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パティシエという仕事についた事

パティシエという仕事について書いてみる。
菓子職人。
今の時代はかっこよくパティシエや女性だとパティシエール。とかいう。

私がパティシエになったのは完全に父の影響だ。私が9歳の頃に今の店を建てたのを覚えていたのだが、ケーキ屋さんになると決めたのは幼稚園の頃。私の夢はずっと変わらずパティシエだった。


将来の夢
絵に描くのはいつもケーキ屋さんの姿。
今思うと考え深いというかよくなれたなと思う。これは紛れもなく、両親が真っ直ぐにお店を続けてきた結果で、そんな姿をずっと見せてくれたからだろう。

高校卒業してすぐ修行に出た私は、専門学校から来た人と同期になり、歳ももちろん上で、同い年もいたが、経験値もバラバラ。しかも田舎から出てきた私ははじめての一人暮らしで、家にテレビも電気も最初なかった。
金銭感覚もまだまだで、無駄に高いTVを2年目くらいにかったのを覚えている。なんであんな高いテレビを買ったのだろうと今でも思う。
肝心の仕事の方は忙しいお店だったので色んなものを求められる所で、先輩にもどんどん仕事を教えてもらい、成長できた。


ここから12年。職人の世界というのにどっぷり。


正直に言うと厳しい世界だ。
父には『お前には無理だ』と言われていた。
自分も経験をしてきたからその言葉が出たのだろう。娘にそんな辛い経験をさせたくないと思ったのかもしれない。
でも『無理だ』しか当日言われなかった私は、それが悔しくて3年くらいはまともに実家に帰らなかった気がする。悔しかったから。ただそれだけ。

今は労働時間がとか、体罰がとか。もちろん厳しくなってきた。でも、本当にそうなのかな。
改善はされてきたけど、経営者の意識が変わらない限りまだまだ結構グレーゾーンな部分がこの業界にはあると思う。自分も経営側になってみてきちんとしなければならない所ではあるが、かなり窮屈だなぁと思う部分も正直ある。

突然仲間がいなくなったりとかはザラな世界。
あれ先輩来ないなとかね。突然自分に先輩のポジションが与えられたりする。
でもこれは私的にはチャンス。
こんな事が本当にたくさんあった。


でも一年一年同じ事はなくて、時代の変化や流行りみたいなものもあるから、未だにこの仕事は飽きないし、きっと根底に『好き』があるのだろう。『好き』を仕事に出来て本当に幸せ。


修行はきつい。そりゃそうだ。
楽な事は何もない。
でも、経験とか仲間とか。
それは一生覚えてる限り糧になる。
修行しに行って本当に良かった。
パティシエを続けて来て本当に良かった。


今は経営の側になって、また違う目線で仕事をしている。正直修行時代の時より考えることは増えた。たまに泣きそうになるほど仕事が降ってくる。
Uターンして地元に戻ってからは、店の事も考えるが、町のコミュニティの事をよく考えたりする様になったのは間違いない。

こんな小さな町は考えることをやめたら、一気に衰退していくと思う。
知ること、伝えることはセットで私もまだまだ知る必要がたくさんあって色んな人と出会ってコミュニケーションを取らないといけないと思っている。
もしかしたら今1番やっていることかもしれない。

仕事的に言うと農家さんに言ったり、販売先に行ったり。
地域の事で言うと、イベントに参加したり、会議に参加したり、時には飲み会に行ったり。


コロナになってリモートとかもあるけど、実際にあって話すこと。
改めて大切だと思う事があって、コロナになって閉ざされたコミュニティがさらに狭くなっていく中で、今まで普通に出来なかった事が出来なくて、色んな事が取りやめになって。
その中で色々考えて新しい形を見つけてきたのだけど、人と人のコミュニケーションって、肌感とか雰囲気とか、そういう事を感じるためにあるんだなぁと最近思ったりしてる。
PCから香りは出てこないし、その場の空気感ってやっぱり現場とは違うんだなぁとかね。


だから人とのコミュニケーション

大切にしなければいけない事。

これはどんな状況になって、どんな立場になっても忘れずにいたい事である。

だからといってコミュニケーション能力が高いかと言われたらそうではないのだけど笑

栗のペーストを作りながら、色々考えていた所でした^ ^

津奈木のアート
婦人会のおせっかいな優しさ。好き♡
津奈木町シャイマスカットも農家さんがいらっしゃる


今日は熊本県が紹介している津奈木町を↓
視察を組んでもらえるくらいになれば良いですね。



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