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いじめは一生傷をつくる

こんばんは、ぱすこです

最近色んな人の絵日記ブログ、みたいな
ものを拝見させて頂くことが多いのですが
その中の一つに自分が過去に受けたいじめに
ついて書かれている方がいらっしゃいました


実をいうと私も小学校5年生のときに
自分の人生の中で最も酷い
いじめを受けていた時期が
ありまして…読んでいてその頃の自分と
少し重ね合わせてしまいました


なんか、こういうのって年月は過ぎても
定期的に思い出してしまうものですよね。

相手から言われた言葉とか、その時の表情とか、自分を嘲笑う目とか…考えると
今でも少し気分が悪くなるのですが
やはりこういう経験をすると
少なからずその後の人格や人間関係などに
影響を与えてしまうのではないか、と
感じています


それまでもやっぱり小学校って年齢的にも
まだまだ幼稚であるし様々な家庭環境の
子供が共存していくのを強いられている
世界な訳ですからどうしたって
日常生活の中でも意見の食い違いや
衝突は起きるわけじゃないですか


それに男女いるのがやはり大きい。
私は中学は受験をして地元からは少し
離れた私立へと入学したのですが
そこに入ってからいかに男がいない
空間は清々しいか、とうことが
身にしみて分かりましたよ


単純にみんなガキですよね…
私の通っていた小学校が正直あまり
治安が良くなかったということも
あるのかもしれませんが、何だか
野球しか取り柄のない問題児みたい
なのがやたらと多かった気がします


で、その問題児の中でもやはり
ジャイアンみたいなボスが存在する
訳なのですが、その人もやはり
タチが悪くて…


すぐにキレる、自分の気に食わないことが
あるとわめき散らす、女子にやたらと
ちょっかいをかける、人が嫌がるような
あだ名をつける、ともうやりたい放題でした


私がいじめを受けたのはその人からでは
なかったのですが、一度クラスが一緒になりどういう訳か悲劇が重なって隣の席になって
しまったときはもう本当に首をくくりたい思いでいっぱいでした


さて、私がいじめられた理由は
“大人しかったから”ということで
あるのですが、今にして思えばどうして
私はあんなに差別的な行為を受けなければ
ならなかったのかな、と思います


もともとそれまでも大人数で話すことが
苦手であり、周りが活発だったのに
比べて少し静かめかな…とは思われてはいたのですが、これまでは同じ班に仲の良い友達がいたり、喋りやすい雰囲気の子が多かったりと
何だかんだ静かながらもそれなりに
発言をすることができる環境が整っていたのです


しかし、小学校5年のとある席替え時に
新しく決まった班員は私がどれも
苦手とする人ばかりのメンバーで
構成されており、その瞬間から私は
これでやっていけるのかな…と何だか
嫌な予感を覚えていました


そしてそれはすぐに的中しました。
班のメンバーで一番喋るのが長い時間、
それは給食のときです


5.6人の机を島のようにくっつけて
皆お互いの顔が分かるような状態にして
食事を行うのですが大人数で喋るのが
苦手な自分にとってはもうこの時間が
苦痛以外の何者でもありませんでした


もう席替えをして初日から
「何で喋んないの?」「暗いなー」「こっちの話も聞いてないんでしょ」「全然笑わないし」と
いじられその日から私はだんだん
この班の中で言葉を発することができなく
なっていきました

人って一度「お前はそういうもの」と
決めつけられてしまうとそこから
抜け出したい、と思っても自分の力では
中々その状況を打開することができなく
なってしまいますよね…

私の場合は自分が喋ることによって
人から驚かれるのが逆に恐ろしく、
それと同時に面白がられるのも
とても嫌でした。


しかしそれは黙れば黙るほど
何も言わない私に対して何をしても
怒らない、自分たちが私にしている
行為を人にも言ったりしない、と
相手を調子に乗らせているような
感覚にもなりました


私に気分が悪くなる言葉や泣きそうになる罵声を浴びせてくるのはほとんど男子であることが
多かったですが、班の中には女子はいてもその子たちはそれを見て笑っているだけで誰も救いの手を差し伸べてくれたり、
こちらをかばってくれたりするような子はいませんでしたね…


皮肉なことに日が経つにつれて
「喋らない」ことが「気味が悪い」に変わり、
最終的に私は班のメンバーから
「気持ち悪い」と嘲笑わられるように
なっていきました。

それがエスカレート
していって時には私の使っていた文房具も「汚い」と言われ全部机の下に落とされて踏まれたこともありました。


あまり詳細なことは書きたくはないのですが
いじめを受けていて一番嫌だったのは
私が休み時間クラスの友達と話している時に
何だか視線を感じるな…と思ったら
その同じ班の女子がほかの女子とこっちを
見て笑いながらヒソヒソ話している、
といったことがたまにあって…


友達は私が班の中でいじめを受けている
ということは知らなかったのでその
光景を不思議そうに見ていましたが、
私はそのヒソヒソ話が心の底から嫌で
仕方ありませんでした


どうせ私のこと他の女子と話して
笑ってるんだろうな、私はいじめられて
いるということを他の人に知られるの
(特に仲の良い友達など)が本当に嫌
だったので、自分の中だけで耐えて
親にもずっと言えないままでいました

これはいじめを受けたことのある人なら
皆わかる感情であると思うのですが、

やはりいじめられる=恥ずかしいこと
という感覚が自分の中にずっとあって


長引くにつれて「どうして私ばかりこんな酷いことをされなきゃいけないんだろう」と
思う反面、「私が周りの子に比べて静かで元気がないから気味悪がられるんだ…」と
己を責める気持ちも酷くなっていって
しまっていました


しかし今になって思えばそんなに
我慢する必要なんてどこにもなくて、
もっと早くに誰かに打ち明けてしまえば
よかった、とつよく思います


前述したように私がいじめられて
いたのは班の中だけであったため
彼らがあまりにひどい行為を行わない以外
それがクラスの中に知れ渡る、ということは
まずありませんでした


しかし、それによりその事実を知っている
人は少なく誰かの目に留まることも早々
なかったため助けてもらうことができず
逆に辛かったです…全部でどれくらい
だろう、半年位…?


最終的に私と仲の良かった友達が
異変に気が付いて先生に言ってくれた
ことでこのいじめは発覚したのですが、
いや、それまで本当に辛かったですね…


一度この期間中にインフルエンザにかかって
1週間ほど学校を休んでしまったことが
あったのですがいや、ほんとに
このままずっと家にいられてあの班の
メンバーに会わなくてよかったら
どんなに幸せなことか…とこの時の私は
熱や咳の辛さなどよりもかかったことによる
学校に行かなくてよい幸福感の方が
圧倒的に強かったです



後に担任の教師が彼らと話をしたとき
「いじめているつもりはなかった」「ただからかっているだけだった」と一番私に対し酷い行為を繰り返していた男子が答えたそうですが
私はそれを聞いては?としか心に浮かびませんでした


確かにその人はもともとひょうきんで
結構色んな人に変なあだ名をつけたり
主に女子をからかって楽しむようなタイプ
ではあったのですが、それを踏まえても
そのいつもの彼が行っていたからかい方と
今回の私に対してのそれはどう考えても
悪意のレベルの差が違いすぎました


たとえそれが向こうにとっては
遊びのつもりで行っていたことで
あったとしてもそれによって私の
精神は半年以上も蝕まれていったわけだし…


後半になると最早ストレスで
一番攻撃を受けることになる給食の時間は
勿論のこと、それ以外自宅で家族と
食事をとるときも私はいじめに対する
恐怖と焦燥感でほとんど食事が喉を
通らず、出されても残してしまうことが
ほとんどでした


というか普通に何もしていないのに
人から「気持ち悪い」と言われるのは
本当に苦痛でしかありませんよ…

理由のないこちらに何も非がないにも
かかわらず受ける暴力は理不尽でしか
ありません


そこからは何も生まれないし
言った側が何も考えず自分たちが
楽しむためだけにターゲットに対して
発しているのなら、本当にタチが悪いとしか
言いようがありませんよね


私の場合は先生がしっかりやった側に対して
説教をしてくれたのと、それによる
逆恨みなどが起こらなかったことなどから
もうこれ以上この件が長引くことは
なかったのですが、本当に酷い場合は
誰にも相談することが出来ず一人で抱えて
自ら命を絶ってしまったり、周囲との
関係性が悪化して本人が転校せざるを
得ない、みたいな状況になることだって
少なくはないんですよね


やはりいじめって人間がいる限り
完全に撲滅することは絶対にできなくて
妬み、憎しみ、ちょっとした好奇心などから
すぐに生まれてしまうものだと思います


それに誰かの悪口って会話の糸口として
とても盛り上がってしまうものですから。
私もよくないとは分かってはいても
ときに友人とここにいない
人の良くない噂や下世話な話などについて
話を広げてしまうことがあります。


人間の本能的な何かが非常にいじめに
繋がりやすい側面をもっている、
というのも一つの理由だといえるのでは
ないでしょうか



それに、あまりこういうことを言うのは
良くないとは思うのですが、みんは
いじめは悪いことだ、してはいけない、
とただ言うことはできますがいじめの
本当の怖さ、恐怖を知っているのは
それを実際に体験した人たちだけです。


周囲からの孤立、冷たい嘲笑的な視線、
心のない言葉、暴力


いじめにも色んなタイプがあります。
嫌なことを言われたり、物を盗まれたり、
暴力を振るわれたり、無視をされたり



よくクラスなんかで目にする男子が
女子をからかう光景、あれだって
もしかしたら人によっては立派ないじめだ!
という人だっているかもしれません



正直、私は半年に及ぶ個人的には
結構長いんじゃないかな…と思ういじめを
経験したからこそ感じることがあるの
ですが、そりゃ私だってこれが起こる
前にも男子からからかわれたり、変な
あだ名をつけられて笑われることは
何回かありました。


勿論そういうことをされる度に
とても嫌な気持ちになったし、
何で自分がこんな事を言われなきゃ
いけないんだろう、と思うことも
多々あったのですが一回重いいじめを
経験してしまうとあぁ、あんなのとは
比べ物にならなかったな、としみじみと
感じてしまうのです



そりゃいじめなんて経験しないのが一番
ですよ。自分が身を置く環境や自分の性格にょてだって大分違ってくると思うし、生きていて一度だってそういう心を締め付けられるような発言を他者から受けたことがない、という
人だってこの広い世界、存在はするでしょう


そういう人たちは創造では知ることが
できても、他者から
あまり傷を受けたことがないから、
本当に辛い実弾を食らったことのある人しか
いじめの地獄、陰湿さを理解することはできないと思います


これはもう大分前の話ではありますが、
ふとした時に当時のことは思い出すし
未だに大人数で会話するのが苦手であったり
長時間他人と一緒にいるのがあまり
得意ではないのもこの事が少しは
関係してしまっているのでは
ないか、と思います


本当に“やった側”が忘れるのは早くても
“された側”の傷が癒えることって
何年かかっても無理なことなんです


人は人から愛をもらって生きることが
できるが、人から受けた傷はより深く
一生残り続ける


そう考えると人間って本当に
色んな意味で怖い生き物であるな、と
思います


#日記 #エッセイ #ひとりごと #大学生 #いじめ

私の記事に少しでも興味を持って頂いたり面白いと思って下さった方がもしいらっしゃり、サポートして頂くことができましたらこの上ない喜びでございます🙇