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魔法ができるまで

ー君がいて、僕がいて
放課後に鉛筆を転がしていた。本当の恋をすると、その人の顔が見えなくなる。真っ白な顔だけが残り、その輪郭さえもボヤけて見える。虚な恋。そんな時に一本線を引く。鉛筆は、白紙のノートの中に消えていった。
どこに線を引いたのかも何もわからない。曲率が0になっていた。こういう現象のことを、初期値鋭敏性と言うそうだ。つまり、2次元の山の頂上にボールを置く。すると東西のどちらかに落ちうるものと考えられる。もしも、東に転がれば、西に転がればという意味で、その後の人生に影響を大きく与えるらしい。これを3次元に拡張すると、「山」がぐるぐる回っているようになる。それ故、上から見ると、鉛筆転がしのように、360度どこに転がるかわからない。もし、転がっていなかったら、「真空」と思いたまえ。人間の面白いところは、それが転がってしまうことだ。つまり、いつ、どこで、だれと、何のために出会うのかはわからない。

学者らしく説明すると、人間の深層学習というものがあり、その記憶の度合いは、ニューロンの結びつきに関係がある。大まかに3種類で表現すると、松竹梅のような感覚である。強い記憶、中ぐらいの記憶、忘れてしまう記憶などである。人間が生きていくには、何回も何回も、記憶を強化する必要があるのだが、時に強烈な記憶が起きることがある。恋愛も、その一種であった。歴史は繰り返すという言葉がある。僕には、遺伝子的なことは全くわからないが、死生観はよくわかる。

ビットの世界では、生成消滅演算子と言って、消えたり、生まれたりする概念がある。この辺は、量子力学の話だから適当に流しておいた。けれども、これから起こる未来についても、ふとした衝動的な出会いや別れが待っているかも知れない。マインクラフトのようなビット動画が再構築されるとき、n-1の世界、nの世界、n+1の世界と並べてみる。そうすると、喩えがわかりやすいのではないかと考える。

それはさておき、君は本当の恋をしたことがあるかい?

実は、脳というのは共鳴したときに恋に落ち、それが少しの具合(49:51)で釣り合わないとき、片思いをしているという魔法にかかる。あの人が、振り向いてくれたと女性は喜ぶけれど、それが「ほどよい」状態にある時、男は夢中で夢を追いかけ、女性は描写の形でもするかのように、嬉しいと納得するのである。先ほど、遺伝子的なことは全くわからないと言った。それは、人生という道の中で、ほどよい「バランス」に作用されるからである。ずっと生きたいという人は、諦めを知らない。もう死にたいという人には、救いの手を誰かが差し出してくる。

ーー僕は、空腹である。その為には、何かの料理を食べたいと思う。弱肉強食のこの世界には、色んな人が人種のるつぼのように存在する。もっと言えば、毒とそうでないものがあるんだ。

料理を作ってくれた人には、感謝しかない。
美味しそうに食べてくれる人に、母性は働きかけるのだ。
母性とは、自分を産んでくれた人のこと。愚かな行いを戦争という。
現代は、どうして寂れて行くのか?
科学がそれを教えてくれるというのに、何故か人々は、そんなことにも気付かない。

僕は、夢を追った。夢の手助けをしてくれた人の顔は、幻になって記述されていく。華やかな街では、気付かないことが沢山ある。ずっと、愛故にを繰り返す少年は、女性から可愛がられるのだろう。そして、何故かそれを理解している人間に至っては、女性から笑われる。

まるで夢が、時空を超えて「追憶」したような文章を書くのは初めてだ。僕は、”今”を大切にして、暗闇の中で光を放つ蛍光灯のような涙もろい進化に架け橋をかけて、七夕を探す旅に出ている。その旅は、終わることなく、次の循環もずっと続くであろう文明に、明るみを照らしたいと思っている。男は、大体そんな風にして、ひまわりのように咲いていく。太陽の方向を向くことで知られるひまわりの花は、乙女のような心の人には、突き刺さるものかも知れない。

魔法は、永遠に続くと信じて生きていきたい。それが、どこまで?どういう具合で?無限を描くのかを大切にして。
本当の「空白」はそこで収束していくのである。

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