コミケの戦利品を紹介していく6 C101


りんかい線国際展示場の立ち食いそば屋にて 会場を離れて一服

年末の締めになんとなく食べたくなる蕎麦。コミケの帰りはここが定番になりつつある。昔はずっと満席状態に見えていたが、今回も余裕を持って食べられた。コミケに行く時は念のために携帯食を持って行くけれども、すべてを終えたら、トイレの心配がいらないので好きなものを食べられる。

冬であったから、暖かいものはやっぱりありがたい。ささっとすすって、電車に乗り込む。揺れる電車の中でタイマーを到着時間手前でセットしておいて、少し仮眠をする。

なんとなく、やり残したことが無かっただろうかと振り返ったところでどうにもならないのだけれど、きっと面白い本はまだあったに違いない。ご縁が無かったのは仕方ないけれど、次回に行けば、また何か新しいものがきっとあるだろう。この場所がずっとあって欲しいけれど、この世に永遠のものなど無いわけで、いつかは必要とされずひっそりと消えていくのかもしれない。

自分が望ましくないのは、この表現の場をけしからんと抹消しようとする勢力に負けることだ。いまでも、マンガやアニメにゲームなどを不健全とみなして、焚書しようとする人たちが活動している。

かつては宮崎事件という恐ろしい事件が影をずっと伸ばしており、オタクと呼ばれた人たちは隠れて趣味を楽しむことしか出来なかった。しかし、インターネットの出現によって、少しずつ状況は変わっていく。様々な価値観が認められようとして、多様性を容認する空気が醸され、オタク趣味も犯罪者予備軍のレッテルからようやく抜け出せるようになった。

ネットの中では同好の士がお互いを励まし合って、居心地のいい空間を維持している。その中に土足で踏み荒らしていくように、犯罪者、人間性の欠如、変質者等々とおとしめていく人たち。自分らの嗜好は性的消費でしかなく、アンモラルの温床であると決めつけ、いるはずが無い被害者を想定してたたきのめそうとしている。

我々を悪人と見なして、世論を味方に、その人たちが望む世界を構築しようとしている。

これに対して、表現の自由の侵害と主張し、むちゃくちゃな主張に真っ向から反対し、理不尽とも言える権力の行使にNoと言ってくれる人たちがいる。むかしは、背中を丸めてひっそりとしているしかなかったが、われわれの側に立って、我々の場所を守ってくれる議員さんがいる。

いつも、奮闘してくれてありがたい存在です。この人達がいなければ、この国の創作の世界はもっと息苦しいものになっていたでしょう。



赤松健の国会につき

ついに現役マンガ家から、議員さんが生まれました。赤松健先生は「AIが止まらない!」「ラブひな」「魔法先生ネギま!」などのヒット作を量産し、絶版したマンガをデータベース化し、閲覧すると広告収入が発生して、作家に支払われるサイト「Jコミ」を設立。事業家としても成功している知名度抜群の作家。

去年の参議院選挙に比例代表で立候補し、見事当選を果たして現職の参議院議員となっている。

初めての国会。参考人としてきたことはあったけれど、議員としての緊張する日々

自由民主党から立候補した先生は、比例代表の候補者中トップの52万8053票を得て当選した。われわれの願いがデカい元気玉となって届いたかのように。

赤松先生は1年生議員なので、先輩しかいないこの状況で、緊張する日々を送っていた様子。有能な秘書に囲まれて、仕事をこなしているけれども、自分の得意分野では、存在感を出している模様。まあ、ギークだし、得意なことには饒舌になれる感じか。衆議院と参議院の食堂にあるカレーはどちらもおいしいらしい。

フランスに視察にいくとルーブル美術館でうんと近い距離でモナリザを見ることが出来たそうな。フランスの国立図書館には古今東西のゲーム機および2万点ものソフトが保管されている。赤松先生はデジタルアーカイブ関係が本職のようなものなので、いい質問を出しまくって向こうも驚いていたとか。フランスの若者が日本のマンガやアニメで文化を知ることが多いという。ぜひとも、先生には様々な国でアニメゲームなどの文化交流の架け橋になって、外交で有利になるパイプを太くして欲しい。




くりした善行のマンガ規制の歴史~’23

旧タイトル「東京都マンガ規制の歴史1950-2020」を加筆修正したもの。

昨年の9月に鳥取県から有害図書指定を受けた書籍がAmazonの棚から消え去ってしまった。地域限定の効力しか無いはずだったのに、全国に影響を与えた前例が出来てしまう。丸善ジュンク堂が通販をしているhontoにも、この書籍が出なくなってしまうという事態に。これを定価で手に入れることが困難になってしまった。

自分は運良くこれを持っていたけれど、普通に面白い本であるし、これを読んで犯罪を誘発するような無いようでは無いと思っている。この本を参考に書いた記事もあって、こういう本でしか得られない医学の歴史を知ることが出来た。

鳥取県がこの有害図書を指定したというプロセスも不明な点が多く、知事もまた全くとりつくしまも無かった。こういった鶴の一声のように悪書として指定されてしまうだけで、作家は自分の仕事を無き者にされてしまう。また、ECサイトがこの地域限定条件に対応して、全国でも手に入り肉状態になってしまった。誰が、どんな理由で本を燃やすのか。今回の件を調べた人がいて、ちょっと危なっかしい団体が絡んでいたらしい。

いかがわしいと感じるものを排除しようとするのは一見善行にも見えるけれど、それが手前勝手な理屈だって誰かが教えてくれないと、なかなか気がつつかないもの。そして、影響力の強い親やそれに当たる教育や環境が個人の規範として形付くこともある。

それはそれで、生きていくことに必要ならそれでもいいけれど、それ以外を社会を乱す悪の種と決めつけるように排除をもくろみ、慣習や既得権益にあやかって、まっとうな手続きをせずに断行することは、正しいことなのか。

焚書は戦後のマンガから起きていて、マンガの神様と言われた手塚治虫の作品も燃やされた過去があった。
「小どもが真似したらどうするんだ」つまり、そういう悪影響を懸念しているのは今も昔も同じらしい。

東京都が不健全図書をどうやって選定しているのかというと東京都青少年健全育成条例をもとに月一回程度、都民安全推進本部が選んだ約100冊の書籍から1-3冊程が選定されて審議にかけられる。だけど、プロセスが公開されておらず、くりした先生は運営についての見直しを提言してきた。

議事録公開の迅速化は努力をしていただけることになったが、議事録の氏名公開は圧倒的に反対意見があってとてもムリだったとのこと。もしかしたら、この氏名を公開したらとんでもないことがわかってしまうかもしれないな…。

不健全図書という名称を変更していくことで、これからの創作にも圧力がかからないように微力ながら協力していきたい。

なにもかもが押っ広げと言うわけではなくて、未だに差別的に見られている世間の見方を変えていきたい。あの手この手で、創作活動を抑圧しようとする声に負けないように。

自分がいわゆる「ふつう」で、何気なく暮らしていたら、そう思っているものがいつの間にか「ゆがんでいる」「いやしいもの」と決めつけられることも起こりえる。
たとえ石原都知事がかつて「近親相姦」「教師と教え子の同棲」を卑しい、ゆがんだ性愛と見なして不健全だと判断したが、そのような作品に救われた人もいる。物語は実用的に見れば、ケーススタディのようなものであり、味方がいない人たちへの相談相手でもあるのだ。

これからも、規制派とのやりとりは続いていくだろう。手前勝手な理屈の前におとなしくしている時代では無い。居場所を守るために学ばなくてはならなくなってきたから。


というわけで、まだいくつかあるんですが今回はここまで。自分の趣味も偏っているので、似たようなものばかりになっているのはご愛敬で。

次回も2日開催とのことで、いままでの参加者が戻るのはもう少しかかりそうですね。比較的パンデミックも落ち着きを見せてきたように思えてきたし、そんなこともあったよね、とお互いマスクなしで語れる日が来るでしょう。
また、段ボールを買ってこなくては。




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