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きみの声が聴きたい|もう会えないけれどこれから私ができること

「もし願いが叶うなら、君の声、もっともっと聴きたかったな…」

今回気持ちの整理をしたため記事にしてみた。

①今回の転職のきっかけ

転職のきっかけとしては2点ある。
1点は今の会社で働くことに希望が持てなくなったからだ。

慢性的な人員不足の現場。研修は皆無でいきなり療育現場に投入される事業所で引継ぎ等も満足にされない。長時間労働、10連勤以上もざらだった。

でもそれ以上に私の中で許せなかったのは、虐待案件を放置し、利益追求主義に走る事業所のやり方が自分には合わないと感じたことだ。

事業所のルールとしては、加算を取るなら何をしてもいいという事業所。
逆にお金にならない案件は、適当に理由をつけて放置し、満足なFBもせずに放置する。それにより、家族関係が悪くなるケースが多くあった。

ケースとして、虐待案件については、私なりに事業所と闘って、事業所内相談支援、グループ加算、関係機関連携加算Ⅱも私発信で取らせていただいた。ここに至るまでも、理不尽な仕事(請求の雑務、全く担当していない子の個別支援計画の量産)も押し付けられながら耐えた。

でも、虐待案件に対しては放置し、追い出す形で事業所は対応した。

同じ保育士や児童指導員も自分の保身ばかり(残業代が出ないなら働かない)で記録も書かない、療育にも来ない職員多数だった。

働けば働くほど、むなしくなっていった。

②きみの成長に当事者意識を持ちたい


※ケースは個人が特定されないように少しアレンジしています。

もう1つのきっかけが、虐待を受けていた子の成長に私は当事者意識を持ちたかったからだ。
往生際悪いよね…。ごめんね。でも君のこと大好きなんだよ。

君と出会ってもう1年がたつね。
君と出会ったときは発語がほぼなくて、目線も合わなくて、年長さんだったけど着席は体幹の状況や運動面の状況から不可能だった。事業所で一緒に体を動かしながら療育することが主だったね。

虐待が早期発見できなかったのは、彼が重度の自閉症でほぼ発語がなく、サインを見つけてあげることが出来なかったことも一要因にあるかもしれない。

●目線があわないのは重度だから
●発語がないのは重度だから。発語する必要性がないから

それに対して、家族で来所する中でのその子との関係性を見て、「家庭が安全な空間じゃないことや、家族が疲れていることが影響しているのでは?」と仮説を持った。

実際に事業所でも保護者の方が手を出してしまうことがある。それを放置されていた状態で私がその子の担当となった。(この際情報も以上の情報のみで記録も何もない状態からスタートした。)

●保護者の方には話を聴くことで、保護者それぞれのストレス減の軽減と他事業所との連携。(実はのちに保護者も手帳を持っていて、障害者雇用をされていることが分かった。保護者様自身が嫌な記憶を忘れられない可能性から、認知行動療法のプログラムを実施。夜寝られるように働きかけた。)

●子どもに対しては、先行刺激をすべて拾いながら(保護者に許可をもらって動画を取りながら)彼のサインを拾い、要求や拒否の際に、言語プロンプトや身体プロンプトで、自分以外の人にもサインが伝わるように支援した。
●粗大運動に関しては、バランスボールの下にトランポリンをおいて、バルンポリンをしたり、シーツでくるんでハンモックをすると感覚も満たされ、体幹も鍛えられたようだった。運動面は彼の感覚を見たしながら体を張って療育をした。
●微細運動は、音楽が好きな彼の強みを生かして手作り楽器(カリンバ、太鼓、オーシャンドラム)やピアノや木琴を使って療育を行った。好きな玩具を通して、指先や手先を使うことにより、楽しく微細動作を鍛えていった。またこの遊びにより、音を聞く、音に反応するというところから、発語の前段階を作っているようにも感じた。
●強化子が木のおもちゃと丸いおもちゃだったから、おもちゃを使って数の概念やひらがなマッチングなどで文字や数字の概念を入れた。

手が出てしまうことも保護者様自身が虐待された経験があり、やめたいけどやめられないという話があった。その為、それに対しても認知行動療法や、CRAFTプログラムを導入して支援した。
参考:CRAFTプログラム

また発語がないことで子どもが何を考えているか不安でイライラしてしまうという保護者様のニーズを拾い、療育プログラムも言語的な発達を促す療育プログラムにかえながら療育を行った。

すると、保護者様の子どもに対する手が出る回数が減り、代替行動(人に相談する。イラっとした行動をメモする。→メモ後ネットで調べる。→人に相談する。)に変わった。

それと同じ時期に、彼が、「だい(ちょうだい)」、「かて(かして)」が言えるようになった。サインも沢山出してくれる(拒否、おしまいのサイン)ようになった。拒否に関しては、「だめ」まで言えるようになってきた。
それでも君との別れは来る。君は最終的に事業所を追い出される形でお別れとなった。
それでも、私は保護者様が涙を流しながら、彼の6年間の写真を写真集を持って渡してくれたこと、そして君に話しかける保護者様が「ねえ、ぼく、ずっと忘れないでね。もう通えなくなるけど、楽しかったね」と言ってくれたこと、ずっと忘れないとと思う。

それと同時に
●もっと早く発語を引き出していたら、君と保護者様の確執はなかったかな?と感じたり
●もっと早く関係機関連携が出来たら君はもっと健やかに生きられたのかな?と感じたり
●君は自閉症の特性があるからこそ(障害特性で語ることは違うと思うけど)、フラッシュバックやタイムスリップ現象にも苦しむよね。辛かったよね。と感じたり

様々な後悔がある。
もっと…もっとあの時君にできていたら変わったかな?ごめんね。

もっと発語を促せていたらと感じ私はST(言語聴覚士)になるために勉強したいと感じたし
もっと関係機関と連携することで彼の将来をより選択肢を残せたのではないかと感じ、社会福祉士を取りたいと感じた。(あと3回スクーリングをすれば受験資格がおりる。)

忘れないよ。君のこと。いつか会えるかもしれないって信じて私も今を生きるからね。
ありがとう。

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