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#4 母のようになるのが怖い。母のせいでこんな惨めな思いをした。幼少期の経験のせいでこんなに生きづらい。もっと普通の家庭で育ちたかった

フジイさんのエッセイ連載「どう生きたいかなんて考えたことがなかった」(全8回)。フジイさんは子ども時代に母から虐待を受け、一方ではアルコールに溺れる母をケアするヤングケアラーでもありました。母とは共依存の関係になり、いつも顔色を窺うように。「私がどう生きたいか」を考えられなかった、と振り返ります。

第4回では、子どもをつくらない選択をした背景についてつづります。

※本作品には、一部虐待描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

私たち夫婦には、子どもがいない。

何度も話し合い、子どもをつくらない選択をした。夫との間に子どもがほしくない、と言ったら嘘になる。ベビーカーを押しながら歩く幸せそうな夫婦を街中で見かけると、素直にうらやましいと思う。でもそれ以上に、子どもをつくれない、つくりたくない理由があった。

私は、自分の子どもを育てる自信がない。

虐待の世代間連鎖の確率は3割程度だと聞いたことがある。3割と聞くと、多くの人が「たった3割」と思うかもしれないが、私にとって3割は「たった」ではない。

私は、私の中にある衝動性や暴力性がこわい。愛されなかった私が、子どもを愛せる可能性はどれくらいあるのだろうか。そんなことをぐるぐると考え続けた。

もちろんこんなこと、産んでみないとわからない。そんなこと考えたってしょうがない、と言われればそれまでだ。

でも、私が受けてきたような精神的・身体的虐待を、自分の子どもにしてしまう可能性が1%でもあるなら、産むことはできない。

そう伝えると夫は、「いいよ。そうしよう。二人で生きていくのも楽しいよ」とほほ笑んだ。

コーヒーカップを手に、テーブルをはさんで向かい合う男女の手元

衝動的で暴力的な感覚が忘れられない

今の物言い、母親みたいだったな。

イラッとして夫に言葉を投げてから、ゾッとする。
こんなにも母のようにはなりたくないと思いながら、私は随分と母と同じ考えをもっているようだ。

自分の将来を母の姿と重ねて怖くなり、思わず夫に「ごめん。今の言い方まるで母親みたいで自分が怖くなった」と正直に打ち明けた。

血も涙もない人間だと思われるかもしれないが、私は母に「死んでほしい」と本気で思ったことがある。一度や二度ではない。

酒をやめると言った日の夜、酔っ払って目が据わった母から理由もなく目眩がするほどのビンタをされたとき。まだ学生のころ、服装やメイクが気に食わないからと「淫乱」「商売女」などと耳を塞ぎたくなるような言葉を浴びせられたとき。

この人に私の声は届かない。そう思い知らされるたびにいっそ死んでほしいと願ってしまった。

そのときの、自分の中にブワッと湧き上がる衝動的な感覚が忘れられない。

殴られたとき、何度やり返そうと思ったか数えきれない。実際に行動に移さなかったのは、一線を超えたら母のようになってしまうという恐怖心があったからだ。

皮肉なものだが、他人への暴力や、自虐行為に走らなかったのは、並々ならぬ「普通」への執着からだった。

これまでのエッセイでは、「『普通』に憧れるあまり、他人から真っ当だと思われるような選択をしてきた」と生きづらさを吐露した。だが振り返ると、あの頃の私はたしかに「普通への執着」に救われていた。

でも人は、何がきっかけで坂を転がり落ちるかわからない。
だから私は、私で終わりにしたいと思ったのだ。

虐待の世代間連鎖に悩む人は少なくないだろう。虐待に関連する事件が起こると、メディアは世代間連鎖の有無に注目し、加害者もまた「かわいそうな」生い立ちであったと報じるケースが見受けられる。

虐待が繰り返されるのが一般的であるかのように、当事者には呪いが刷り込まれる。

父親を失った母

実際、私の母もかわいそうな生い立ちだった。

私と違うのは、母はいつも、父親(私の祖父)が大好きだったこと。祖父以外の家族には冷たく当たられ、暴力を振るわれることも多かったが、祖父だけは母を可愛がったそうだ。

母は祖父を愛おしそうに名前で呼び、よく思い出を話してくれた。漁師で泳ぎが上手だったこと。吃音でつらい思いをしていたこと。困っている人を放ってはおけない優しい人だったこと。いつも褒めてくれる祖父だけが心の拠り所だったこと。

だが、母が20歳のころ祖父は自死している。借金の保証人になり、どうにも首が回らなくなった末の出来事だった。

祖父は亡くなるまで毎日、死に場所を探してふらふらと彷徨い、いなくなった。母たち家族は、くる日もくる日も一日中祖父を探してまわっては、家に連れて帰る日々だったという。

ある日、そんな毎日に嫌気が差した母は、祖父を探しにいかなかった。そして、その日に祖父は亡くなった。

祖父の死に姿をまだ幼い私に話す母は、遠くを見ていて、口元には自嘲を含んだような薄い笑みを浮かべているように見えた。

母は何十年経っても罪悪感に囚われ、ずっと自分を責めている。酒に酔って寝たかと思えば、泣きながら「ごめんなさい」と言っていることがあった。

荒れ果てた廃墟のような場所の縁石に10本以上並ぶ酒瓶

もともと活発だった母を変えてしまうには、じゅうぶんすぎるほどの出来事だ。

だからと言って、母のしてきたことが肯定されるわけではない。

不幸な生い立ちだったとしても、自分の子どもに深い愛情を注いでいる人は大勢いるのだ。世代間連鎖なんてものは、根拠も正しい統計もない、ただの俗説でしかない。

つまり、私が世代間連鎖に怯えてしまうのは、私自身の問題なのである。

無知や思い込みがはらむ加害性

私はずっと母に囚われていた。

「母のようになるのが怖い」「母のせいでこんな惨めな思いをした」「幼少期の経験のせいでこんなに生きづらい」「もっと普通の家庭で育ちたかった」

こんなことを考えては涙を流し、過去を憎み、母を恨んだ。

だがそこから、何かが前に進むことはなかった。当たり前だけど。

これまでのことを乗り越えるには莫大な時間を要するだろう。フラッシュバックや悪夢に苦しんでいる現在、乗り越えることは不可能かもしれないとさえ思う。

でも、本を読んだり、医師や臨床心理士など専門家の話を聞いたり、過去の気持ちや今考えていることを書き出したり、母という人間を、そして私たち家族の歩みを客観的に振り返ったりすることで、ゆるやかに前に進んでいるような気がしている。

世の中には、たくさんの言葉があふれている。たとえば「子どもを産まないのは勝手な考え」「子どもを産まないことは問題」などという政治家がいる。

子どもを持たないことを選択した私に、「子どもは産んだほうがいい」「子どもがいるからこそ成長できるんだよ」などと、言葉をかける人がいる。

なかには本当に私のことを考えて言葉を発してくれる人もいるけれど、どう答えるべきか困惑してしまう。

花を持つ手とその手を追うように広げた手のシルエット

精神保健福祉士・植原亮太氏の著書『ルポ 虐待サバイバー』で、印象的な一節があった。

私たちの心の発達は「親を信頼し、親に対して安心すること」を初期設定にして始まった。この初期設定のままで、自分以外の親子関係も見ている。(中略)私たちははじめから、「色眼鏡」を通して親子関係を見ているのである

私も常々感じていた。他人の親子関係を理解することは難しい。親子関係に「愛」があって当たり前だと体験してきた人が、そうでない人の心情を慮るのは至難の業だ。

これは親子関係に限ったことではない。無知や思い込みは、人を傷つける加害性をはらんでいる。私も加害側になり得るし、これまでの人生で何度も人を傷つけてきたのだと思う。

だからこそ自分に降りかかる言葉の数々に踊らされるのではなく、私が一つずつ取捨選択しなければならない。

自分に必要な言葉を見極めるために、他の誰かを傷つけないために。私は、たくさんの人に会って、たくさんの本を読んで、たくさんの言葉を欲しているのかもしれない。

これまでの人生では、自分のことは自分で決めなければ後悔すると身をもって知った。

私は、周りからなんと言われても子どもをつくらないこと、そして母と絶縁することを選んだ。

フジイさんの似顔絵イラスト

フジイ
フリーライター。30歳を過ぎて脱サラ、文章を書き始めました。
Twitter: @fuji19900211

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