母親との関係の変化について
大学4年間の大部分で、母親との関係について悩むことがあった。そこで、図書館に籠り様々な本を手に取り、回避性パーソナリティ障害やアダルトチルドレンなど様々な言葉を覚えた。私がこうなったのは私のせいではない、悪いのは母親の愛し方がわるかったせいだ。どんどんと母親のせいにする考え方の深みにはまっていった。誰かのせいにしたかった私は、本と言う信憑性の高さから、余計に拍車をかけた。
そうして、自分がこうなってしまったのは母親の愛の与え方が悪かったからだと、ひねくれて様々な場面から逃げた。しかし、最近(4年間の時を経て)、完璧な母親など存在しないのではという考えに至った。
今まではどうして私に対してこんな風に接していたんだと怒り狂ったり、悩んでいたりした。しかし、母親も母親で精一杯に私に対して悩みながら接していたのだろうと考えるようになった。彼女が祖母からの愛や、両親について悩んでいたのは何となく伝わるし、自分が兄弟間で初の出産であったし、分からないこともたくさんあったに違いない。不安でいっぱいであったに違いない。
母親を許す(?)という、母親という大きな存在として捉える、大局的な考えになった。
(上から目線のようで申し訳ないのですが、自分の考えを言葉にするにはここら辺の考え方がうまく言い表せないのです…。)
先日、叔母に小さい頃私はどんな子だったか聞いてみると、「イチゴやマグロ、馬肉など赤いものしか口にしたくない子だった。」「抱っこしても嫌だ、抱っこしなくても嫌だと泣き叫ぶ。」「整列させないと(正しい場所に戻さないと)気が済まない子。」などなど、中々に母親を困らせるファンキーエピソードがたくさん出てきて、我ながら手のかかる子だったんだ…と呆然した。母親自身からはそんなエピソードは何も聞いていなかった。
そして、ふと思い返すと、私は親戚の中で一番の長女であり、自分が先駆者にならざるを得ないという愚痴をこぼしていたことを思い出した。母親も私と同様に、自分が親戚の中での一番の長女でもあったのだ。
母親とは何一つ似ている点がないと思っていたが、私たちはなんだかんだ似た者同士であったのだ。
このように4年間母親との関係について悩み、自分の考えは変わっていったが、母親との関係は何も変化していない。自分だけが独楽のようにグルグルと回転し続け、ゼーハーゼーハ―してるだけで周りの景色は何も変わらない。自分が周りの景色の見方を変えようと奮闘し続けて、今、独楽は落ち着いた。また、結婚やらなんやらできっと再び独楽は回る。しかし、今見ている景色を忘れないようにしたい。
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