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分からないけどやるのだ

英語を話せるようになりたいと思っている。
それは、自分と共鳴する人たちと繋がりたいという想いからだ。そこには、人種も性別も年齢も要らない。が、コミュニケーションがとれるツールとしてやっぱり最低限、英語は必要であると思う。

かといって、必死に猛勉強しているわけではない。私の場合、生活の中に溶け込めないと継続が難しい事が分かっているから。

焦らず、無理せず、けど諦めず。
コツコツ、亀の歩みで進んでいる。

しかし、英語の発音は本当に私には難しい。
先生に何度直されても、頭で分かっていても、実際に出る声は違うモノがでてくるし、自分ではきちんと発音しているつもりなのに、そう聞こえていない、と指摘される。

本当に、分からない。笑
どうしろっていうんだよ〜、なんて思う。

それでも負けずに寝る前に1日30分、何度も録音し、自分の声を聞いてみて、お手本と比べて落胆し、また真似して聴いて、録音して、を繰り返す。
注意されているところを意識しても、いざ話し出すと忘れるし、注意して話すと文章のつなぎがおかしいと、違う指摘をされる。

私の人生は、こうやって、分からないストレスの限界点が来た時、諦めて挫折してきた。

けど、今回はここからもう一歩粘るつもりだ。
それもこれも、病気のおかげかもしれない。

人生は1度きりであること、他の人に何かをきちんと伝えることの難しさと大切さ、実際に自分と、自分の外側は鏡のように反映されていること。

いかに、本や人から聞いたことで分かったふりをしていたのか、猛反省だ。
頭でわかることと、行動してから分かることには、とてもとても大きな差があるのだから、分かったふりをしていたことを、分からないに戻してやり直すしかない。

自分の輪郭がボケるのは、これが原因だ、と気がついた自分に拍手だ。

分からない事は、ストレスではあるが鍛錬あるのみ。色々な人に聞いて、助けてもらいながら、そして色んな角度からみて。

もう諦めない。

それは、彫刻刀をもって少しずつ削って、自分の輪郭を作るように。
ゆっくりと、丁寧に。


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