不安を抱えたまま生きてゆこう。

 

 新型コロナウイルスで、
あらゆるお店が休業・閉店に追い込まれ
ついに私の勤務先も休業になったのが、
4月頭。


 いつおさまるのかもわからない、
何も考えず外に出る人もいれば、
怖くて外に出られなくなった人も。


 リモートワークできた職の人もいれば
お店が開けられず赤字になったり、
死活問題に繋がる人も。


 家にいる時間が増え、
閉鎖的な空間にだんだんと気持ちに
余裕がなくなっていく。


 ちょっとしたことでかっかしたり、
自分の命を守るのに必死で、
かと思えば、


 芸能人や著名人などの方々の
ちょっとした言動や行動に
敏感さが増して、

美容系の発信者が、
いつもどおりメイクの仕方や、
肌ケアの仕方を投稿すれば
「今はそんな事態じゃない」
という。


 個人的に、無責任にウイルスや
症状に関して素人なのに
何かを発信するより、
自身が力やお金をかけて
磨いてきた美容系の発信を
続けている方が、

 よほど「皆さん大変ですよね…」なんて話で終わるより、観てる側としては
暗い気持ちが晴れる。

 気持ちの晴れない読者の皆様に

イラストレーターの
平泉春奈さん

が、いま、
イラストとともに、安らぐ
音楽をとプレイリストを
作成してくださったので、
まずそれをリンクで貼ろう。



さて、コロナウィルスについて、最初に
話が出たのは2019年12月30日の中国
だそう。

 武漢市の眼科医が、
「市場で7人のSARS
(重症急性呼吸器症候群)が
確認された」とSNSの
グループチャットで医師らに発信した、
という。

 この時点で、
正しくない情報を流したとして、
この医師は、反省文を書かされ、
その後診察した患者がコロナウィルスに
罹患しており、その感染で患者が亡くなる。

 診察をしたこの眼科医も、
1カ月経たぬうちに新型コロナウイルスにより亡くなった、

とニュースが流れた。



 隣国のことと捉えていたのか、
対応が遅れ気味だったとされる
日本だが、
(政治についてはあかるくないので
あまり話しません)

 あっという間に日本にも広がり、

自分はかからないから、と
他人事でいた人たちも罹患したり、
職場がリモートワークに変わったり
閉店・休業になったり…と
大きな波が生活に押し寄せた。

(政治的にどうだったかに関しては触れないでおく)


 こういう事態を見ながら、
当然、仕事が消えることで
生きていくことが立ち行かぬひとたちの
不安はあるし、
 いつ、どこで、感染するかわからない
という不安は誰しもあるのだが、

 不安を抱えることができぬ世の中、
になっているのだな、とふとおもった。

 こうした感染症と、
日々のちょっとした不安を同列に語る
ことはいかがなものかとは思うが、


 それでも、一度、
感染症や、死といったものを取り除き

不安という気持ちの要素だけを
取り出して考えれば、

 不安というのは
安心ではい、 何かが気がかりで
落ち着かない、安らぎが得られない状態

ということで、

 感染症や病気に限らず、
不安というものは時に誰しもが
抱えるもののはずだ。

 不安がどこからくるか、
といえば、先行きが見えぬ今、
に立っている自分の状態の不安定さ
だと思う。




例えば

 暗闇の中で明かりひとつもない、
そんな中で手探り足探りしながら
一歩一歩踏み出そうとする
前も後ろも右も左もわからないのに、
前に一歩進めばそこは落とし穴かも、
崖かもしれないのに……。

例えば

 歩いてきたら二手に分かれる道があり
どちらにゆけば良いのだろう…
目を凝らしてみてもその先は右も左も
どちらの道もぼんやりと明るいような
仄暗いような…

例えば

 一歩一歩、きちんと
歩いてきたと思っていたのに
思いがけぬ悪天候にあったり、
追い剥ぎにあったり、怪我をしたり

 そうしているうちに
一歩一歩進んできた足取りが徐々に
重くなってしまう。

 不安な状態の時には、
そんな形で少しずつ心が、身体が
どんより重くなってゆく。

 このご時世では、
「皆が不安」で、誰に聞いたって心の底から「大丈夫大丈夫なんとかなる〜」
なんて思えなくなっていると思う。

 
 仮に、そういう人がいたとしたら、
食事をするにも買い物に行くにも、
収入源でも、何も変化もなく満足にでき
今までの日常と同じ日常を、
全く変わりなく送れている、
恵まれた人なのではないだろうか。

 少し前まで「私は大丈夫」
と思っていた人ですら、
感染していないにしても、
日常は大きく変わり、
不安が少しずつ蓄積されているだろう。


 思えば新型インフルエンザが
流行った時も、混乱は生じていた。

 ただあの時は、新型インフルエンザが
A型と近い
(確かではないが
そんな感じだったきがする)
と判明し、ワクチンができたら
混乱自体はおさまった。



 新型コロナウイルスが混乱や不安を
招くのは、「見えない名前のない毒」
のうちに、感染していると知らないうちに、

 あっという間に世界中に広まり、
4/14 4時頃現在で
 世界の感染者数

アメリカ 56万8176人

スペイン 16万9496人

イタリア 15万9516人、

と各地で増え続け、
全世界の感染者数は

 189万7373人、

死者数は

 アメリカ 2万2935人、

 イタリア 2万465人、

 スペインでも 1万7489人
となり、

全世界総数で11万8304人、

と発表された。





 まさに、文字通り

pandemic

  はじめは、特定地域の
endemic
(地域的に見られる、小規模流行)

だったものが、

 飛行機、船、電車、と

交通機関が整備されている
現代だからこそ

 epidemic
(特定コミュニティで一時的に
流行すること)

になり、

 outbreakし
(突発的に規模が拡大し、
集団で発生する)

そしてあっという間に、
世界中に、

 pandemic
(規模が拡大し、
国、世界中で感染者が流行すること)

となった。

 コロナウィルスの記事を読んでいく
中で、2年前に予言していたのでは!?

という記事を見つけた。

 このドラマの第一回では、
新型コロナウイルスに罹ってなくなった
とされる男性の恋人に、
ウイルス感染している可能性があるとして調査したいという話だったそうだ。

 この記事の方も記載しているように、
ドラマの中で、市川実日子さん演じる
東海林が、ウイルスにたどり着く前に

この世で1番恐ろしい毒は

 名前のない毒

だと言ったそうだ。

 名前のない毒、
つまり、まだ発見されていない毒

 コロナウィルスは、 
名前もついているし、発見されたが
ワクチン普及にははやくても
まだ1年ほどかかるとされている。

 ワクチンは、つくりはじめて
第一次臨床試験がおよそ6週間、
その最初の結果は2カ月余りかかって
わかり、

 新型コロナウイルスのワクチン
第一次臨床試験は2020年9月を
目指して目下動いているという。

 医療従事者用のワクチンで
はやくて、2021年に完成、

 これでも早急に動き、
懸命な研究と実験でうまくいった場合
だそうだ。


 まだ、名前のない毒と同じ状態。

 あと1〜2年はこの不安の状態が、
続く可能性がある。

 早くに収束して欲しい、
という気持ちはもちろんあるが、

 不安な状態が2年間続く中で

今の心境や情勢のなかで、
人々は前に進めるわけではない。

 当然、不安要素が除かれ、
解決に向かうのが最良にしても、

 一定期間、不安とともに過ごさねば
ならなくなるというのは自明のことだ。

 そういうなかでふと過った。


 私自身も、不安を抱えがちで
人より予期不安やパニックを起こすことは多い。

 私が今、壮大に不安を抱えずに
済んでいるのは、おそらく、
自分自身が仕事が
なくなってしまった現在も、
親のもとにいれば、経済的不安や
生活不安がなく過ごせるからで、
私自身が1週間外に出なくても
生活できている、
親に甘えた生活を送っているから、

ということに他ならない。

 それだけは先に示しておく。



 それでも、
コロナウィルスの猛進とは別に、

 不安を抱えて生きている

という状況はここ数年ずっと常にある。


 2018年に学位をとり、
就職して、しかし心身衰弱、
体力の著しい低下、なかでも
特に心の疲労により、

 仕事を辞めてきてから


 丸2年が経った。

 その間に転職活動も2回ほどしたし、
アルバイトだってずっと続けている仕事は
今22カ月目になった。


 この22カ月間の間に、9カ月間は
別の仕事も掛け持ちしたし、
さらに他の仕事に携わった期間もある。

 それでも、正規職に就けていない、
自身の収入では到底、
大学生のアルバイト以下くらいにしか
稼げていない、

だからといってこれ以上増やせば
寝込む時間も増える。

 周りの家族や友人には
なるべくあかるく、元気に、
振舞うようしているが、

 それもとてもできない時もある。

 
 仕事は大学院を修了してから
24ヶ月以上が経ち、
正規の就業経験のなく、
身体の状況を考慮して仕事をし、
それも時間が経てばたつほど、
状況は厳しくなる一方だ。

 どうにかしなくてはならない、

 頑張らなきゃ、

 私はどうしてこんななのだろう

 と、悪い方に悪い方に考える。

 それを察してくれるような人や
弱音を吐ける本当にごく一部の友人には

たまにあったり、大丈夫?などと
聞かれれば不安や心境を
言うようになったけれど、

 そうしたことを言うようになったのも
2020年に入ってから。

 大丈夫、というわけではない。

それでも、自分に今無理のない範囲で
なんとかやっていくしかない。



 不安はたくさんあるけれど、
そのなかで自分自身が

頑張れなくなってしまわないように

不安は不安として受け止めて

生きていくしかない。

 時間をかけて、少しずつ

そう思うようになってきて、今がある。


 そうした経験を経て今、この

社会的に不安な、不安定な情勢にいると

 不安と上手に共生する、


というのは、結構

多くの人にとって難しいことなのだな

と感じるようになった。

  「不安」とネットで検索すると

「不安 対処」

「不安 なおし方」

と出てくる。



 でも、私は、

不安は共生するもの

であって、

治す治さないというもの

ではない

そう思う。



 もうひとつ、
不安というものを調べてみたら

こんな記事も出てきた。




 記事を読むと、
不安もアタマで思っているだけの
「妄想」。


 だから、
不安を感じてきたときには

まず、妄想が湧いているのだ
と客観的に理解し、

 打ち克とう、だとかせずに、
あくまで客観的に、
妄想は妄想に過ぎないと理解し
それ以上に反応しないこと。

と書いてある。


 そして、不安も、自信も

妄想なのであって、
妄想自体をしない練習をするのだ、

妄想せずに、とにかくまず、
やってみる

ということを推している。



 でも私は思う。
もし、そういうことをはじめられて、行動に起こせて
そういう状況にいられるのなら、
おそらく不安はさほど感じないと。

 当然、動いていくなかでの不安は
ある。


 でも不安はおそらく、

 動けない、
動いているはずなのに動いていない

といった、停滞状態からくるのでは、
ないだろうか。

 不安も妄想なのだから、
妄想しない練習をするのだ、

 なんて簡単に言われたって、
そんなことができるのならきっと、

あまり不安なんて抱えずに済んでいる。



 それに、今のこの情勢で、
誰が、この多大な不安は、
妄想に過ぎないんだ、

なんて簡単に気持ちを
片付けられるのだろうか。


 不安は妄想だ、
という考え方を否定するつもりはない。

現に、対人関係においては
そういう場合は多いこともあると思う。

ただ、今、私たちが求めているのは

きっと、不安をなくす方法ではない。

だって、不安なんてものは、

生きている限り、

そして人間が必ず死ぬ限り

早々消えないから。

だから、必要なのは、きっと、

不安とともに生きる、

不安を抱えたままなるべく
気持ちを楽に生きる方法や

不安とどううまく付き合っていくか

じゃないだろうか。


よく、占いなどに、

あなたは、実は心配性でしょう、だとか

自信があるように見えて
実は周りを気にしている

なんて書いてあったら、

 6割くらいの人はきっと、

そうなの、私は実は不安なの、
心配症なの

なんて思うように、


 世の中のだいたいのことは、

2:6:2の割合でできていて

 上位20%、下位20%にも、

中間60%の要素は一部としてあるのでは

と思う。
(2:6:2は、働きアリの法則として
考えられているが、この法則
上位・中間層・下位と3つに
わけられる物事には
概して当てはまるような気もする)

 つまり、不安という要素も

それを色濃く前面に生活に影響するほど普段から抱える層がおよそ2割とし、

あまり不安という不安を感じずに
普段は自信を持って安心して
暮らせている層が2割とすれば

残り6割は、不安と安定の間を
ゆらゆら揺れている人々で、

 でも、自信のある2割が、
決して不安を持っていないわけではない。

 前面に出てこないだけ、では、
ないだろうか。

 情勢が異なれば、前面に出てくる。

 こうして今のコロナ状況下での、
世の中全体の、心の不安定さが
出来上がっている。のかもしれない。



 さて、話を不安は共生するもの、

という話題に戻そう。


 人は、
一度何かしらの不安を経験すると
なかなかその不安から脱却できる
ものではない。


 大きな病気をすれば、
仮に治ったとしても、
その病気の期間が
気持ちと共に経験として蓄積する。

 治らない持病になれば、なおさら。
いつ悪化するだろう、
いつ倒れてしまうだろう、
いつダメになってしまうだろう…
常に不安は続く。

 人生で大きく躓いたことのある人は

またあの時みたいに失敗するかも、
今度は立ち直れないかも、
と前に踏み出せなくなる。

 その心の不安や窮屈さは、
同じ経験を、同じような状況や年齢で
した人たち同士でないと、
いやそういう人たち同士でも、
なかなかに分かり合えない。

 だから、「あなたのことわかるよ」と
簡単に言われるのは私は好きではない。



 不安な気持ちでいると、
周りの人は一生懸命に励ましてくれる。

それが嬉しくもあり、
有り難いと思いつつ、

プレッシャーになったり、
なんであなたに分かるのよ
という気持ちになることもある。


それでも、このコロナの情勢下、

不安だ、不安だ、
という人々を見ているうち、

ふと、私自身の、

これまで、ほんの数ヶ月前までの
十数年間の気持ちとは、

少しだけ異なっていると気づいた。


 不安な気持ちを周囲に心配されるほどどんどんと追い込まれた気持ちになりながら、それでも2年間、
いやもっというとここまでの不安状態は中高生の時からあったのでもう15年ほど、

 なんとか、どうにかこうにか、
揺れながら生きるわたしが、

 このコロナの影響で

不安を募らせる人々をみていて、

思い浮かんだ言葉は、

「不安を解消する」

ではなくて、

「不安と共に生きる」という

考え方にならないと、

不安って、

得体の知れない影が

大きくなるだけじゃないのかな

だったのだ。

 当然、今の事態は非常事態だし、
大きな非日常だ。

 でも、

テクノロジーの進化

ITの進化、

予測のできない未来、

加速度的に進む社会

と、先の見えない、なかなか
予想つかない、想像の追いつかない、
社会の中で生きていく私たちに

一番はじめに必要なのは、

不安定なままに生きる


不安と共に生きる


という受容する生き方、


なのかもしれない。


 そのためには、


人生の余白をどう生きるのか、
も大切だろう。

 余白については、過去に書いたので
こちらも参照ください

https://note.com/patissier_y/n/ndfe164989805


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 勢いのままに書いたので、
あとで改編するかもしれません。


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