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短編『楽園から来た人』概要【前半】

クナシリ島に住んでいた著者クズネツォフ‐トゥリャーニン氏が
1999年に執筆、2004年に雑誌で発表、2008年に出版した短編小説
『楽園から来た人』(ロシア語原題 "Человек из рая")を紹介します。
40ページの短編小説ですが、4分の1以下に要約しました。

ロシア語原文 はリンク先にも公開されています。

『楽園から来た人』概要

 舞台はクナシリ島・ユジノクリリスク。「私」は大戦後に建てられたバラック小屋に住み始めて3年になる。ここからは大洋を望むことができ、台風、地震、津波に見舞われることもある。かろうじて電気は通っているものの、ぼろぼろで汚い小屋は、文明人には目も当てられない。
 隣の部屋の住人アルチョムは、もう20年以上もこの小屋で暮らしている。190センチの巨体で、小屋の中でも外でもいつも身をかがめて座っている。顔は大きくてごつごつしており、胸毛は黒い。髪は細かい金属のスパイラルのようで、小屋の主の誇りのようなものを感じさせる。彼は井戸の水を汲んで体を洗い、誰にも何にも注意を払わず安物の煙草を深く吸う。島の人にしてはほとんど酒を飲まず、土曜日に温泉につかった後に一杯やるだけだ。彼は「自分が自分でいられるのは森の中だけだ」と言い、狩りをたしなむ。年齢は50歳くらいだが、クルミを素手で軽々割るなど、力男である。
 社会主義時代、アルチョムは大人しくコルホーズに従事し、鮭獲りをした。コルホーズがなくなると荷役作業員として働きながら、特にお金は稼がず、海産物を食べて生きていた。その後夏は季節労働者として働き、秋からは狩りをした。獲ったものを日本人などに売って対価を受け取ることもあったが、彼はまったくお金に執着がなかった。私は、自分がアルチョムだったらどうするだろう、狩りとはどんなものだろうと想像した。

 アルチョムは狩りのために2週間の準備をし、他のものには興味を示さなくなる。彼が狩りの準備をする様子は、まるでその手順を生まれつき全て知っているかのようだ。しかし実はアルチョムは、生まれてから25年間モスクワに住んでいた都会っ子だった。モスクワ国立大学の出身で博士号まで進み、化学の論文まで書いていたというのだから驚きである。彼は誰にも自分の出自を話していないようだが、集落中で皆がこのことを知っていた。
 彼は化学を投げ出し、国中を2年ほど転々としてクリルの島に落ちついた。最初の頃は島で1年稼いだお金で女の子を追いかけまわしたり、モスクワやソチの居酒屋で遊んだりしたものだが、月日を経て、大陸にいたころとは全くの別人のようになった。アルチョムは森や海に出ては、自給自足の生活をした。特に国で改革なるものが始まってからは、彼は10年島の外に出ず、日の沈む方角を眺めることはなくなった。クナシリ島からは、ロシアの大陸を望むことはできない。北海道の知床半島の山々に阻まれているからだ。

画像引用元

 アルチョムは地元の女性と何人か付き合ったが、父親になることはなく、今も独りだ。彼の姉はモスクワで美容室を経営しており、「戻ってきて普通の人生を送りなさいよ」などと手紙や電報を送ってきた。そしてある日、姉はアルチョムのために結婚相手を見つけたからモスクワにいらっしゃい、とややふくよかな女性の写真を送ってきた。面白いことに、アルチョムはその翌日には物思いにふけり、私に相談を持ち掛けてきた。「姉の知り合いでさ、41歳の女性なんだ。娘さんがいるが、もう嫁に行ったんだってよ。」彼が女性に会うには、クリルの溝の底から這い上がらねばならない。私は言った。
「アルチョム、すごいチャンスじゃないか。こんな島もこんな小屋も全部放り出して、彼女のもとに行きなよ。モスクワのアスファルトを踏みしめて…」
 そしてアルチョムは結婚するため、ここを出て行く決意をした。彼は人が変わったかのようにお金を集め、煙草を吸わなくなった。もはや彼は島民ではなく、首都モスクワの紳士になったも同然だった。1番大きな変化は彼の髪に現れた。彼は「ワシリサ」という優しい名前の女性に会うために、伸び放題で何とも言えない形をしていた自分の髪を、鏡の前で切りそろえた。

 後半に続く

 クナシリ島に住んでいた著者クズネツォフ‐トゥリャーニン氏の横顔はこちらから。

本記事トップの写真は択捉島、2015年7月 拙写

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