黒歴史をエッセイ大賞に投稿してみた(そして落ちた)

本記事は、知財系Advent Calendar 2022の企画にかこつけて、Toreru Mediaさんの第1回「知財とアレ」エッセイ大賞に応募し見事落選したマイエッセイ(一部改稿)を供養するものです。

テーマは「知財と創作」にしました。

純度120%の自分語りですので、心穏やかにご笑覧いただければ幸いです!


「565 KBの記憶」

買い替えたパソコンのセットアップをしていたら、いつのまにか中学校の図書室にいた。

古いパソコンからデータを移していて、むかし書いた小説のテキストを見つけてしまったのだ。


中学時代、毎日のように図書室に入り浸って小説を読み、そして書いていた。
帰宅部員の自分に、時間は余るほどあった。
昼休みに本を1冊借りて読み、その日の放課後には次の1冊を借りに図書室に向かった。
週末には、町の古本屋に出かけては1冊100円の角川文庫を買いあさった。

あらゆるものに影響を受けた。
小説も漫画も、オリジナル・二次創作問わずたくさん書いた。
図書室では白紙のページに小さな字を書き連ね、自宅でもWindows 98のテキストエディタを立ち上げない日はなかった。

印象的な夢を見た日には、夢の内容をもとにした短編小説をその日のうちに書き上げた。
自作のバトル・ロワイアル小説は最後まで書き切れなかったが、原稿用紙200枚を超える最長作品になった。

仕上げた作品は、Microsoft FrontPageで作ったniftyドメインのWebサイトで、全世界に公開していた。
掲示板で感想をもらった日の夜は、嬉しさに目が冴えて眠れなかった。

17歳で作家になった乙一のデビュー作『夏と花火と私の死体』を読んで、圧倒されながらも、自分も頑張れば乙一みたいになれるのではと根拠もなく考えていた。

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あれから20年近くが経った。

小説家になるという夢は、高校で数学や化学に夢中になっているうちに次第に薄れていった。
勉強と部活の忙しさに、文章を書く時間は圧倒的に減った。たまに、趣味の合う友人と共通のテーマを決めて短編小説を書くくらいだった。

大学ではサークルに入り浸り、授業のレポート以外の目的でWordを開くことはほとんどなくなった。
小説も漫画もゲームも、一方的に消費するばかりになった。
ずっと更新していなかったWebサイトも閉鎖した。

歳を重ねるにつれて、少しずつ感性が薄れていく気がした。
何度読んでもお腹を抱えて笑っていたギャグ漫画は、前ほど笑えなくなった。
子供の頃になぜか感情移入して泣いてしまった、ほんの些細な漫画の一コマは、改めて読むと何てことのない普通の場面に見えた。

将来は周りの友人たちと同じく研究職に就くのだろうと思いながら、大学院の研究室に入った。
研究室は楽しかったが、その数年後、研究を仕事にすることを断念した。
高校時代から10年近く何となく歩いてきた道が、急に途切れた瞬間だった。

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研究を離れ、改めて自分のやりたいことを考えた末に「特許」の仕事を選んだ理由は、自然科学への未練と、文章を書くことへの未練の両方だったかもしれない。

実際にやってみると、特許の仕事はとても楽しかった。
発明者から技術内容をヒアリングして、発明という抽象的な概念を文章に翻訳する、テクノロジーと法律の交差点となる仕事。
発明を様々な角度からわかりやすく説明しつつ、発明の本質を一文で表現したりもする。そうして言語化した発明の内容が、特許庁の審査を経て、特許権による独占の対象になる。
勉強すればするほど奥深く、無限に工夫のしようがあって、正解がない。

もともと文章を書くことは好きだったし、理系のバックグラウンドも生かせるのだから、おそらく良い選択だったのだろう。
仕事で文章を書いていると、なんとなく創作活動をしている気分にもなれた。
初めて自分で書いた特許明細書が公開されたときの感覚は、初めてインターネットに小説をアップロードしたときの感覚に少し似ていた。

初めて学ぶ法律、触れたことのない技術、日々増えていく裁判例、複雑な諸外国の制度。
目の前の案件と日々格闘しているだけで、あっという間に時は過ぎていった。

弁理士になって5年が経った。
書き上げた特許明細書の数は、むかし書いた小説の数よりもずっと多くなっていた。

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そして2022年1月。
現役弁理士の先生が書かれた小説『バーチャリティ・フォール』(刊行時タイトルは『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』)が、『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した。

発売日当日に買って、その日のうちに一気に読んだ。
冒頭から物語に引き込まれた。流れるように展開していく物語。
面白い。とても読みやすい。そして、しっかり特許のストーリーになっている。
当然、20年間何もしてこなかった自分に到底書けるはずもない。

だから、
 悔しい。
心のどこかでそう感じている自分に驚いた。


高校時代に水面下に沈んでしまった創作欲は、どうやら特許の仕事だけでは満たされていなかった。

特許文書はあくまで法律文書であり技術文書だ。発明者の創作を言語化して、できるだけ客観的に表現したものだから、文学的な側面はとても薄い。
何より、特許の元となる「発明」そのものは、自分が生み出したものではない。
今の仕事で目指しているのは、自分で何かを創り出すことよりも、誰かが創り出したものを守ることだ。
予想外の感情の動きに、どこか納得もしていた。


『特許やぶりの女王』を読み終えて感じた小さな悔しさは、自作小説を発掘してしまったことで、再び顔を見せた。
過去の自分の拙い文章には、「何者かになりたい」という当時の情念を思い出させる力があった。


今の自分に、20年前の情熱と発想力はきっと残っていない。
中学時代に完結させられなかったバトル・ロワイアル小説の続きを書くことはもうできないだろう。
『執筆予定.txt』というファイルに列挙された、いつか書くつもりだった物語のアイデアも、日の目を見ることはきっとない。

それでも、ゼロから何かを創り出すには、小さな一歩を踏み出さないといけない。
それは、誰もやったことのない実務研究をやってみることかもしれないし、最近夢中で読みふけった小説のイメージ絵を描いてみることかもしれないし、まずは自分語りのポエムエッセイを書いてみることかもしれない。
生みの苦しみなしに何かを創作することはできない。

翻って見れば、自分の今の仕事も、まさにそうやって創り出されたものを守ることだ。
そう思うと、この20年が何となく繋がったようで、少し嬉しくなった。


2022年の夏休み、データ移行状況を示す緑色のバーを眺めながら、20年前の自分からの思わぬロングパスに背中を押された気がした。

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