コーヒー日記㉔~リハビリにも『訂正する力』を~
今朝は焙煎に失敗したやや生焼けのコーヒーを飲む。
淹れ方次第では悪くない。
”多少生焼けのコーヒー豆での淹れ方次第で美味しくなる”
ぼくのコーヒー観が訂正された。
さて、最近は『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』と読んできたので、そこでの気づきを備忘録として記録する。
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リハビリテーションとは、『リセット』することではない
リハビリテーション業界では、「リセット」という言葉が好んで使われているように思う。
「体幹リセット」などはいい例だろう。
また、言葉では「リセット」と言わないまでも、身体を障がい「前」の状態の戻すために行うリハビリであれば、それはリセットと同義であろう。
では、リハビリテーションとは身体を「リセット」することなのだろうか。
リハビリテーションとは、身体を『再解釈』することである
当たり前の話かもしれないが、一度障がいを負った身体は完全に元に戻ることはない。
例えば、大腿骨頸部骨折の場合。
リハビリテーションの成果によって、ほぼ病前の同様の身体機能を獲得したとする。
でも、頸部骨折では多くの場合、手術が必要だ。
人工骨頭置換術を行えば、言葉通り関節が「置き換え」られる。
それは、完全に元に戻る。つまり「リセット」されたといえるだろうか。
屁理屈に聞こえるかもしれない。
けれど、リハビリテーションと「リセット」を結び付けてしまうと、様々な齟齬が生じてしまうと思えてならない。
だから、リセットするのではなくて、「再解釈」すると考えるのはどうだろうか。
『元に戻りますか?』という問い
患者さんの多くは、リハビリ職に対して「元に戻りますか?」と聞く。
この問いに対する正解はないと思う。
ただ、「再解釈」という概念を使って問いに答えるならば、こうなるだろう。
もちろん、こんなセリフを患者さんに言っても理解してもらえない。
だから、リハビリテーションの実際の場面を通して、気づいてもらうことが重要だと思う。
「リセット」という思いこみを捨てて、「再解釈」した身体を得る。
きっとその方が、患者さんにとって齟齬のない日常生活を送ることができると信じている。
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