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【セカンドブライド】第24話 カエルさんとの儀式の次の日

題名は忘れてしまったが、昔読んだ小説に、芸子さんの水揚げのシーンがあった。

「水揚げ」とは、年頃の舞妓さんに贔屓の旦那さん付き、芸妓さんになる為に掛かる費用や着物の費用を払ってくれてるのだ。この恩に報い、操を差し上げると言う意味で「水揚げ」と言う儀式、つまり床入りが行われる。

その芸子さんは水揚げ前日の夜に一人、ひっそりと枕を濡らした。けれど立派に水揚げを終え、美しい簪や着物を身に纏って芸子として羽ばたいていく様子は物悲しく、覚悟や強さを感じられ、とても美しかった。

かつての芸子さんは、他に生きる術も選択肢も与えられなかった。だから、私は芸子さんの心中を本当の意味では理解出来ていないと思う。

でも、私にとって、カエルさんを受け入れた後に何度も頭をかすめたのはこの「水揚げ」だった。この時の気持ちを説明しても、理解してもらえるか自信はないが書いてみる。

私は本来恋愛感情の優先順位が高く、心のままに生きることこそ自分らしいと思って生きて来た。そんな私がシングルマザーになったことで、自由とは程遠い生活を送ることになった。仕事と子供達が常に生活の中心だった。そのこと自体は嫌では無かったし充実感も感じてはいたが、時々、仕事が中途半端だったり、子育てが中途半端だったりして、両方の責任を果たし切れていない様な気持ちになった。両親にはバツイチになったことで心配をかけてしまって申し訳なさを感じていたし、父も厳しい人だったので、頼り過ぎない様にしなくてはならないと思っていた。また、ひとり親家庭が受けることの出来る公的な支援は私の収入では一切受けることが出来なかった。賃貸の部屋を借りての生活は、削る事が出来ない固定費がお給料の大半を占め、経済的にも全く余裕が無かった。子供達の幸せのために頑張らなくてはと覚悟を決め、意地になってこなしていたが、その反面、自分一人の力に限界も感じて不安だった。そんな中、カエルさんに対して100%の恋愛感情とい言う訳でなく、「父親になりたい」と言う言葉が嬉しくて身を委ねたことを、「正しい」と思うことで心が救われる様な気持ちになった。

思い返して考えてみると、水揚げでも政略結婚でも、もっと平たくお見合い結婚でも良かったのだと思う。女性が生きていくのに「男性に頼って生活する」と言う解決方法しか無いと言いたい訳ではない。でも、生活の安泰のために、心が追いついていない性行為を受け入れた自分を大きな歴史の流れの一部だと解釈すれば、自然な流れだと思える様な気がして楽になれたのだ。「だって、昔から女性は男性の庇護の元に生きて来たでしょう?」と。「結婚だって合法的な身売りでしょう?」と。その時の私は、そう思わないと苦しかった。

次の日の夜、突然、家のピンポンが鳴ったので、のぞき窓からのぞくと、仕事帰り、昨日と同じ胸に社名の入った青いツナギを着たカエルさんが立っていた。

急いで玄関のドアを開け、そして聞いた。「お疲れ様。どうしたの?来るって聞いて無かったから、ご飯の用意、子供達の分だけしかしてないよ。」

「ただいま。ぱるちゃん。ご飯は大丈夫。仕事中に良いこと思いついちゃって。だから、急いで仕事終わらせて来たんだ。」カエルさんはそう言ってリビングに入って来た。

夕飯を終え、リビングで遊んでいた子供達は彼の姿を見て手を止め、「こんばんはー。」と言った。カエルさんも子供達に「こんばんは。元気か?」と話しかけた。遊びながら子供達が「げんきだよ。」と言い、またそれぞれに遊び出した。

カエルさんは後ろに立っていた私の方を振り返り、「ぱるちゃん、はい。これ。」と古びた茶色い皮のお財布を差し出した。そのお財布は、一度パンパンになるまでカードやなんかを入れた跡があり、折れ目の所が変色して柔らかくなってしまっていた。

「このお財布なあに?」
「中、見てみて。」

お財布の中を開けると、一万円札や千円札が何枚かずつ入ってるのが見えた。意味を測りかねてカエルさんを見ると彼は得意そうな顔で言った。

「全部で5万円入ってる。オレがご飯食べに来るときはここから使って。」
「え…いいの?」
「うん。これでオレもご飯作ってって言いやすいし。余ったら子供たちにお菓子買ってあげても良いからね。足りなくなったらまた入れとくね。」
「ありがとう。助かるよ。」と言うと、カエルさんは「オレ、ぱるちゃんを助けたいんだ。美味しいものたくさん食べさせてよ。」と言い、「偶然だけど、オレ、上手いこと言うな。」と自画自賛して笑った。

私は、彼の下品なジョークを一緒に笑いたい気持ちになれなかった。だから、彼が食べたい「美味しいもの」に込められているのは文字通りお料理のことだと理解することにした。

「夜ごはん、チャーハンで良ければ出来るよ。」と言うと、「良いねえ。チャーハン。」とカエルさんが言ったので、私は台所に立ってチャーハンを作り始めた。私が作っている間、カエルさんは台所のテーブルに腰かけ、その日あったことを話したり、携帯をいじったりしながら待っていた。そして、「チャーハンは、やっぱり晩酌してから食べた方が美味しい。」と言うので、チャーハンと夕飯の余りのほうれん草の胡麻和えやジャーマンポテトをタッパーに詰めてお弁当にした。

帰り際、カエルさんを玄関まで見送るとカエルさんが「良いつまみが出来たよありがとう。」と言った。だから、「こちらこそ、いろいろ考えてくれてありがとう。」と返した。お互いに微笑み、穏やかな時間が流れた。

そして、靴をカエルさんから新婚さんの出勤シーンの様にキスをされた。瞬間的に、子供達が見ていないかがとても気になった。これからは、リビングのドアをしっかり閉めてから見送ろうと思った。

その日の夜は何だか寝付けなかった。子供達を寝せつけた後、リビングに戻って電気は点けずにカーテンを開けた。月明りと街の光で部屋が少し青く照らされて幻想的だった。

台所のテーブルの端にカエルさんからもらったお財布が見えた。簪や着物ではなく、「現金」と言う生々しい生活の匂いがするお財布。とても助かるのは、正直、本当の気持ちだった。

でも、自分が進もうとしている道が合っているのか、間違っているのか分からなかった。

窓越しに夜の街を見下ろした。窓からは駅前のロータリーが見えた。駅前のロータリーと言っても、私が住む駅は終点駅で、都会と違いコンビニ一つ無く、タクシーも2台しか待機していない。恐らく降車駅を乗り過ごし終点まで来てしまった人が、急いでタクシーに乗り込んでいるのが見えた。「奥さんに怒られちゃうって、急いで帰っているのかな?」そう思って見ていた。そして、知らないその人の温かな家庭を想像した時、不意に自分が一人だけがこの世界で失敗し、情愛を見失い、格闘している様な気持ちになって泣きたくなった。

藍色の部屋に座り、一つ一つ、自分の心をなぞってみる。

カエルさんのことは、穏やかな気持ちで好きだ。
子供達と安定した生活がしたいと思っている。
子供達に父親を作ってあげたいと思っている。
何よりも、安心して生きていきたい。

自分自身を卑下することはない。自尊心を保って生きて行けば、きっと大丈夫。

そう、自分に言い聞かせた。

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