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縄文人に見る “祈りと感謝” の精神文化〜その4〜

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

1万年以上も続いた縄文社会が、終焉を迎えるときがきた。そして同じ頃、古代イオニア社会も終焉を迎えた。

「大地の哲学」を著した小坂洋右氏によれば、縄文人は権力を集中し、人々を統治するクニ造りの方向を指向することなく、狩猟・漁労・採取に従事しつつ、祈りと感謝の精神文化を頑なに守り続けて、1万年もの長きにわたって自然循環型の縄文社会を築き上げてきたという。1万年とひとくちにいうが、エジプト文明も、古代ギリシャも続いたのは数千年、古代イオニア社会にいたってはわずか数百年で、縄文の持続性にはとても及ばない。縄文の文明原理は平等主義に立脚した社会制度を有していたということである。エジプトやメソポタミヤのように、巨大な王は出現しなかった。墓においても、その副葬には大差はなく、階級社会の装置を文明原理に取り入れていない。

歴史は、物が余り始めたところから権力が生まれると説く。

水田稲作農耕の始まりは、数多くの人口を支えると共に農作物を集めさせ、献上させることによって、人々の上に立ち、クニ造りに乗り出す権力者を生み出すに至る。少なくとも西洋社会の中央集権の成り立ちには、この図式が当てはまる。縄文人がクニを造らないことで得ていたもの。その答えはおのずとあきらかだろう。それは社会や文化の持続性であり、自然(神)との共生や、それに伴う儀礼や造形へのエネルギーであり、人間にとどまらず、自然や物も含めたうえでの平等主義だったのである。

しかし、その持続性を誇った縄文社会にも終焉のときが訪れる。紀元前900年~800年に北半球を襲った気候の寒冷化だった。気候の寒冷化は凶作で人口を支えきれなくなったユーラシア大陸において民族移動の嵐が吹き荒れることになった。西方ユーラシアでは、地中沿岸を「海の民」が荒らし回り、北方からドーリア人が南下し、ミケーネ文明やヒッタイト帝国が崩壊した。古代イオニア社会も崩壊した。中央ユーラシアではスキタイ人が大移動し、東方ユーラシアでは北方から西方から異民族が流入する中で、中国では春秋・戦国時代の動乱期に突入した。

この時代は、縄文時代晩期に相当し、この気候の寒冷期を「気候変化と人間」を著した鈴木秀夫氏は<縄文時代晩期の寒冷期>と呼んでいる。この気候の寒冷化を契機とする民族移動の嵐に、ついに日本列島ものみ込まれるときがやってくる。縄文時代の終焉をもたらした真の原因は、じつはこの民族大移動だった。中国の春秋・戦国時代には、すでに楼船と呼ばれる大型船の構築技術が確立しており、中国大陸での社会的動乱を逃れた人々が大挙して日本列島にボートピープルとしてやってきたのである。いわゆる渡来人と呼ばれる亡命者である。亡命者とはいえ、縄文人と比べると彼ら渡来人は、大陸での動乱の時代を生き抜いた百戦錬磨の戦士であり、戦争を知らない縄文人の敵ではなかった。なにより彼らは、金属製の武器をもっていた。そして、この大陸からやって来た渡来人が持ち込んだものに大規模な灌漑をともなう稲作農業があった。この稲作農業の普及で、日本は縄文時代から弥生時代へ、狩猟・漁撈・採取社会から稲作農耕社会へと大きく移行していくのである。

稲作農業は、大規模な灌漑技術を必要とする高度な土木産業である。

縄文人が無意識のうちに持ち続けてきた精神文化、とくに自然(神)と人間が互いに与え合う関係性は稲作農耕が定着すると次第に薄らいでいく。稲作農耕は天候に左右されるが、収穫物は人間が手間をかける分、応えて収穫を与えてくれる。そこでは、狩猟・漁撈・採取社会に生きた縄文人のような精妙、かつ手間暇のかかる関係を自然や神々と築き続ける必要がない。水田稲作農業における、いわゆる「田んぼ」の造成には高度な土木技術が必要となる。「田んぼ」は一定期間、水を溜めておくプールである。水は文字通り物理学の法則通りに動くから、そのプールは少しの傾きも許されない。これらの工事には高度の測量技術が必要となる。もちろんわずかな穴も隙間も生じることは許されない。土の防水構造は完璧でなければならない。そういう防水構造には大量の粘土が必要となる。それも「田んぼ」の底だけではなく、その周りの畦や導水路の造成にも必要なのである。そのためには木材を矢板のように立て、その間に粘土を入れて突き固めて成形する技術がなければならない。まさに現代でいうところのゼネコンなみの総合技術が問われるのである。そしてもっと重要なことは、畦や導水路をつくるための大量の矢板、すなわち木材が必要になる。そのためには多くの森林を伐採しなければならない。

では、これらの森林をどうやって伐採したのか。大陸からの渡来人は、大陸において春秋時代の晩期に鉄を武器として使っていた。その武器を鉄斧として生産することはいともたやすかったはずである。事実、弥生時代からの遺跡からは大量の鉄斧が出土している。こうして大陸からもたらされた「稲と鉄と治水・灌漑土木技術のセット」が日本に本格的な稲作農耕をもたらしたのである。(つづく)

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等


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