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シキカタ・キッズの夏

 面接を担当していたおじさんは、ちょっといらだったように私の履歴書を表示したタブレットをパタン、とテーブルに置いた。


「色がちゃんと見えないんだ。——本当、最近多いんだけどさ、どうやって仕事するつもりなの」
「商品の名前と場所をしっかりおぼえますから」
 私はモゴモゴと口ごもる。
「まあ、君のせいじゃないっていえばそうなんだけどさ——仕事が遅いんだよね、シキカタの子は」
 よく言われることだ。すぐに色を認知できない私達は反応速度が遅い、と。私はまるで同意しているかのように頷いてみせる。
 実はこれに関しては研究者が必ずしもそんなことはない、という研究結果を出している。反応が遅くなるかどうかは時と場合によるし、日常生活に支障はない。
 だから根拠は極めて希薄なんだけれど、一般の認識なんてこんなものだ。幸いサポートグループが対処法を教えてくれた。私は、自信ありげに笑ってみせる。
「テストしてみてください。パッケージの小さな差もおぼえていますから」
 おじさんの背中に紫色の影のようなものが揺らいだ。私は割と可愛い顔立ちをしているのだ。特に美人というのではないけれど、ちょっと愛嬌のある顔立ち。そう見えるようにメイクだって日々研究している。色が簡単に見える友人に手伝ってもらいながら。
 私がにっこりと微笑むと、おじさんの影の紫色が濃くなる。この色が濃くなるとき、年上の男の人は、私に割と優しくなる。
「……試しに一ヶ月、採用しよう」
 おじさんは、目をそらして私の履歴書をタブレットからスワイプした。
「明日から入れる? シフトはこのアプリで管理することになってるから。バイトリーダーの小田君に紹介するから、色々聞いて」
 どうやら採用されたらしかった。やった! 



 10年前にパンデミックが起きた。私は6歳だったから、あんまり記憶にないけれど、もちろん、かかった。2週間以上高熱が続きぐったりして、両親はとても心配したのだそうだ。申し訳ないと思うけれど、そっちもあまり記憶にはない。大人は早い時点でワクチンを接種されたけれど、子ども向けのワクチンの開発は遅れたのだ。運が悪かったと思う。


 3年続いたパンデミックは主に体力のない子どもや老人を数多く刈り取った。
 普通の風邪のように見えたその病気には様々な後遺症があったけれど、特に若年層にだけ多く現れる症状があった。「色の見え方が一定しない」のだ。
 例えば林檎があったとする。
 母には林檎は赤く見える。でも、後遺症を持つ人間にはその色はチラチラと変化するものに見える。私もそうで、「赤です」と言われればそれが赤い色だというのはわかるのだけれど、その上にフィルムをかざしたように様々な色がかかることが多い。昔からある色覚異常とは異なる症状で、区別するために「色彩過多症」という名前がつけられている。略して「シキカタ」。老齢層にはほとんどその後遺症は現れなかったこともあって、「シキカタ・キッズ」と呼ばれることもある。
 私の学年だとクラスの4人ぐらいが、この症状を持っている——んじゃないかな。正確な数は実はわかっていない。隠している人もいるからだ。でも推定で人口の約10%。結構な人数だ。家のクラスでおおっぴらにしてるのは私と、あともう一人、大木君って男の子だけだ。確率的にはあと2人ぐらい隠れていてもおかしくない。
 小学校ではそれが問題になることも多かった。「赤いボールはいくつありますか」みたいな質問に困惑する子がそれなりの人数いることになるからだ。もっともそれは、元々色覚異常を持っていた人たちにとっては長年悩まされてきた問題でもあって、私たちの後遺症が発見されたとき、真っ先にサポートの手を差し伸べてくれたのはそうした問題に苦しめられてきた人たちだった。
 もちろん私だって成長するにつれ対処の仕方も身につけたし、教育学者や心理学者の先生たちが色々調べて対処法も見つけてくれた。

「シキカタだってことを隠すのは良くないことで、私達は目に見える形で自分の立場を主張していった方がいい」、とうちの親は言うし、おかげでサポートグループの支援にも割と年齢が低いうちにたどりつけた。時々、隠れシキカタの子が色がらみで事故に遭ったりするケースもあって、そういうのを聞くたびに私は良い親のもとに生まれて良かったな、って思う。
 まあ、そういうわけで、サポートで色々教わってるし、今では日常生活で困ることはほとんどないのだけれど、それでも「シキカタなんだ」って言われるたびに、私はほんの少しびくっとする。相手がどういうつもりでそう言っているのかわからないからだ。
「へーシキカタなんだー(それってどんな感じ? 教えて教えて)」
 なのかもしれないし、
「へーシキカタなんだー(どうやってサポートすれば良い?)」
 なのかもしれないし
「へーシキカタなんだー(なにそれ気持ち悪い)」
 である可能性もあるし、
「へーシキカタなんだー(かわいそう)」
 なのかもしれない。

 それがよくわからないから私はいつもちょっとヘラヘラしちゃう。

 そうなんですよ、ワタシ、シキカタ・キッズなんですよ。や、でも、ちょっと色がチラチラ見えるだけなんで、あの、気にしないでくださいねー。えへへー。
 でも、シキカタ・キッズの秘密はたぶん、色がたくさん見えることだけじゃない。それが私だけの症状なのかよくわからないから、きっと言わない方がいいんだけど、他人の感情が、たぶん、私達には見える。ふわっとした色の形で。時々「もしかしたら私達が必要以上に色を見てしまうのは、残留思念みたいなのを拾ってるからじゃないかな」と思うこともある。だけど、それを言って良いのかどうかはやっぱりあまりわからない。はっきりとわかってるわけじゃないし、きっと、みんな気持ち悪がるよね。



 なあんて、私だって子どもなりに色々考えて口をつぐんでいたのに、1年ぐらい前にそれは発見された。研究論文として発表されたころには、さほど大きいニュースにはならずに当事者の間で話題になったくらいだったんだけれど、ちょうどアルバイトに採用された数日後に、大々的に確定情報として報道されて、みんなに知られることになった。
 友達は口々に「なんだー、アズサ、空気読むと思ってたら、色を読んでたんだー」って大爆笑してくれた。サポートグループの大人たちは報道のトーンになんだか複雑な顔をしていたけれど、生活はあまり変わらない。私の日々は相変わらずのんびりと色彩に満ちている。ふわふわと人の背後に揺れる色は夏に近づいてだんだん赤くなっていった。


 アルバイトはコンビニで、ものすごい種類の仕事があった。最初は慣れずにモタモタしたけれど、バイトリーダーの小田さんのおかげで1ヶ月もするとなんとか勝手がつかめるようになった。
 小田さんは大学院生の女性で無愛想だけれど、指示出しが的確な人だ。いつも落ち着いたアースカラーの服を着ている。色もあまりちらつかない人なので私はすぐに小田さんに慣れた。
「アズサちゃん、手が空いてるんだったらお菓子の陳列確認して」
 生鮮食品は賞味期限順に並べておく。お菓子も、時々動かしちゃう人がいるから、お客さんがいないときには確認しないといけない。
「はーい」
 元気よく答えて菓子棚に向かおうとしたら、「あ」と小田さんが口をつぐんだ。
「あ、——私も一緒にやる」
「え」
「昨日から売り出された新商品がね……」
 小さなどんぐりと唐辛子のあしらわれたビスケットとチョコレートのお菓子のパッケージを見て私は首をかしげた。どんぐりと唐辛子には目と口がついていて、笑い転げている。ポップな感じのパッケージだ。「これはジョークグッズです」、と小さな文字で入っている。
「これがどうしたんですか?」
「わかんないでしょ」
 淡々と言う小田さんの肩がオレンジ色に染まった。
「これ、名前もパッケージも全部同じで色だけ違うの。アズサちゃんがパッと区別するにはバーコード見るしかない。赤いパッケージの方を食べるとかなり強烈に唐辛子味」
「え」
 小田さんは眉をひそめた。
「私、こういうことをやる会社は嫌いだな」
 くるっとひっくり返した箱の後ろの会社名を小田さんは目を細めて見た。
「結構大手なのに……」
 私でも知っている企業名だった。
「アズサちゃん、バーコード見てね。最後二桁が違うから。大変だけど、憶えて」
「あ、はい」
 小田さんの手が、真っ赤に染まって見えた。これは、誰かがとても怒っている時の色。
「ここが79で終わってたら、唐辛子味だから」
「あ……はい。でも……なんでわざわざ」
「わからないの?」
 小田さんは、困ったような表情で私を見た。
「隠れているシキカタの子をあぶり出すためだよね、これ」


 その日の教室は、入る前から白い閃光がチロチロと漏れていた。これはみんなが興奮しているってこと。サッカーの試合だとか、スタジアムで見るとまぶしいくらい白くて大変。
 教室に入ると、隅の方で美化委員の大貫さんが、口を押さえてゴミ箱の上にうずくまっていた。
「……どうしたの?」
 思わず聞くと、周囲にいた女子がちょっと気まずそうにお互いを見た。でも、みんなチカチカ白く光っている。

 その一人が持っていたお菓子の箱を見たとき、私の全身がぎゅっと熱くなった。コンビニで見た、あの、箱。


「——それ、大貫さんに食べさせたの」

 私の声はとても低くなった。
「さやか、シキカタだったんだよね……」
「だって、まさか食べるって思わなかったし……」
「だけどアズサみたいにさ、最初から宣言してたんだったらうちらも気を遣うけどさ」


「気……遣ってくれてたんだ。ありがと」


 私の声に周囲の白はますます濃くなった。何かが、始まっていた。それが何なのかは私にはわからなかったけれど。不穏なものだということだけはわかった。何かとても嫌なものが私達に近づいていて、それが教室を真っ白に染めていた。

 夏休みは、もうすぐそこまで来ていた。






「シキカタ・キッズの夏」は第二回かぐやSFコンテスト選外佳作作品です。

https://virtualgorillaplus.com/nobel/2nd-kaguya-honorable-mention/

Photo by カズキヒロ https://www.pakutaso.com/20210855231post-36220.html



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