yieldモニターセッションご感想15(心の学びを経て身体の学びを始められた方)
1回目仰臥位
セッション中にもお伝えしましたが、施術後にむしろ体の癖が強く出たというのが印象的でした。
今回は、首と肩および左半身に力が入るのが気になってセッション受けたのですが、施術中もやはりそこにすごく力が入っていました。
左膝に触れられた時、湯たんぽを当てられたくらいの温かさを感じました。そしてそこに意識を置いて身体を観察するようにいわれ、その通りにしてみましたが、正直観察はあまりうまくいきませんでした。しかしそのうまくいかなさを見つめていると、次第に、自分の身体が中にパンパンに砂が詰まった袋のように感じられてきて、少し大袈裟かもしれませんがこれまで自分が自分自身の体にし手きたことをさとったような気持ちになりました。(頭で体にブレーキをかけることで体を砂袋にしてきてしまったというような感じ?)
そういう今回の体験の中から、首や肩の緊張は、体の自然な動きや反応に頭で解釈を与え、その解釈に無理矢理体を従わせようとするところに生じているのではないかと思ったりもしました。(首や肩は頭と体のせめぎ合いの前線?)
私はここ10年くらい、心ということについてだいぶ考えてきました。それはいわば、自分の中に、なかなか自分のいうことを聞いてくれないもう一人の自分がいて、そのもう一人の自分のわがままに根気強く耳を傾けてきたような感じでした。
今回のセッションで、自分の体がパンパンの砂袋のようになっていると感じましたが、そのことから、自分はこれまで体に対しては、心に対してするようには、その言い分を聞いてこなかったことにも思い至りました。
比喩的にいうなら、自分が心というわがままな末っ子にかかりっきりになっている間、体という上の子供が親に迷惑をかけまいとガチガチに緊張しながら頑張っていたのに気付かなかったといいますか。言葉づかいが合っているかわからないのですが、心のわがままをきいているあいだ、体は外聞を保とうとしていた?というか…
15年くらい前から身体には関心があったのですが、最近ようやく身体の勉強に取り掛かり始められたのは、この間取り組んできていた心の問題に一区切りがつき始めていることのようにも思います。そうなると、今回のセッションでは、今までわがまま放題だった心が外聞を保とうとしはじめて、今度は身体がわがままを言い始めた感じ、ともいえるかもしれません。
それと家に帰る途中、左膝に関して思い出したことがあります。大学生の時、講義などで長い時間座っていた後になぜか左膝だけが痛くなっていたのを思い出しました。
2回目側臥位
前回のセッションで左膝を意識することをご提案いただいてから、左半身や首の力みがでるたびにだいぶ意識的にほぐせるようになってきました。
しかし今回のセッションで、まず左を上にした体勢をとった時、また首の左側や左腕などに力みがでました。
右を下にしているわけなので、重力に引っ張られて上にしている左側が伸びてもいいはず。
それでもなお左側に丸まろうとする自分の身体に対して「なんだかご苦労だなぁ」と思ったら、ふいに首や肩の緊張が解けました。
こうしてこれまで強く意識されていた首や肩の緊張が解けると今度は、胃の左の肋骨の下あたりに意識が移動しました。
セッション中そのことを口に出してお伝えしましたが、その時、その辺りがいきいきとする感覚が生じました。
それはちょうど、「どうせ自分には誰も注目してくれない」という感じでいじけてた子供が思いがけず他人から注目されて、
一瞬だけいい表情を見せたような感じでした。しかし、自分が思いがけずいい表情をしてしまったことに気付き、またすぐもとの仏頂面に戻るかのように、胃の左下あたりのいきいきした感覚もすぐに消えてしまいました。
次に右を上にした体勢になり、右膝に触れていただいた時のことです。
これまで、力んで左側に丸まるのを、左膝を意識することで真ん中に戻れるようになったわけですが、
右膝にタッチしていただくと、その真ん中に戻ってきた波を再び右から押し返しすような感じになりました。
しかしその右から押し返す波は腰骨のあたりでとまり、上半身の右半分が宙ぶらりんになったように感じました。
これまで右半身に力が入っている感覚はなかったのですが、
宙ぶらりんになった右の肩や肩甲骨のあたりからすーっと力が抜けていきました。
自分でも気づかなかった、奥のほうにあった力みがとれたような感覚でした。
最後に仰向けになって背中の腎臓のあたりに手を入れていただきましたが、本当に腎臓が休まるように感じました。
今回もありがとうございました。
引き続き心身を観察してみます。
3回目伏臥位
「今回、施術中は自覚できる身体の変化はそれほど起きていないように感じていました。
背中が温かい感じがしていて、全体的にリラックスできていたのかそのまま寝てしまいそうでした。
その後たぶん左足にタッチしていただいたのだと思うのですが、左足が少し痺れる感じがして若干だるくなりました。
左足全体が思いの外疲れていることに気づいた、というような感じでした。そしてわずかに膝の痛みも感じました。
その後、その重い感じが背中のほうにひろがっていって、腎臓のあたりが重だるくなりました。
それと右膝にもかすかに痛みを感じました。
施術のあとに指摘されましたが、両手が一度ずつ、ぴくん、という感じで動きました。
普段昼寝したりしてもああいうことは起こるので施術中は特に気にしませんでした。
しかしあのように勝手に身体が動くことが、yield的にいうとなにかが起こっていることになる、というのは今回の発見かもしれません。
これから日常生活のなかでも意識してみようと思います。
うつ伏せの施術が終わり起き上がる時、一瞬左足が動かなくなったかと思うほど重かったのが印象的でした。
1回目のセッションでは自分の身体が全体として砂袋のように感じられましたが、今回の足や腎臓の重だるさは、砂袋の感覚がより分節化されてきたといえるのかもしれません。
4回目
はじめに馬渕さんが「これからタッチしていきます」とおっしゃった後、
どこにタッチされているのかはわからなかったのですが、腰の筋肉がぐぐぐっと動く感覚がありました。
そのうちに左の肩甲骨のあたりもぐぐっと動き力が抜けていきました。
そうやって腰と肩甲骨がひとしきり動くと体全体が止まったようになり、意識は夢うつつという感じになりました。
うつ伏せになった直後から空腹を感じていたせいか、レタスでトマトを巻いてむしゃむしゃ食べている夢?というか幻覚?のようなものを見ました。
空腹の感覚がそのままイメージ化されたような面白い現象でした。
そのあとも具体的には思い出せませんが様々なイメージが浮かんでいたように思います。
今回はとにかくリラックスしていたのか、体に感じることをお伝えするのも億劫な感じで夢うつつのまま黙っていました。
その後馬渕さんから感覚を問いかけていただいたのでそれにこたえようとしたら、声を出す筋肉もOFFになっているという感じで声がでませんでした。
なんとか声がでるようになっても伝える内容が思い浮かばずしばらくもごもごした後に、確か「なんともいいがたい感覚」といったような気がします。
顔の向きを変えた後もやはり体全体がOFFになったような感じは続きました。
最後の方に左足にはじけるような感覚が一回あった以外は特に際立った感覚はありませんでした。
しかしセッション後にだいぶ足に動きが出ていたときいて驚きました。
また、これは体の感覚の話ではないのですが、セッションから数日経って少しわかったことがありました。
セッション中に体の下に手を入れていただき、そこに体重をあずけるということをするかと思います。
普段の自分は、自分で自分の体を支えようと固まっているか、支えきれずにだらけて崩れているかのどちらかのことが多いと思います。
そのどちらでもなく適切にあずける、ゆだねる、ということが必要なのかなと思いました。
今回の感想は以上です。
5回目
これまでのセッションでは身体の力みに気づいてきましたが、今回のセッションでは顔や頭部の力みに気づきました。
セッション中、最近わりと頭痛がしやすいことをお伝えした後に教わった尾骨を動かす動きがとても良かったです。
尾骨の動きと背中から首までの動きが連動し、首が下から支えられる感覚がうまれるように感じました。
その後、前回も教わった尾骨を押されるように歩く歩き方をまた教えていただきましたが、
セッションからの帰りに歩きながらこれらを試してみました。
すると前回から今回までの間、歩く時に足の出かたがスムーズだなと感じていたことを思い出し、
あれは前回教わった歩き方の効果だったことに改めて気づきました。
それで今回の帰り道では明確に尾骨と腰椎を意識したところ、明らかに少ない力でスピードを出せるようになりました。
あと話が前後しますが、セッション中、左を上にしていた時に一度、左の肋骨のあたりに重だるさを感じたあとお腹の左側が鳴り始めたのが印象的でした。
これまでのセッションの感想を見返したら、2回目のセッションの時もお腹の左側のことを書いていました。
横向きの姿勢で左を上にした時に、お腹の左側に反応が現れるようです。
まとまらない感想になってしまいましたが、今回の感想は以上になります。
次回もよろしくお願いします。
6回目
今回のセッション中はほぼ寝ているような感じでした。
意識が身体に干渉するのを諦めて、身体がしたいようにさせている感じでもありました。
仰向けの状態の最後に首を伸ばしたかと思うのですが、その直後、立ち上がったあとの感覚はうまれてはじめての感覚といってもいいほどでした。
首は癖が強いのですぐにもとに戻ってしまいましたが、この先あれを繰り返していって首が伸びたら、今までとは全然違う身体になる気がしました。
あと今回はお腹の中がよく動いていたように思います。帰りの電車の中でもずっとお腹の中の、特に左側が動いていました。
これまで緊張するとすぐお腹が痛くなっていたので、お腹がぐるぐるするのはよく経験してきたのですが、
腹痛も便意も生じないでお腹が動き続ける経験ははじめてでした。
広背筋を意識した歩きも印象的でした。
身体の複数の部位を繋げて動けると身体感覚が全く変わるだろうし、日常の動作も楽になるだろうな、と強く思ったセッションでした
7回目
今回のセッションは、約1年半ぶりの喘息から回復した直後というタイミングとなりました。
セッション中、身体の様子を観察していて「療養の疲れ」という言葉が浮かんでいました。
喘息の療養中は静かに寝ていたので身体を休めていたはずなのですが、
その間身体は不調を治そうと働いていたのかもしれないなどと感じました。
そしてセッション中、療養のために働いた身体を休めているような感覚があったのが印象的でした。
そのせいか帰る途中ずっと心地よい眠気を感じていました。
翌日になると、身体のとくに肩や首まわり、左の肩甲骨あたりがすごく解れやすくなっていました。
その後数日間その辺りを解すのが楽しくて仕方なくなり、暇さえあれば解していました。
すると肩や胸の奥のほうがムズムズするような感じがでてきたり、腕が重だるくなったりしました。
またそれらの解れやすくなった部位の感覚が増したようにも感じます。
例えばお酒を飲んだ後、胸や肩のあたりの血行がよくなったような感じがしたり、長時間同じ姿勢をした後に
そこが凝ったことが前よりはっきり感じられたりといった変化が生じた気がします。
そしてその変化は、常に身体の調子がよくなるというよりは日々調子が変動していることに気づく余裕がでてきたような感覚です。
8回目
今回のセッション中はとにかく心地よくて、終始夢うつつという感じでした。
ずっと細切れの夢をみている感じで、談笑している夢をみていてふと気づくと唇が持ち上がっていたりしました。
そんな中でひとつ覚えているのは、急に胸が通ったような感じがして呼吸が深く、楽になった瞬間があったことです。
そのほかにも肩や首、足などがかなり動いていたような気もします。セッションが終わり椅子に移動した時の腰のおりかたも印象的でした。
座面にしっかり腰が下りている感じがして安定感がありました。
8回のセッションを受けた感想としては「いい意味でボディワークっぽくなかった」といってみたくなります。
私は長年身体のことに興味はあったのですが、哲学や心理学を学びながら自分の心の面を整えるのに忙しく、なかなか身体方面に踏み出すきっかけがつかめずにいました。yieldにはそんななか出会いました。
yieldの身体に直接向かうというより身体と空間の関係性から身体にアプローチする感じが、外界に対して心身ともに警戒心の強い私としてはとても入りやすく感じました。
そしてまさにyieldのコンセプトである"ゆだねる"感覚が8回のセッションを通して育ってきた感覚があり、この一年でずいぶん心身の警戒感が薄まった気がします。
ただのイメージですが、ボディワークというと、骨をボキボキいわせたりして、外側から身体の歪みを矯正するようなイメージをもっていました。
だからyieldのように内側からの変化を待つようなアプローチが新鮮でしたし、自分にフィットしました。
警戒心が薄れた影響がいま身体のなかで一番出ているのが目だと思います。
最近歩く時に顔を上げて遠くをみる楽しさを覚えはじめていたのですが、先日検査をしたら数値的にも近視が改善していました。
顔を上げて遠くを見ようという意識の変化と、首や肩周りが緩んだことで物理的に顔を上げやすくなったことから生じた具体的な改善のひとつかと思います。
このように考えると、yieldは心身両面にバランスよく働きかけてくれるワークだと感じます。
いつか馬渕さんが、yieldの経験は他の施術を受けていくための土台にもなるとおっしゃっていたと思いますが、まさにそれを感じます。
作物を植えるための土を耕すといいますか。
これからも土を耕したくなったタイミングでセッションを受けたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。