赤坂パトリシア

イギリスに住んでいて、小説を書いています。日本人にしか見えないイギリス人青年と、不登校…

赤坂パトリシア

イギリスに住んでいて、小説を書いています。日本人にしか見えないイギリス人青年と、不登校の少女が一緒にごはんを作る『ネコばあさんの家に魔女が来た』2020年4月1日より刊行中。https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000747/

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最近の記事

シキカタ・キッズの夏

 面接を担当していたおじさんは、ちょっといらだったように私の履歴書を表示したタブレットをパタン、とテーブルに置いた。 「色がちゃんと見えないんだ。——本当、最近多いんだけどさ、どうやって仕事するつもりなの」 「商品の名前と場所をしっかりおぼえますから」  私はモゴモゴと口ごもる。 「まあ、君のせいじゃないっていえばそうなんだけどさ——仕事が遅いんだよね、シキカタの子は」  よく言われることだ。すぐに色を認知できない私達は反応速度が遅い、と。私はまるで同意しているかのように頷

    • 心の欧米とタコとデビルフィッシュ

      最近ね、タコを買ったんですよね。イギリス人はあまり食べないのでどうしても高くなるから、イギリスでタコを買うっていうのはちょっと「えいや!」って感じなんですけれど、良い魚屋さんと出会ったおかげで割と入手しやすくなりまして。タコ焼きも、スペイン料理のプルポ・ア・ラ・ガジェガも好きなだけ作れる!という幸福な状態に今あります。 それで大体食べたいものは作り尽くして、日本語で料理法を色々探していたら、いやあ、出てくること出てくること「欧米ではタコはデビルフィッシュと呼ばれるくらい嫌わ

      • トネリコの鍵——ピクルス

        5月の終わり頃、私は首が痛くなるくらい上をむいて歩いていた。トネリコをさがしていたのだ。 何度も聞いたことのある名前なのに、トネリコがどんな木でどんな葉をもっているのか、私は知らなかった。英語で言えばAsh。その若い実を、私は探していた。 今までみたことのない木を探し、葉を確認し、その若い実を食べるのはなかなか勇気のいることだ。多くの植物は身を守るために毒や薬効を持っているし、ましてや、私はこの年まで、森の中の木々の名前を全く知らないできたのだ。何度も図鑑をみて、ネットの

        • トネリコの鍵──ブルーベルとワイルドガーリック

          4月も終わるころになると私たちはソワソワし始める。ブルーベルの咲く時期がやってくるのだ。 ブルーベルはユリ科の小さな青い花だ。イギリス人がこよなく愛する花で、この小さな花と同じくらい人々に愛され、待たれている花を私は日本の桜の他に知らない。 全世界のブルーベルの、実に半数がこの国に咲いているのではないか、と言われることもある。北国の長く暗い冬が終わった後、森中を埋め尽くすブルーベルは再生のシンボルでもあって、墓地で見かけることも多い。魂の再生を祈って、昔の人は愛する家族の

        シキカタ・キッズの夏

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        • トネリコの鍵
          3本
        • ブレグジットごはん
          3本

        記事

          トネリコの鍵──野のものを食べるということ

          8年前に初めてヨークシャーで暮らし始めた。イギリス暮らしはそこそこ長かったけれどそのほとんどを南部で過ごした私は、ヨークシャーの景色に呆気にとられた。 とにかくだだっぴろい。 いや、だだっぴろいだけだったら昔住んでたサセックスのダウンズも相当なものだったし、南部にだってどこまでも広々とした野原はいくらでもある。オックスフォードのポート・メドウだって、ふらっと歩くのには最適なだだっぴろさだし、ケンブリッジの街中からグランチェスターの果樹園ティールームまでの道のりだって相当長

          トネリコの鍵──野のものを食べるということ

          ヨークシャーにて、コロナの季節に墓地を歩く

          家の近所の墓地を歩いていて、新しい墓標が目につくことに気づく。──というよりは「気づき続けている」。 奇妙な表現なのだけれど、毎回「ああ、木製の十字架が目立つな」と思い、毎回なぜかそれを「忘れる」。子供を追いかけたり、家族のための食事を作ったり、子供達の勉強の面倒を見たり、合間の時間で掃除をしたりしながらなんとか読書と執筆の時間を作ろうと、日々の生活をまわして──いるうちに、忘れる。 そして、あいも変わらず次の散歩の時に「ああ、新しいお墓が増えている」とびっくりする。毎回

          ヨークシャーにて、コロナの季節に墓地を歩く

          ロックダウンのヨークシャーから

          イギリス全土が封鎖されてちょうど一週間がたちました。この二週間ぐらいで、あまりにもめまぐるしく状況が変わり、今まで何かを書けるような状態ではありませんでした。 でも、ふと、こういう状態でどのように心身状態が変化するのかは書き留めておいた方が良い、と思い立ったので書いておきます。 恵まれた環境でもつらいこと。イギリスのロックダウンはフランスやイタリアのものよりもずっとゆるい形で始まりました。必需品の買い出しは許されていますし、許可証がなくても、毎日一回の戸外での運動(散歩や

          ロックダウンのヨークシャーから

          ブレグジットごはん バナナ

          第3話  バナナ 2012年 夏 「バナナは持った?」  2012年夏。東京。  一歳児を連れての移動に備えて私達はバタバタしている。幼い子供を連れての都内の移動は大変だ。お腹をすかせてぐずらないよう、バナナと赤ちゃんせんべい、麦茶あたりが必需品。  地味に粉ミルクとお湯がかさばる。イギリスにあったみたいな液体ミルクがあればいいのに。 「色よし! 形よし! EUも文句を言わない優良バナナ!」 「おいおい、やめなよ……」  夫が苦笑する。……確かに品のないジョークだった。

          ブレグジットごはん バナナ

          ブレグジットごはん  オムレツ

          第2話  オムレツ 2016年 6月  上の子が卵の割りかたを覚えたのは4歳の頃だった。当時の私はフルタイムで仕事をしている忙しい母親で、なぜ、卵を割らせようとしたのかはあまり記憶にない。多分、ご飯が待てなくて機嫌が悪くなる子供の機嫌を取るためだったのだろう。失敗したら面倒なお片づけが発生する工程をよくも4歳児に任せたものだ。グッジョブ、昔の私。  保育園から帰ってきて大慌てで夕食の時間をする時に、彼はしょっちゅう食卓に座って卵を割ってくれた。器用なもので、黄身を割ることも、

          ブレグジットごはん  オムレツ

          ブレグジットごはん  いちご摘み

          第1話  いちご摘み 2016年 5月  「いちご摘みに行こう」  というような話になったのは5月のことだった。  イギリスのいちご摘みシーズンは5月から夏いっぱいだ。  土地が違えば旬が違うのも当然で、日本育ちの私は3月になるといちごが食べたくてそわそわするのだけれど、ちゃんとした地場物の美味しいいちごが食べたかったら、この国では5月まで待たなくちゃいけない。  いちごに砂糖をふりかけて、水がじゅわっと浸透圧で染み出してくる頃までそのまま待って、夏の木漏れ日の下で

          ブレグジットごはん  いちご摘み