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【映画】「岬の兄妹」(2018)観ました!


頭の中をカラッポにして観られる映画を観た後は、

なんだかダークな映画が観たくなる。

ダークというのは別にバットマンとかジョーカーみたいなダークサイドにいる主人公たちが中心になる作品のことじゃなく、ましてや呪怨やサイレントヒルみたいなホラー映画のことでもない。

ここではいわゆる社会問題をテーマに扱うような、翳のある映画のことをダークな映画やと言いたい。

まるで甘い物を食べた後にしょっぱいもので口直しがしたくなるみたいに。

私だけの特殊性癖かもしれないけれど、とりわけ脳筋映画を観た後はガラッと趣旨の変わった映画が観たくなっちゃうのであります。

そんなわけで深夜0時を過ぎた頃。

『トゥームレイダー』の一作目を観た後ふと目についた『岬の兄妹』を再生してしまったわけだ。

第一印象は、もう迷わず「しんどい」。この一言に尽きる。

本来作りモノのはずの映画なのに、気づけば自分が作品の中に存在しているような錯覚まで感じ始めて、ただただ胸くその悪い感覚だけが残った。

あらすじ

足に障碍を抱えた兄と重度の自閉症の妹は港町で貧しく暮らしていた。

頼りにできるのは兄の稼ぎだけ。

それも雀の涙で家賃はおろか、光熱費すらも払えなくなるほど次第に困窮していく二人。

そんなある日、出勤時はいつも家に軟禁していくはずの妹が失踪したと知る兄。

なんとか彼女を見つけるも、町の見ず知らずの男と体の関係を持ったことを知った兄は妹に激怒する。

加えて、やるせない気持ちで出勤した矢先に退職勧告される。

足の障碍のためにすぐに別の働き口を見つけられるはずもなく、体に変調を来していく兄は、ふと妹の「冒険したい(*外に出かけたい)」という言葉に勢いづけられるように、妹を売春させることを思いつく。

いつしか妹の「お仕事」のおかげで生活は上向き始めたものの、予期せぬ出来事が起こって・・・。

感想

まじでしつっこい。

もうね、しつこいくらい後追いされる映画やったよね。

何が恐ろしいって元来作り物であるはずの映画がどんどんリアリティを帯びてくるところよね。

画面に引き込まれて目が離せなくなるのみならず、

スクリーンっていう遮蔽物もなくなってまさに目の前でやりとりされているような錯覚に陥るまでおよそ40分。

もはや自分自身がキャストに没入していくほどにどっぷり映画に浸かるまでそこから20分。

その生々しさは一体どこから来るのか。

自分でも決め手は何なのか分からなかったけど、

例えばマクドナルドのハンバーガーにがっつくシーン。

例えば生きたいと願うあまり脱糞してしまうシーン。

例えば「お仕事」を通じて自分の存在意義を確かめようと兄に訴えかける妹のシーン。

どれもこれも「生きる」ことに対しあまりにも切実で必死で懸命だったと思う。

これらが全てまさに目の前で起こっていることのように思えてならなかったのは、ひとえにキャラクターたちの作り込みがかなり細かい部分までしっかりしていたからなんやろうと思った。

「貧しさ」一つとってもそう。

スマホではなくガラケー。

カーテンではなく段ボール。

年不相応な服装の着回し。

何よりも立て付けの悪い平屋に詰め込まれたいやと言うほど多い物の数。

いわゆる富裕層の家庭を表現する時には空間を広く見せるために物を少なく配置する映画と対比し、貧乏な家はいつも狭く、汚らしく、そして物が雑多に配置される。

是枝監督の『万引き家族』やポン・ジュノ監督の『パラサイト』なんてその代表例だろう。

どこまでも現実の「ありそう」な姿とリンクしているからこそ、スクリーンの上で踊る映像たちがフィクション、他人事、作りモノとは思えなくなってくるわけだ。

マイノリティは社会に不要か?

この映画はいわゆるマイノリティな人たちが登場する。

障碍を抱えながら貧困層に属する兄と妹なんて、まさにその代表例。

ところで日本はOEDC規定ラインによると2018年時点で相対的貧困率(自分がいる社会の多くの人と比べて、相対的に貧しい人の割合)15.4%とされている。つまり日本人の6人に1人が当時は相対的貧困層だったということだ。

コロナ禍の失業や不況(2019~)、ロシアのウクライナ侵攻(2022~)を経験した今、この状況はもっと悲惨になってても不思議じゃない。

障碍者、という点については、日本には2018年時点で936.6万人とおよそ人口の6%が精神障害・知的障害・身体的障害のいずれかを抱えた人がいるという。

そして2016年の慶応大学の調査によれば障害者の4人に一人が相対的貧困層に当たるらしい。

まさに中心人物たちがこれに属していることは疑いようもない。

じゃあこれを社会問題として大々的に取り上げられるかと言えば、恐らくそうとも限らない。

なぜなら彼らはマイノリティだから。

マイノリティはベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」に思いっきり反する存在。

だし、マジョリティよりも問題は圧倒的に千差万別多種多様に分化していて、対応しきれないというぶっちゃけた本音もあるんだろう。

でもそれを「ああそうか、じゃあしょうがないよね」で片付けてしまうような社会にはしたくない。

きっとそういう気持ちがあってこの作品は生まれたんじゃないかなぁと思うのだ。

だって誰だって(極端かもしれないが)マイノリティだ。

目の色、耳の形、笑い皺の数、外見一つ取ったって一卵性双生児ですらどっかしら違うところがあるだろう。

それを「私と同じ特徴の人、いますか?」なんて聞いて、果たしてドッペルさんは見つかるだろうか。

一方でそもそも何それそんな人いるの?ましてや対応しようにも現状や課題が分からなくない?なんて思っている人がいるかもしれない。

まずは知ることから。

そんな思いからこの作品は生まれたんだろうか。

まるで監督自身の経験を基に作られたかのようなリアルさ。

スクリーンに投影されるその姿を見て、胸くそが悪いと思うのは自分自身が目を反らしてきた代償なのかもしれないとちょっと思った。

観なかったらこんな気持ちにならずに済んだ。

でも観なかったら知らずに死んでた。

そう思うとなんか、ね。

まとめ

とりあえず一回は観てみて損はないと思う。

でも観た後はきっと心の中にずしんと来るものがあるので、必ず何か楽しい気持ちになるものを用意しておこう。

ちなみに私はタイムマシーン3号のネタを5本観た。

関さん・山本さん、いつも笑いをありがとう。

つらいことがあるたびにお世話になってます。笑

個人的ベスト3↓


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