと、
働かないと、
何とかして職につかないと、

ばかりになって

理想や夢の気持ちは、
どこかへ押し込まれていた。


私には、何も出来ない。


その気持ちだけが大きくなって。


友人にいわれた
「教育職に就こう、とか
仕事を見つけようとか、
そのために自分のあそこが足りない
ここが足りない、私はダメだ、
ってなってしまいすぎているよ。
仕事に就くっていうのを、
一旦はずして、
自分が今純粋に、関心のあることを
今のあなたにできる形で、
発信してみる、挑戦してみる
行動に起こしてみれば
いいんじゃないかな」

「あなたが、直感で、
これだ、あれは違う、
と思ってるそれは大切にすべき
じゃないかな」

既卒で職歴が浅い人のための、
就労支援セミナーの説明会
みたいなものに行ったものの、
違和感を感じたまま、
その違和感を払拭できずに
とりあえず登録もせずに帰ってきた私は
友人にそう言われて

よし、じゃぁ、私、
今たくさんやりたいことあるし、
読みたい本もたくさんあるけど、

ここ1週間特に、ずっと
SDGsに関して、
もっと形に落とし込みたい、
自分の行動や生活に落とし込みたい

そう思うから、
ちょっと挑戦してみるよ、

素直にそう言えた。

SDGsなんていうと、
新しいもののような
感じがするだろうけど、

中身は私が昔から、
心に、頭に、もっていた種が
項目分けされているだけで、

私が小さい頃から
感じていた疑問や関心を、
私が育ってきた環境や
見てきたもの、そこから感じたことに
結びつけて話すこと、伝えること、
考えることは、

他の、私と同じような環境で
育ってきていない、

私の経験してきたことを
経験していない人たちに伝えることは

それだって1つの大切な行動で、



例えばそれを、
アクティビティ化したり、

他の問題とからめたり、

教育や人に教える、ためにどうするか

考えることは、

私がこれまでやってきた全ての活動、
学んできた教育、

学部時代、大学院時代、
大学院修了後から勉強してきたこと
(組織論やリベラルアーツ、
ストーリーテリング、言語習得、
UXデザイン、ブロックチェーン
デザイン思考、ティール組織、
フロイトやアドラーなど)

そうしたものをまさに、
融合し統合して
それらの知識を用いて、

何か行動に、移すとき、

と強い気持ちが芽生えた。

これから形を、
何をしていきたいか
考えるので、

何をするとは、
明言出来ないけれど、

久しぶりに、
少しワクワクした、
ほとばしる想いを感じ取った。

私は、大学院卒で、
英語の先生になるための勉強もしてきて
研究もしてきて、
それなのに英語もできないし、
教員には向いていないかもしれない。

自立できていない今、
まだ結果が何一つ出ていない今、
どんどん前に進む友人たちが
もうどこにいるのか見えない今、

私は社会の厄介者に、
なっているかもしれない。


だけれども、

できないことを、苦手なことを
命を削ってでも必死にやる力も疲れも、

経済的困難が可能性を排除する現実も

健康が何より大切であることも

食べるものがない国がある一方で
どんどん食べ物を捨てる日本の、
そのどちらも、

女性だから、馬鹿だから、
で閉ざされる世界も、

周囲の環境で受けられる
教育が変わることも、

それによって進路や夢の範囲が変わることも

努力だとか忍耐だとか気力、根性なんてものじゃ変わらない現実も、

障害をその人自身の問題でその人自身が乗り越えなきゃいけなくて、
乗り越えられない人は
ダメだとする世の中も、

寿命が伸びる中で
生きていたいと思わない、
死にたいと思う人の気持ちも、

マイノリティに分類されることも、
カテゴライズされることで生まれる差別もカテゴライズすらしてもらえなくて
生まれる差別も

ジェンダーや人種のことも、


性暴力やデートDV、家庭内暴力を、



そういう、これまでの人生、
幼少期から持ち続けてきた様々な
疑問や関心について、
自分なりの、自分にできる範囲からの
私に出来るやり方で、
私の通ってきた経験や知識を活かした
行動を、今、

やりたいと強く感じている、
そんな自分を見つけた。



未就学児童や小学生を、
中高生を教えてきたその感覚や
言語習得や教育理論、
教授法、
自分で勉強してきたことを、

組み合わせていきたい。

まだ、走り出したばかりで、
形になんかなってないけれど

1人でやるのは苦しい。
限界もある。

きっと、誰かにこの想いを
この考えを、この意思を、
伝えていくことが、
気持ちが苦しいままの今の私に出来る
最初の1歩だから。

#SDGs
#教育への思い
#教育
#無職

これをnoteに書いたのは、
長くなるから、という理由で
さらに、この溢れ出した想いを
書き留めておきたいからである。



私は文学研究科にいたわりに
滅法、文才というものがないが
この下手くそな文章から、
とりあえず、輪をつくりたい
無理をしない、輪を、

そうおもって、記事としてまとめた。

残念ながら、
資本主義社会のこの世の中は
成果物がどうであるか、が
重要視されて
想いだけじゃ意味が無い、という。

そもそも、意味の無いこと、とか
余白みたいなものを許容しない。

そのくせ、理想の資本主義社会ほど
個々の発展や自由は重視されておらず


国で問題が起これば
困難が起これば
「みんなで」「足並み揃えて」
「忍耐で」解決を目指そうなんていう。

あるのかなんて不確実な
キボウだとか、
キズナだとか
を掲げて、
国難を乗り越えようとかいうのに、

個々の困難は無視する。

一丸になっての努力で
築き上げたものは大きい。

実際、日本の過去の
産業発展も技術革新も
国民の、社員の、
そうした努力や忍耐の力は
きっと大きい。

でもその一方で、

困難は乗り越えるもの、
忍耐は避けられないもの、
という認識も大きい気がする。

そして、
「成果物が何か」が
「その人の価値」と考える
資本主義、
まさに、
ウェーバーが指摘したような

自分の育ってきた中での「あたり前」に捕らわれる価値判断からの自由、

によって判断され、価値づけられ、

出来ないことは努力不足とされ、
出来ないことを許容されない。

そんな社会に生きづらさを
呼吸困難を覚えて、

結局想いだけはあるのに、
動けなくなる。

もっと、

楽しいとか
やってみたいとか

そんな気持ちで生きられて
失敗やその人が持つ
障壁を悪としない空気が
生まれたら苦しくないのにな


SDGsを考えながら
そんな社会の再考も
必要だと感じた。


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#SDGs

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#フードロス


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