「月明かりの魔女に恋をした」3話
「おかあさん……?」
私がそう呼びかけると、女性の肩がびくんと跳ねる。
「なんで、お母さんって……」
「お母さんでしょ、私の! わかるよ。だってその腕、私のせいだよね……」
「ひぃ!」
母らしき人物はそのまま恐怖におののき後退る。
「そうか、あのガキが変な入れ知恵をしたのね」
あのガキ……? 彼のことだろうか。
「お母さんなんて呼ばないでちょうだい。あなたのことなんて私は知らない。知らないんだから」
呪いを警戒しているのだろう。母は言葉でも、そして物理的にも私を拒絶している。
月明かりに照らされてうっすらと光る私を訝しげに見る。
「本当に光ってるみたいね……余計に化け物じみてるわ」
小言を言うかのようにボソボソと、そう口にした。
化け物。
わからない。親子とはこういうものなのだろうか。本当にこの人は私の親ではないのだろうか。親子とはもっと温かいものだと思っていた。
自分が忌み嫌われていることは承知している。それでも、実の親なら。少しくらいは愛を持っていてくれるのではないか。言葉を話せるようになったことを喜んでくれるんじゃないかと期待してしまっていた。
そんな自分が嫌になる。そんな現実に唇を噛んで俯くことしかできなかった。
「一応教えてあげるけど、あのガキならもう来ないわよ」
「えっ」
母の言葉に思わず顔を上げる。すると彼女は半歩後退って警戒する。
「何を好き好んで、あんたの元に通ってたのかわからないけどあのガキには驚かされたわ。急に家にやってきて、あんたは呪いの子じゃないって。私のこのナリを見てよくそんなことが言えたものよ。何が月の祝福を受けているよ。ほっとくと何されるかわかったもんじゃないから親御さんにもきつく言っておいてあげたわ。だからもうあのガキはここには来れない。今日はそれを言いに来ただけよ」
そう言い切るや否や母はその場を後にした。
両腕が使えないため扉の開閉および解錠は誰かにお願いしたのだろう。側近のような人がそばにいるのが見えた。
ギギギギッ、ガタンと大きな音を立てて扉が閉められた。
彼はもう来ない。
私はあなたさえいればそれでよかったのに。なんであなたまで私の元からいなくなるの。
幸せな日々を壊されてしまった。私はただその場に泣き崩れるしかなかった。
どれぐらいの時間泣き続けていただろうか。思っていたよりも気分はスッキリとしていた。
いつだったか、泣くこと自体に気持ちを落ち着かせる機能があると彼は言っていた。その時は疑わしかったけれど。今ならわかる。身を持って実感したから。そして、それと同時に、私にはどうしようもないくらい彼が必要だと思い知らされた。もう会えないと言われてもやはり彼のことを考えてしまう。
だから。ここから抜け出そう。
それしかないと思った。
ここを抜け出す。そのために私にできることは一つしかない。自分で自分の力を検証することだ。
私は彼の怪我を治すことができた。彼の説によれば、これは月の光による光合成のようなもの。であれば普段の私はさながら周囲の生命力か何かを呼吸している、ということらしい。まずは本当に月の光によるものなのか。それを実験する。
月の光が遮られている部屋の隅へと移動する。そして、私は自分で見ないように目を塞ぎながら自分の腕を引っ掻いた。
「つっ……!」
痛みを実感し、目を開く。赤くなった患部からはじわじわと血液が滲み出ていた。それをじっと観察する。光を浴びていないため、彼の怪我のように傷が塞がる様子はない。
「よしっ、これで」
部屋の真ん中、鉄格子の窓から光が漏れているところへと歩く。そして、腕を窓の方へと掲げる。果たして傷口は少しずつ塞がっていった。
間違いない。月の光のおかげだ。
しかし、まだ検証は終えていない。陽の光でも同様に治るのか。月の満ち欠けによって修復速度の変化はないか。これらを確認しないことには確証は得られない。
これも全部彼が話していたこと。いや、あれは独り言だったのかもしれない。私に話していたわけではないのかもしれない。でも、もしかしたらこうなることも考慮して私に伝えていたのだとしたら……
彼が調べたいと思っていたことなら尚更。今私がやるべきことはこれしかない。
そうして私は夜が明けてから同じ工程を、再び夜が更けた後も同じ工程を、と毎日繰り返した。
結果としてやはり陽の光では何も起きなかった。そして、体感時間でしかないが、月の満ち欠けに対応して力の大きさも変化している感じがした。
「となると……」
満月の夜。それが私が一番力を発揮できる日だ。次の満月の夜、その日までにこの人知を超えた力を脱出に活かせるようにする。それが今度の私がやるべき課題だ。
月の光を浴びながら目を閉じてみる。今までは意識してなかった。自覚してなかった。だからこの力をそのまま光として周囲に発散させてしまっていた。
でも。深呼吸をして心を落ち着かせる。すると、不思議と自分の中にエネルギーが満ちている感じがわかった。
それが体から溢れている感じも。だから逃さないように、体の中に閉じ込めるように、意識を集中する。
最初はなかなか手こずった。けど、何度も繰り返すうちに安定するようになってきて、その状態で目を開けてみると、私の体は発光していなかった。
「えっ……」
驚くと、それと同時に繋ぎ止めていた力は安定感を崩してしまった。
ドンッ!!!
一瞬、自分でも眩しいと感じるくらい輝きを放ちながら何かが爆発したような大きな音を立てた。
目をぱちくりさせながら現状を把握する。この力は体内に溜め込んで放てば爆発力を産み出すことができるようだ。
「これなら!」
いける!満月の夜に、ありったけのエネルギーを取り込んで放出すれば、この牢屋をふっ飛ばすくらいの爆発を起こせる!
そう思った。そのためには今はこの感覚を体に叩き込むこと。
それからはずっとただそれのみを何回も何十回も何百回も繰り返した。
そして月が満ちたその日。私は、長年過ごしてた、閉じ込められてたこの空間を、文字通りふっ飛ばして木っ端微塵にした。
町から外れたところにあると聞かされてはいた。だから夜の静寂を破るこの爆発音も騒ぎにはならないだろうと思った。だが、いつ誰がやってくるかわからない。だから急いでその場を後にした。
初めて外に出た。初めて外を駆け回った。自由になることがこんなにも気持ちいいとは思ってもみなかった。
彼を探さなければいけない。しかし、宛がない。見つけるのには時間がかかるだろう。それでも無敵感を感じている今の私ならなんとかなると思った。
だから今は、ただ疲れ果てるまで足を止めずに気の向くままに走り回った。
夜が明けるまでは、どれだけ走り回っても疲れなかった。けれど、日が昇ってくるにつれて徐々に私の呼吸は荒くなっていった。
「はぁ、はぁ……」
月の光を浴びていれば私の体力は無尽蔵らしい。ましてや、満月の夜なら尚の事。
しかし。朝を迎えると、私が一歩一歩踏み出すその先では、周りの草木がどんどん枯れていった。
自分でも実際には初めて目にするその光景に、絶句する。足元の枯れ落ちた花びらを1枚拾い、話しかける。私にその生命力を吸われた生命に。
「ごめんね、私のせいで……」
今の私を彼が見たらどう思うのかな。そう考えると怖くなり、途端に彼に会いたくなくなった。とにかく町から離れよう。その一心で再び私は走った。
「はぁ、はぁはぁ……」
しかし、走ることで、呼吸が荒くなればなるほど、加速度的に周りが灰になっていく。その様を見たくなくて、つい目を塞いでしまう。前も見ず、足元も見ず走れば躓くのは当たり前だった。
「うっ……」
気付けば森の奥まで辿り着いていたらしい。冬でもないのに枯れ木に周りを囲まれ、枯れ草の上に倒れ込んでいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
泣きながら、何に対してなのかわからない謝罪をずっと呟いていた。こんなにも夜が早くきてほしいと思ったことはなかった。なぜ私はあそこを出てしまったのだろう。なぜあの牢屋を破壊してしまったのだろう。
外に出ていいはずがない。自分の愚かさが恥ずかしくなった。こんなのまさしく呪いではないか。
でも。
ーー君は呪われてなんかいない。
彼の言葉が過ぎる。
「会いたい……」
彼に会いたい。
贅沢なのはわかってる。身の程知らずなのはわかってる。でも彼に会いたい。こんな私でも受け止めてくれる彼に。
それだけが今の私の心を支えていた。そうして私は、ずっと彼のことを思いながら、しかし夜が更けるまで動けないもどかしさに苦しみながら、涙を流して夜を待った。
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