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テレビにお手伝いをする子が出てくるのが嫌だった子供時代~のんびり生きていきたいゆとり世代~

テレビでお手伝いする子どもが出てくるのが嫌だった

原子とはを構成する粒子の最小単位である。 (5)

子どもの頃嫌だったなという記憶の一つに「テレビでお手伝いする子どもが出てくるのが嫌」というのがあって。

「あの子はあんなにお手伝いもちゃんとしてんのに〜!同い年やであの子」って言われるのが嫌でしたね。

テレビに映るお手伝いをする殊勝な子どもに対して「お前は知らないところでこんな風に俺に迷惑をかけているんだぞ!肝に銘じろ!」と本気で思ってました。

そして何より「お手伝いする奴が"珍しいから"テレビに出れるんや。」と捻くれたことも考えていましたね。

あとよくよく見たら年齢も2個上だったりして「年上やん!」とかって思ったり。厳しい方にはサバを読まれるのに優しい方にはサバを読まないスタイルですよね。母という生き物は。

中学生の頃もありましたね。

まだ6時50分なのに「もう7時過ぎてるで!起きや!」あれは何の嘘やったんや。厳しい方にサバを読むスタイルです。

最初は引っかかって起きるんですが徐々に15分くらいサバを読むことに気付いて逆算して寝るんですよね。

そしたらほんまに7時過ぎてるっていう。

「だから7時過ぎてるって言うたやん!」

「今日はほんまなんかい!」

たまに"ほんま"を放り込んでくるので気になって起きるようになります。

このお手伝い野郎と比べるんやったら非行少年が万引きしてるのをテレビでやってる時に「あんたは万引きをしなくて本当に偉いね!」と言って欲しいわけで。

それを言ったら「あほか。」と一蹴されましたが。

比較されるのがとにかく嫌でしたね。どうしても自分より良い成績の子と比較されるからね。嫌だったなあ。のんびりいこうぜと。

というか良い成績の子と比較するなら悪い成績の子と比べて褒めてくれと。向上心はまるでない子どもでした。

頑張りなさいよ!負けて悔しくないの?と言われるんですが、本当に悔しくないんですよ。まあ仕方ないやん〜。と思ってました。一方で自分の前回の成績とは比べて生きてきたような気はするなあ。

まあそんな性格です。マイペースなんですよねきっと。いや周りからもよく言われますが。まあ難しい問題なんですけどね実際。褒めてばかりいたら良いってもんでもないでしょうし笑

「モンスターハンターしなさい!」と言われた中学時代

原子とはを構成する粒子の最小単位である。 (6)

私の中学時代といえばズバリ、PSPのモンハン世代。ドンピシャです。

がしかし、私ほとんどやったことがないんですよね。

中学時代それなりに普通に友人もいたんですが、どうしても自分からやりたいと思ったこと以外はできない性格でした。今もそうで、もはや治らないなと思ってるんですが。

テレビゲームなんてやってもブームが去ってしまったらクリアするためにかける労力が無駄だし、そもそもゲーム自体面白くないなと思ってました。

当時モンハンがとてつもないブームで夏休みは全員友人が家に集まってモンハンをするというのがお決まりでした。

あのブームの頃は完全に世捨て人(というかゲームやってるお前らこそ世捨て人なんじゃ!)になった感じで独りでピアノを弾いてました。あれでいいですよね。本当に心地いいんですよ。友人といるのも楽しいんですが気を遣うので独りでいたくなるんですよ。

その状況を見かねて母に「いつまでゲームせーへんつもり?!いい加減モンハンしなさい!」と言われたのは今となってはいい思い出です。

母の口から"モンハン"という略称が出てきた"モンハン"の凄まじい認知力と"ゲームをしろ!"という世間のママゴンとは真逆の言葉を言われたのは衝撃でした。

そして"モンハン"を買ってもらい、しぶしぶゲームをすることに。

主人公の名前を入力するところで面倒臭くなり放置してしまいました。

今振り返れば母の愛ですね。まあ何というか長男なんで厳しく育てられつつも、愛情とうちの子が取り残されるのではという不安みたいなところなんでしょうね。

のんびり生きようぜ

原子とはを構成する粒子の最小単位である。 (7)

どうしても世の中は競争社会だし、「幸せ」の根本は比較なんやと。だからこの宇宙にあなたが独りしかいなくてそれ以外のものがなかったら「幸せ」とか「不幸」という概念すらないんだと。

なんかそんなことがアドラー心理学の「嫌われる勇気」に書いてあった気がします。

SNSが流行って世の中の色んな人の色んな世界が見れるようになって「こんなすごい世界があるんだ」とか「こんなすごいことができる人がいるんだ」というのを目の当たりにすることがあるんですよね。

でもそれって生活のごく一部を切り取ったもので作られたものだったり、本当にすごい人だったとしても全人口の上位0.1 %みたいな人の世界を見てるに過ぎないんですよ。

でもそれをリアルだと錯覚しそうになるのがSNSです。TOEICだって日本人の平均点は530くらいですよね。Twitter界だと880くらい?

まっそんなもんですよ。ガッツリ死に物狂いで頑張って上に登れる人もいるし、そんなに頑張る気質を持ち合わせてない人もいる。ただそれだけのことで、まあ良いじゃないですかと。自分のペースで。

そりゃあ第一線で活躍してる人はかっこいいですけどね。かっこいい裏には尋常じゃない努力をしてるってことです。寝る暇もないみたいな。

加藤晴彦さんの記事を今日読みました。一番多忙な時はヘリで移動をしていて心が壊れたと。やっぱり人間頑張りすぎると心が壊れるんですよ。深キョンも忙し過ぎて活動休止してましたし。忙しすぎると心が摩耗します。

頑張り過ぎれるから芸能界で登っていけるという表裏一体なんでしょうが。

乗り越える人が一流なんでしょうけど、一流である必要って本当にあるんですか?と言いたい。一流の人はカッコいいし、いいなあと思うけどとてつもない代償も払ってるよ。

食いっぱぐれない程度に7割くらいの力で嫌いではないそれなりに興味の沸く仕事しながら残りの力で好きなことをやって生きてるくらいが良いんですよ。きっと。

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