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この世はとかく儘ならぬ

なんだか大袈裟なタイトルになってしまった。。

この3連休は3日ともきちんと休みで、やっておきたかったことや資格試験の勉強をちょっとしたり、イタリア料理教室へ行ったりしていた。



報道はやはり能登半島地震のことが気になり、つい観てしまう。
昨年3月に金沢と加賀温泉郷へ行ったばかり、何よりやはり阪神大震災で震度7を経験しているので、被災地の様子はどうしても気になってしまう。ただし、気にし過ぎないようには気をつけている。情報を浴びすぎるとPTSDっぽくなってしまうので。だから、三が日も時々箱根駅伝を観たりして気を紛らわしていた。

それにしても、報道が進むにつれ、この震災がもたらした残酷さが浮き彫りになる。穴水町の家屋倒壊現場では、自分以外の家族全員と親族を合わせて10人亡くした方がいらした。
神も仏もないものか。ついそんな言葉が浮かぶ。何も悪いことはしていない、そんな言葉を吐き出すひともいた。

自分自身が被災したときに「何も悪いことなんてしていないのに」と思ったことを思い出した。1,000年に一度の大地震と言われ、なぜ20年ちょっとの人生がそんな確率に当たるのか?と恨みがましく思っていた時期もある。
生活の一切を奪われ、思い出の詰まった場所やお店が根こそぎなくなったら、誰だってそんな気持ちに一度はなるだろう。

阪神大震災時、私の家族や友人知人の本人は無事だったが、その家族が何人か亡くなった。
近くに住んでいた同僚の妹が家屋の下敷きとなって亡くなり、当日の夕方やっと彼女と会えたときには、なんとか妹を戸外には運び出したものの、足場が悪いのと人手がなくて下に下ろせず、屋根の上に毛布で包まれた妹さんの遺体が安置されていたことを思い出す。
私と同僚の2人で運んでみようとしてみたが、余震がまだ続いている瓦礫の上を歩くだけでも難しく、どうにもできなかった。
消防や自衛隊はまだまだ来ず、近所の男性達が出来る範囲で生存者の救出に駆け回っている状態で、やはり優先順位は生きているひと達で、それは仕方なかったと思う。(後になって聞いたが、やはり震度7地域に住んでいた男性の先輩は、生き埋めになっている人達の救助に奔走し、ふと気づいたら裸足だったそうだ)

家屋の倒れ方と火事の様子から、今回の地震が阪神大震災に似ていると感じたけれど、メカニズム的にも揺れ方が似ていたらしい。
それにしても、救助隊の入り方の遅さは能登の方が深刻なように感じる。

私は一晩を避難所で過ごし、2日目からはなんとか連絡が取れた仕事関係の知人のところへ身を寄せて、1週間後に実家へ帰ることができた。
知人宅は電気は通ったが断水していたので、生活用水をあちこち探しに行き、エレベーターが作動しないマンションの5階まで苦労して持って上がったことを思い出す。
電車が動き出し、あちこち乗り継いで何時間もかけて帰ることになったとき、知人の親戚宅に一度寄ってお風呂に入ったら?と誘ってもらった。
1週間お風呂に入ってなかったので、是非お言葉に甘えたかったのだけど、家族に早く戻るように強く言われて泣く泣くお風呂に入らずに帰宅した。
帰ったら、被害はほぼなかったけどうちも断水していた…。でも、ライフラインが生きている地域の友人が、お風呂や洗濯しにおいで!と言ってくれて、確か二度ほどお邪魔したと思う。
お風呂に入れたとき、本当にホッとしたので、被災地で自衛隊が設営するお風呂や温泉の招待などは絶対喜ばれる筈だ。

あのとき、断水かガスが来ないか、どちらかが止まっていることが多くて、うちはなんとか3週間ほどで水が来たけど、ガスは3〜4ヶ月復旧しないところもあって、お風呂問題は結構深刻だった。

そんなこんなを久しぶりにつらつらと思い返した。
まだまだ救助を待っている方々も多く、復興はおろか復旧作業もままならない状況の能登方々に思いを馳せること、関心を寄せることは続けていきたい。

その一方で、あの揺れを経験するのは二度とごめんだな…と思っている。

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