初めて書いた知財エッセイ 『なにかの入れ物』
はじめに
本記事は、Toreru Mediaさんの第1回「知財とアレ」エッセイ大賞に応募して落選したエッセイを供養するものです。
しろさん、ばーさんの記事に便乗させていただきました。
普段から特許明細書は書いているけれど、たまには仕事じゃない文章を書いてみたい。文才があるのかないのか試してみたい。私がエッセイコンテストに応募したのは、そんな動機からでした。
でも、実名で応募するのは少し恥ずかしかったので、性別も逆にして偽名を使って応募することにしました。入賞したら「実はこれ私が書いたんです!」とカミングアウトしようかな、などという妄想も虚しく、落選したわけですが…。
コンテストのお題は「自分の好きなテーマを知財に絡めてエッセイを書く」ということで、私が選んだテーマは「容器」(特にプラスチック容器)です。今思うと、テーマ選定からすごく地味…。
もともと私は、製品パッケージのデザインや細やかな工夫が好きです。最初に就職した企業でプラスチック材料を売る技術営業になってからは、プラ容器により注目するようになりました。(ちなみに弁理士になった今でも、プラ製品を見ると素材を推測してしまうという当時の職業病が残っています。)
その企業に入社した当時は、今のように脱炭素、脱プラの流れが来るとは思っておらず、プラスチックがこんなに悪者にされるとは予想もしていませんでした。
「プラ容器」への思い入れと、いまや地球の邪魔者になってしまったことへの複雑な想いを綴ったエッセイ、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
なにかの入れ物
容器、包装、箱、パッケージ。なぜだか僕は昔から「なにかの入れ物」に心惹かれてきた。
コンビニやドラッグストアに行くと、様々な製品の入れ物が「買ってくれ」と訴えかけてくる。お菓子にはお菓子の、シリアルにはシリアルの、目薬には目薬の入れ物「っぽい」見た目があって、それぞれガラパゴス的に進化した生き物みたいだ、と僕は思う。
大抵の入れ物の役割は、僕ら消費者に選ばれてカートに放り込まれ、レジを通った時点で終了だ。家に帰れば、半ば面倒くさそうに開封されてゴミ箱行き。そんな儚い運命も、僕の心を惹きつける要因の1つかもしれない。
ちなみに僕の妻は、CDケースの外側にまとわりついている薄い透明のフィルムを破かないように端から丁寧に開ける。保管するときにまた使うからだそうだ。でも、あの類のペラペラの透明フィルムがそんな風に丁重な扱いを受けるのは、きっとレアケース。「お前、ラッキーだよ」と、僕は心の中で命拾いをしたフィルムに語りかける。
最終的に捨てられる運命は変わらないにしても、主役である中身が使われるときに、脇役として活躍する入れ物も多い。僕が特に好きなのは、ただ中身を入れるだけではない、何らかの機能を身に着けた入れ物たちだ。
僕の就活を助けてくれた「マジックカット®」
たとえば、古くからあるものだと、納豆やカップ麺に付いている調味料の小袋で見かける「マジックカット®(注1)」。ハサミを使わずに指で簡単に開けられるビニールの小袋に、子供ながらに「考えた人はすごい」といたく感動した。
「マジックカット®」登場以前は、開けるための切込みが入った袋や、端がギザギザに加工された袋しか存在していなかったと思う。切込みは探すのが面倒だし、その切込みで開けるのに失敗すると詰んでしまう。ギザギザは、ビニールが伸びてうまく開けられないことも多いし、力の加減に失敗して中身をぶちまけてしまう事故も起きがちだ。
「マジックカット®」はこれらの問題を解決してくれるので、すごい。確かにすごいけれど、こんな小さな脇役の袋のために、なんて細かい工夫を考える人がいるのだろうか、という意味でもため息が出そうになる。だって、納豆の容器でもなく、納豆に付いているタレとかカラシとかの容器だ。脇役のさらに脇役である。
そんな謎の思い入れがあったので、就職活動で第一志望のメーカーに自由作文の提出を求められた時にも、「マジックカット®」のことを書いた。『この発明に感動した体験から、自分も日本のものづくりに貢献したい思うようになった』と書き、なんと内定をもらえた。もちろん理系に進んだ理由は他にもあるので、多少盛ってるかもしれないけれど、嘘じゃない。
「マジックカット®」の特許(注3)はもう既に切れているので、最近では「どこからでも開けられます」という表記だけの類似品もよく見かける。しかし、上手く開けられなくて、僕をイラッとさせることもある。「マジックカット®」の加工をするための刃を作ることのできる職人は、嘘か実か、なんと1人だけしか存在していなかった(注4)らしい。だから「マジックカット®」と類似品とでは、きっと加工の精度に違いがあるのかもしれない。
その、「マジックカット®」加工用の刃を作ってくださっていた職人さんは、今何をされているのだろうか。元気に過ごされているといいのだけれど。日本に1人って、もはや人間国宝に登録されてもいいとすら思う。
地味で革命的な入れ物の進化
「マジックカット®」の他に、「これは革命だ!」と僕が思った入れ物の進化を、2つ紹介したい。他の人にこの感動を伝えても理解してもらえない気がして、今まで誰にも話したことはなかった。多くの人は、入れ物にそこまで注目しないのが普通だと思うし、理解されなくてもいいのだ。でも、開発担当者の人に、「これを世に送り出したあなた方、すごいですよ!」と伝えられたらいいのに、とはよく思う。
1つ目は、醤油の容器。キッコーマン㈱の「いつでも新鮮®(注5)しぼりたて生醤油(注6)」のボトルとして採用された「やわらか密封ボトル(注7)」というものだ。ボトルが二重構造になっており、開封しても醤油の酸化を最小限に抑えることができる。今でこそ、二重構造のボトルは醤油以外の製品で目にすることも多くなったが、当時は「なんて画期的なんだろう!」と感動した。
このボトルの販売が開始されたのは2011年(注9)。僕は当時大学生で、一人暮らしをしていた。初めて使ったときの印象や、当時のテレビCMの記憶が鮮明に残っているのは、僕自身がスーパーマーケットで選んで買ったからだろう。
この製品を知るまで、醤油とは最初から黒いものだと僕は思っていた。でも実は、酸化する前の醤油の色は赤色(赤褐色)で、黒くなった醤油とは香りも風味も全然違うのだ。「いつでも新鮮® しぼりたて生醤油」は、火入れ工程がない「生」醤油であったことも風味の違いに関係しているとは思うが、容器でここまで中身が変わるのか、と驚いた。
この原稿を書くにあたって醤油の容器について改めて調べてみたところ、一般消費者向けに醤油の二重構造容器を開発したのは、実はヤマサ醤油㈱の方が早かった(注10)らしい。2009年(注11)に「鮮度の一滴®(注12)」という商品名で発売され、こちらも大ヒットしたそうだ。ただ現在では「鮮度の一滴®」は終売している。ヤマサ醤油㈱の容器はフタのないパウチ型であったことから、使いやすさの面で、キッコーマン㈱のボトル型容器の方が広く普及したのかもしれない。
2つ目は、靴箱などの湿気を吸うための、除湿剤の容器。エステー㈱の「ドライペット コンパクト®(注14)」だ。僕の知る限り、除湿剤の詰替が可能になったのは、この製品が最初だと思う。
僕は前に住んでいた家で湿気と真剣に闘っていた時期があり、除湿剤のヘビーユーザーだったと言っても過言ではない。(幸いにも、今住んでいる家は風通しが良く、湿気に悩まされることはなくなった。)問題の家は、僕が結婚を機に妻と同居するために引っ越した2LDKの賃貸マンションで、1つだけ致命的な欠点を隠し持っていた。それが湿気である。山の斜面に建てられたマンションの構造上、梅雨〜夏の湿気がひどく、放っておくと家具やら服やらが次々にカビてしまうのだ。
引越しが割と好きな僕は、それまでいくつかのマンションに住んだことがあったが、そんな経験はしたことがなかったので面食らった。カビはアルコールなどで除去できても臭いと跡が消えないことが多く、大切な物をいくつも処分する羽目になったのは悪夢だった。その家で初めて梅雨を迎えたとき、これは対策を打たねばまずいぞと気付き、慌てて大量の除湿剤を買い込むことになったのである。
一般的な除湿剤は、箱型のプラスチックの容器に除湿剤の粒が入っていて、容器の上側に水分を通すフィルムが張られた構造をしている。除湿剤が吸った水が容器の中にある程度まで溜まったら、寿命だ。水を捨てて、容器はプラごみとなる。
問題は、この容器が大きくてゴミとしてかさばることだった。すぐに水が溜まるので交換頻度も高く、僕はプラごみをたくさん出すことに罪悪感を覚えていた。それに、水が漏れないためなのだろうが、容器はやたら頑丈にできていて、分解するのも難しい。詰替できる製品があったら買うのにと常々思っていた。
そんな僕の願いを叶える製品を作ってくれたのが、エステー㈱である。プラスチックの外容器と、除湿剤が入った内袋を別々にする(注16)ことで、捨てるのは薄い内袋だけで済むようになったのだ。外容器は使い回しができるので、交換するときは新しい除湿剤の入った詰替用の内袋をセットするだけでいい。
内袋は片面が2重フィルムになっていて、使用開始時に保護用の外フィルムを剥がすことで、透湿性のフィルムから空気中の水分が吸収されるようになる。一見、単純に思えるけれども、内袋のほどよい透湿性と強度とを両立させることが、意外と難しかったんじゃないかと思う。
自分自身を減らすための進化
「ゴミを減らす」という進化は、とても地味だ。入れ物はあくまでも脇役であり、脇役が薄くなろうが小さくなろうが、気付かない人の方が多いだろう。大抵の入れ物は、紙かプラスチックかでできているが、ゴミとしては紙よりもプラスチックの方がたちが悪い。プラスチックは、地中に埋まっている石油を掘り起こして作った物なので、燃やせば大気中の二酸化炭素を増やすことになる。街のどこかにポイ捨てされれば、雨に流されて川に入り、川から海に流れ込んで海に漂う海洋ゴミとなる。
悲しいことに、僕が心惹かれる入れ物たちは、地球にとってはかなり厄介で、少ないに越したことがない物なのだ。
入れ物を薄くしたり小さくしたりする努力は、企業によって長年にわたって行われてきている。それも、ここ数年で人々の意識が変わってきたおかげで、加速していると感じる。もしかすると、醤油の容器も、今だったらゴミが少ないパウチ型が受け入れられる可能性だってあったかもしれない。
これからの入れ物の進化は、入れ物自体を回収してリサイクル(またはアップサイクル)する仕組みを作るという、壮大な方向に進んで行くと僕は予想している。ただ、このような進化は、入れ物にさして興味がない人にとっては気付かれにくいものだと思う。
入れ物の重要な役目は、製品が僕たちに選ばれるようにアピールすることだ。お店というジャングルに迷い込んだ僕らを、南国の鳥のようにキレイで、カラフルで、目立つ入れ物たちが惑わせてくる。リサイクルされてできた入れ物は、新品の入れ物より発色や見た目が悪いかもしれないし、値段が高いかもしれない。でも、僕ら消費者が応援し続けていれば、進化によって新品と同じくらいの競争力を必ず獲得するはずだ。
だから僕は、入れ物という脇役たちが身を削る地道な進化に、これからも注目していきたいと思う。
最後まで読んでくださったとても優しいあなたが、素敵なクリスマスとお正月を過ごせますように。
(飲み終わった牛乳パックをたたむと「リサイクルありがとう。」と小さく書いてあるようなノリで。)
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