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八丁三所の星降る里

執筆:ラボラトリオ研究員  鴨 奢摩他(かものしゃまた)

netenのR&D 研究員の鴨 奢摩他(かものしゃまた)と申します。

昨年来、Tec-Reportでロゴストロン信号や装置についての調査・実験結果をレポートにして発表してきましたので、主にそのことについて記事を書いていこうと思います。

ただ、技術的なことだけを書いても固い内容になってしまいます。
そこで私のバックグランドや経験してきたこと、調査・実験の経緯、その時に感じたことなども織り込んでいこうと思います。

私は、大阪府の郊外で「天の磐船伝説」、「七夕伝説」や「星降の八丁三所伝説」が伝えられる交野市(かたのし)という街にある、「星田妙見宮」を見上げる「星田(ほしだ)」という土地の出身です。
社会人になるまでは、ずっとその土地で過ごしていました。
私が小さい頃は、住所に「大字」とつくぐらいの田舎でしたが、空気が澄んでいて結構、星はきれいに見えた記憶があります。

天の磐船伝説

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交野市内を流れる「天の川」という川の上流の渓谷沿いに、高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形の巨石「天の磐船」(あめのいわぶね)が祀られた「磐船(いわふね)神社」があります。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が「天の磐船」に乗って、河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承があります。
交野に勢力を保っていた物部氏の氏神だとされています。


七夕伝説

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天の川周辺は、七夕伝説発祥の地とも言われていて、逢合橋(あいあいばし)という橋がかかっていたり、織姫にあたる天棚機比売大神(あまのたなばたひめのかみ)をご祭神とする「機物神社」という神社もあります。
昔は、なかったのですが、最近では「織姫の里 天の川七夕まつり」 が盛大に開催されているようです。


星降の八丁三所伝説(星田妙見宮)

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星田妙見宮(妙見山龍隆院)の成り立ちについて【妙見山影向石略縁起】に、こう書かれています。

抑も当山は・・・弘仁の頃、弘法大師京都を立出で、・・・当国私市村観音寺と申しけるに滞留し玉ひ、虚空蔵菩薩求聞持の法を修行せられしけるに、・・・成就ましましける。其夜の暁に傲然として仏眼仏母の大光明を放ち、・・・その出現の尊を尋ねいたり見玉へば、獅子窟山吉祥院の獅子岩窟の仏眼尊と拝見なされしなり。
大師・・この岩窟に入り、仏眼尊の秘法を修し玉ふに、・・天より七曜星降臨し玉ひ擁護し玉ふ。時にこの星伊宇の三点のごとく当村の三ヶ所に下り玉ふ・・
・・・弘仁7年弘法大師高野山を開き玉ひし後、再びこの山に攀じ登り玉ひ、先年星辰影向し玉ひしこの霊石を拝見したまふに、降臨宜なるかな、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳、神仙の宝宅、諸天善神影向集会の名山にして、山は高きにあらざれども・・・・・・粛拝誦経しこの山を妙見山龍降院と称し、慇懃に勧請し玉ひ、四海泰平・五穀豊饒・国家擁護の霊場と双岩を開眼供養し玉ふ。

(現代語訳)
平安時代初期の弘仁の頃、(真言密教の開祖である)弘法大師空海が私市(きさいち@交野市)の観音寺に立ち寄って、虚空蔵菩薩求門持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)(※1) を成就された。
するとその法力によって、明け方に仏眼仏母(ぶつげんぶつも)
(※2)の大光明が輝いた。それは、同じ交野の山中にある獅子窟寺の吉祥院にある仏眼尊と思われたので、大師は獅子の岩屋に入って仏眼尊の秘法(仏眼仏母法)を修せられた。すると大空から七曜の星(北斗七星=妙見菩薩の象徴)が降り、それが三つに分かれて地上に落ちた・・・

※1:虚空蔵菩薩求門持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)
密教の修行法で、一度見聞きしたものは忘れなくなり記憶力が抜群に良くなると言われる修行法。特殊な観想をしながら印を組み、虚空蔵菩薩の真言「ノウボウ・アキャシャギャラバヤ・オン・マリキャ・マリボリソワカ」を百万遍唱える。
弘法大師空海が天才博識と言われるのは、この法を体得していたからとも言われている。
また、真言中の「アキャシャ」は、アカシックレコードの「アカシック」に通ずるとも言われる。
※2:仏眼仏母(ぶつげんぶつも)
胎蔵界曼荼羅の遍知院に配される仏。物事の本質を見極める心眼を象徴していて、悟りの母体ともなって衆生を仏として生まれ変わらせる働きをするので仏眼仏母と称する。

星田の地名の由来は、ほとんど田圃だった星田村の三ヶ所に星(隕石)が落ちたことから付けられたと言うことらしいです。
その場所は、村内の光林寺(こうりんじ)、星の森、妙見山(みょうけんさん)で、それぞれの間の距離がほぼ八丁(約880m)の一辺となる三角形を形成したことから八丁三所と呼ばれたようです。
その内の1箇所の妙見山が、今の星田妙見宮になったということですね。
その場所には今も巨石が祀られています。
なお、上記3つの伝説については「交野(かたの)に伝わる昔話」に詳しいです。

自分の母校の星田小学校の大先輩に、「密教占星法」を上梓された高野山の学僧 森田龍僊 阿闍梨がおられますが、その著書の序章で次のように記しておられます。

河州北河内郡星田村の東南隅にあたり、鬱乎として蒼々たる妙見山というのがある。こは弘仁7年・・・弘法大師が・・・親しく尊星王妙見大菩薩の降臨を感得し給ひし霊蹟にして・・・即ち私が始めて呱々の声をあげたりし故郷である。・・私が小学校に通っているとき・・・・この山をよぢて祠前に跪礼するを殆ど日課の一つとなしてゐた。

私も小中学生の頃、妙見山(地元では ”みょーけんさん”  と呼ぶ)は、まさに自分の遊び場のひとつであり、ハイキングコースでもあり、数え切れないくらい行ったものです。

時には「天の川」で水遊びをし、「磐船神社」まで自転車で行って岩くぐりをしたり、山の中腹の「獅子窟寺」まで山歩きをしたり。
後で知ったことですが、周辺の山中にはお滝場があったり、山中で数多く見かける岩場には梵字が彫ってあって、何気なく行っていた場所も実は修験者の修行場跡だったりしたようです。

その当時は全く歴史的なことや伝説について意識しませんでしたが、私は「星」と「密教」に縁の深い土地で生まれ育っていたのです。
今振り返ってみると、このことが、その後の自分の生き方や進路、趣味嗜好に大きな影響を与えていたのではないかと思えてくるのでした。


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【鴨 奢摩他(かものしゃまた)プロフィール】
「方丈記」が好きなことと「止観」をあらわす「奢摩他(シャマタ/サマタ) 毘鉢舍那(ヴィパシャナ)」から自戒の意味を込めて「 鴨 奢摩他」と名乗る。
京都の大学に在学中、当時、高野山の宿老をされていたO猊下の在家向け伝法を受講する機会に恵まれ、以来、在家でありながらも30年近く密教と深く縁のある日々を過ごす。
大学の経営学部を卒業後は、電子楽器メーカーに就職し各種業務を経験後、品質保証マネージャーを兼任しながら社内試験設備で電磁波測定の専門業務を20年近く続ける。
その後、電磁波を測定する試験所の能力を審査し認定を与える機関に移り技術部長を務める。
退職後、縁あってnetenで主に計測、実験の業務を担当している。
専門は、EMC(Electro-Magnetic Compatibility / 電磁波両立性)試験、品質法規全般。





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